第110話 見習い料理人とめげない王子


「──ところで、今は何を作っているんですか?」



 アクアはガレイトを無視し、そのまま厨房内へと入っていった。



「おい、勝手に入るんじゃない」


「いいじゃないですか。手もきちんと洗いましたし」


「そういう問題じゃ……」


「ほぅ、ソーセージですか? ……なるほど。イノシシを討伐したからですね」


「あのなぁ……話を……」


「が、ガレイトさん……!」



 ブリギットがガレイトの近くまで行き、話しかける。



「す、すみません。こいつ、見境いがなくて……おい、アクア。ブリギットさんが怖がっているだろ。さっさと──」


「あの、アクアさんを追いだすのは……その、いまはべつにいいんじゃないかな?」


「え?」



 その言葉を聞いた瞬間、ガレイトの全身が硬直する。



「いままで、その、ほとんど私かモニモニしか、ガレイトさんの料理を見たことなかったから……それに、アクアさんってたしか王子様……なんだよね?」


「え? も、もしかして……ブリギットさん!? ああいうのが──」



 ガレイトの顔が、鬼のように歪んでいく。

 そして――



「き、貴様ァ……ッ!」


「ええ!?」



 ガレイト突然、アクアの胸ぐらを掴み、天上近くまで持ち上げる。



「ブリギットさんをたぶらかすとは……! 承知せんぞ……!」


「な、なんの話ですか……!?」


「が、ガレイトさん! そういう意味じゃなくって……!」



 ブリギットが顔を赤くさせながら、ガレイトの腕にしがみつく。



「はッ!?  ブリギットさん!」


「あの、そうじゃなくって……! 王子様なら、いっぱい美味しいものを食べてるから、いい意見ももらえるんじゃないかなって……!」


「ああ、そういう……」



 ガレイトがアクアから手を離す。

 ドシャ。

 アクアは二メートルほどの高さから、床へ落ち、尻を強打した。



「すまなかったな、アクア。俺の早とちりだったらしい」


「くっ、ぜってぇ……ぶっ殺す……!」



 アクアは誰にも聞こえないような小さな声で呟く。



「ふむ。冷やかしかとも思いましたが、これはこれで、案外、好機なのかもしれませんな……」


「でしょ?」


「──なあ、アクア」



 ガレイトはその場にしゃがみ込むと、アクアの目をじっと見た。



「……なんですか」


「時間はまだ大丈夫だと言ってたよな?」


「え?」



 アクアは肩眉を上げると、ブリギットを見て、もう一度ガレイトを見た。



「あー……いえ、すみません。じつはもう、行かなくては──」


「すまんが、試食を頼まれてくれないか」


「いや、だから……」


「試食係、頼めるよな?」


「拒否権は……」


「あると思うのか?」



 ダッ――!!

 アクアは突然立ち上がると、身を翻し、脱兎のごとく逃げ出した。



「あ、逃げた」


「……待っていてください、ブリギットさん。すぐに捕まえてきます」



 ◇



「──ぺっぺっぺっ! なんですか! これ!?」



 食卓の椅子に縄で縛りつけられ、行動を著しく制限されているアクア。

 そして、その前には皿とスプーンを持ったガレイトと、ブリギットが並んで立っている。



「……イノシシ肉をひき肉にして、薄く焼いたものだが……」


「いやいや、肉なんですか? これ? 土とかじゃなくて?」


「土を食わせるわけあるか。それで、どうだ? 美味いか?」


「さっき感想言ったでしょ。食べる食べない以前に、食べ物ですらないですって。そもそもソーセージ作るんでしょ? なんでそれを作らないんですか」


「腸が勿体ないからな」


「なんですか、その理由……」


「ふむ……だが、これもダメか……」


「でも、なんでこうなるのでしょうか……?」



 隣にいたブリギットも首を傾げる。



「あの……お二人とも? 僕、そろそろ任務があるので……」


「ウソをつくな。出立は夜からのはずだろ」


「な、なんでそれを……!?」


「ふむ、本当に夜からだったか……」


「て、テメェ……マジで……!」


「……でもまぁ、前よりはマシになっているだろ?」


「……マシも何も、以前のはただの劇薬……毒でしたから……」


「劇薬って……まぁ、あながち間違いでもないな」


「ひ、否定はしないんですね……」



 ブリギットが呆れたようにツッコミを入れる。



「それにしてもアクアよ、貴様はあの時食っていなかったのに、味がわかるのか」


「食べていなくても、あなたの部下たちが次々に倒れていく様は覚えていますよ」


「なるほど」


「……それよりも、なぜこのように拘束する必要があるんです?」


「おまえが逃げないようにだ」


「……ガレイトさんともあろうお方が、逃げた僕も満足に捕まえられないんですか?」


「さっき俺に捕まって泣き叫んでいたのは、どこのどいつだ。……それに、何度も捕まえているうちに、勢い余ってそのまま殺してしまうかもしれんしな」


「チッ……というか、ガレイトさんは今、ブリギットさんに料理を教わっているんですよね?」


「ああ。ご教授賜っている」


「あの、ダグザさんのお孫さんの……」


「なんだ。知っていたのか。……いや、だが、それもそうか。腐っても王子だからな貴様は」


「腐っても?」


「いいところの飯は嫌というほど食っているのだろう」


「美味い料理はどれだけ食べてもにはなりませんが……とはいえ、やっぱりガレイトさん、才能ないんじゃないですか?」


「……なんだと?」


「あのダグザさんの孫、ブリギットさんをもってしても、その腕を矯正できないなんて……もうどうしようもないんじゃ……」


「……そ、それが……ですね……」



 ブリギットが振り絞るように声を出す。



「じつはガレイトさん、あんまりレシピ通りに作ってくれなくて……あと、教えても、あんまり言うとおりには……」



 ブリギットの話を聞いたアクアは、呆れたような視線をガレイトに飛ばす。



「何やってんですか、あなたは……」


「し、仕方ないだろう……! 急に、頭にピーンと来るんだ、ピーンと!」


「なにが?」


「アイデアが」


「人はそれをアイデアとは言いません。発作と呼ぶのです。突発的メシマズ発作……とでも名付けておきましょう」


「勝手に名づけるんじゃない」


「それにしても、ブリギットさんの指示を無視してまでやる事なんですか?」


「ぐぬ……」


「今までそれで失敗しているのに、学習できないんですか?」


「ぐぬぬ……」



 ガレイトの身長がだんだんと低くなっていく。



「挙句、それで勝手にアレンジして、勝手に自滅してたらブリギットさんの迷惑にもなるんですよ?」


「ぐぬぬぬ……」



 何も言い返せないのか、ガレイトは皿を持ったまま、悔しそうに俯いている。



「……あ、あの、アクアさん」


「なんですか、ブリギットさん」


「ガレイトさんって、騎士をやっているときもこんな感じだったのでしょうか?」


「こんな感じ……とは?」


「あの、えっと……」


「人の話を聞かない感じ……ですか?」


「え? そ、そこまでじゃ……」


「ふむ……そうですね。そういえば……こんなことがありました」



 アクアは椅子に縛られながら、思い出したように滔々と言葉を紡ぎだした。



「あれはまだ、〝現実〟という鋭い刃で両断される前──いまよりも、僕がまだ野望と自信に満ち溢れていた時のこと。僕は、ミラズールでも最強の剣士でした」


「この国に、スパイとして潜入する前の話だな」


「はい。注釈ありがとうございます」


「いや、そういうのはいいから、要点だけかいつまんで話せ」


「えぇ……せっかく気分がノッて来たのに?」


「ひとりで勝手にノリノリになるな。迷惑だ」


「……わかりましたよ。それで、なんやかんやあって、僕は見事、現在のヴィルヘルム・ナイツに入団することが出来たんです。当初の目的は当時の団長、エルロンド・オプティマスの殺害」


「さ、殺害……エルロンドさんを……」



 ごくり。

 ブリギットが生唾を飲み込む。



「はい。そして、エルロンド失脚後、団内で一番の使い手である僕が団長となり、後に合流する手筈だったミラズール軍と結託し、内から外から、ヴィルヘルムをかく乱させつつ、陥落させる……というのが、当初の目的だったのです。けど……」


「それは失敗に終わる」


「ええ、僕の目の前にいるメシマズ大男のせいでね」


「メシマ……言いたい放題だな、貴様は」


「……団長の座を勝ち取れなかった僕は、幾度となくメシマズ進歩ゼロ大男に挑みました」


「もう勝手にしてくれ……」


「そして、現実を知ったんです。『なんなんだ、この男は』と。……少年期、すでにミラズールの並み居る剣士たちを打ち負かしてきた僕の剣が、全く歯が立たない。それどころか、勝つヴィジョンさえ見えなかった。……はっきり言って無茶苦茶だと」


「だが、おまえは……」


「そう。まだ僕は挫けていなかった。何とかしてその強さの秘密を暴いてやろうと、なるべく多くの時間を共にしました。ガレイトが訓練をすると聞けば、一緒に訓練をし、仇敵であるのにも関わらず、恥も外聞もかなぐり捨て、教えも乞いました。しかし──」



 アクアはガレイト見上げると、目を伏せてため息をついた。



「な、なんですか? ガレイトさんが……?」


「教えるのがすごく下手くそなんです。その人」

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