第104話 見習い料理人と猪王


 マンダリンとオレンジめがけ、まっすぐに突っ込むイノシシ。

 ガレイトは咄嗟に二人の前へ躍り出ると、そのまま右こぶしを繰り出す。



「──ヌン……!」



 ゴガンッ!

 ガレイトの右フックがイノシシの頭骨を殴り抜ける。

 ほんの一瞬だけ、ぐらりと崩れかけるイノシシ。

 しかし、イノシシはすぐに体勢を立て直すと──

 グイイィィ……!

 イノシシは自身の牙をガレイトの左脇下に滑り込ませた。

 ガレイトもイノシシの突進の方向をずらそうとするが──



「うぉぉ……ぉぉぉッ!?」



 勢いそのままかちあげられると、吹っ飛ばされるように大きく宙を舞った。



「ああっ!? ガレイトさん!!」



 宙を舞うガレイトの眼下で、オレンジが悲痛な声をあげる。



「くっ……大丈夫です! 着地し次第すぐに戻りますので……! お二人は、バラバラに……!!」



 夜空を舞うガレイトが、二人へ精一杯のアドバイスを飛ばす。

 二人は即座にうなずくと、それぞれ別方向へ逃げていった。



「──くそっ! 判断が遅い……! 何をやっているんだ、俺は……!」



 ガレイトが、自分を責めるように言葉を吐き捨てた。



 ◇



 ──バキバキバキッ!

 メキメキィ!

 吹き飛ばされたガレイトが畑近く、森の中の枝葉をなぎ倒しながら落ちていく。

 そして──

 ドシン!

 ガレイトは背中から、豪快に地面へと叩きつけられた。

 しかしダメージはないのか、すぐさま地面に手をつき、反動を利用して立ち上がる。

 その瞬間──



「うっきゃあああああああああああああああああああ!?」



 ガレイトの近くから素っ頓狂な叫び声が聞こえた。



「チィッ……誰だ!!」



 ガレイトがすぐさま振り返り、声の主と距離をとる。



「……え? そ……その声は、がれいと……殿……?」


「おや? も、もしかして、サキガケさん……ですか?」


「ああー! やっぱり! がれいと殿や!」


「なぜこんなところに──」


「ちょっと! 戻って来てくれるんはありがたいけど、もっと普通に来てや!」


「……え?」



 サキガケが目を腫らしながら、涙声でずんずんとガレイトに詰め寄る。

 ガレイトもその剣幕におされるように、後ろへと下がっていく。



「なんでいきなり空から降ってくんねん! びっくりするやろ!」


「す、すみません……」


「すみませんで済むかあ! 心臓止まったらどないしてくれんねん!」


「え、えーっと……それが、吹き飛ばされてしまいまして……」



 ピタ。

 サキガケが歩を止め、涙目のままガレイトの顔を見る。



「がれいと殿が……吹き飛ばされる……?」


「は、はい……」


「なにそれ? どういうこと? 相手は普通の猪じゃなかったん……?」


「……と、とにかく、説明してる暇はありません、こちらへ!」


「は? え? ちょ、どこさわって──うわわ!?」



 ガレイトはサキガケの体を強引に抱きかかえると、一目散に畑へと戻った。



 ◇



「な、なんでござるか……アレは……!」



 畑に着いたサキガケが、巨大なイノシシを見て声を震わせる。

 もしゃもしゃもしゃ。

 イノシシは、畑に生えているミカンを、木ごと・・・貪っていた。



「俺にもよくわかりません……」



 そう言っているガレイトの頬には、真っ赤な手の痕があった。



「わからないって……経緯は?」


「イノシシたちが、一か所に集まったと思ったら、あんなことに……」


「一か所に……もしかして……」



 サキガケは顎に手をあて、小さい声で呟く。



「そうだ、ここで話している暇は……すみません、サキガケさん」


「へ?」


「俺はヤツを倒しに行きます……!」


「ま、待つでござる!」



 駆け出そうとしたガレイトをサキガケが止める。



「さ、サキガケさん、もう時間が──」


「いくらがれいと殿でも、なんの情報も持っていない相手に突っ込むのは危険でござる」


「しかし……まだマンダリンさんとオレンジさんが無事かどうか……」


「大丈夫。見たところ、あの猪……そこまで食べる速度は早くないでござる。それに拙者、ちょっと引っかかることがあって……」


「引っかかること、ですか……?」


「ニン。がれいと殿、あの猪の名前は……」


「〝クレメンタイン・エバー〟通称、ミカン食いのイノシシだそうです」


「ふむ。くれめんたいん・えばあ……でござるか」


「……ご存じなのですか?」


「いや、まったく知らんでござる」


「えっと……もう行ってもいいですか……?」


「ま、待つでござる。しかし、あれはもはや、動物ではなく魔物では……?」


「……ええ、そうですね。俺もそう思います」


「魔物と動物の線引き……体内に魔法の素、〝魔素〟を含むかどうかでござるが……アレからはもはや嫌な感じ・・・・しかしないでござる」


「ええ……しかし、手配書には普通の動物だと」


「がれいと殿、その手配書、いまも持ってるでござる?」


「はい。ここに……」



 ガレイトはそう言うと、懐からくしゃくしゃの手配書を取り出す。

 サキガケはそれを受け取ると、目から近づけたり遠ざけたりした。



「もしかして、この手配書自体になにか仕掛けが……?」


「いや、これは……」


「なにかわかったのですか?」


「むむむぅ、暗いから読みづらい……」


「あの、もう行っても……?」


「いや、そうは言われても……月下で文を読むというのは、なかなかに……それに、なにか、破れてないでござるか? この手配書」


「はい。そこはずっと気にかかっていて……あ、そういえば……」


「む、なにか思いだしたでござる?」


「群れのリーダーには要注意……みたいなことが書かれていたような……」


「りぃだぁ……」


「……はい。要するに、頭領です」


「や、それはさすがにわかるのでござるが……」


「す、すみません……」


「猪……合体……りぃだぁ……ああっ!!」



 サキガケが手に持っていた手配書を、くしゃっと強く握る。



「なにか思い出したのですか?」



 サキガケは握りつぶした手配書の皺を伸ばしながら、話を続ける。



「おそらくでござるが、その猪のりぃだぁは……」


「りぃだぁ?」


「……頭領は、がれいと殿がさっき言っていた〝くれめんたいん・えばあ〟とは違う固体でござる」


「そうなのですか?」


「ニン」



 サキガケは手配書を綺麗に折りたたむと、ガレイトに手渡し、続けた。



「その魔物いのししの名は、〝猪王きんぐぼあ〟」


「きんぐ……ぼあ……?」


「一個の猪の集団に寄生し、あたかもその集団の首領のように振舞い、指揮を執る魔物でござる」


「そんな魔物が……」


「ニン。固体によって違うでござるが、猪とは本来、大きな集団で、固まって生活するような動物ではないのでござる。そして、そんな猪たちの精神に、また身体に寄生し、束ねているのが──」


「キングボアである、と」



 サキガケがうなずく。



「ですが、寄生というのは……」


「そのままの意味でござる。猪たちは気づかぬ間に猪王の影響を受け、次第に猪から魔物へ近づいていくのでござる。……それが、合体」


「あの巨大なイノシシの正体ですね……」


「ニン。合体した猪王は、合体した猪の数によって、その脅威の度合いが変化していくのでござるが……」



 サキガケが首を傾げる。



「それでも指定危険魔物には分類されない、ただの魔物……のはずでござる」

「そうなんですか?」


「ニン。がれいと殿を吹き飛ばしたとなると……一体、どれほどの猪が……?」


「……俺が見た限り、イノシシの数は一〇〇頭以上いたと思います」


「一〇〇……たしかに、すこし多いほう……ではござるが、それでもまだ……」


「そうなのですか?」


「ニン。ちなみに、ギルドの記録では、最大で一〇〇〇頭の猪が合体したという報告があるのでござる」


「せ、一〇〇〇頭!? 十倍……ですか……」


「それでようやく、指定危険魔物でいうところの最下層、〝Eいい〟でござるから……他にも、外的要因が……?」


「……あの、もしかして、ここの農家さんが作っているミカンと、なにか関係が?」


「蜜柑……?」


「はい。じつは、ここの農家さんが作っているミカンは特別製で──」


「……びるへるむ産の蜜柑……って、もしかして、〝ぶるーてぃひ・くれめんたいん〟でござるか?」


「あれ、よくご存じで……」


「な、なんてこった……でござる」



 わなわなと震えるサキガケ。



「サキガケさん……?」


「猪王とは合体時、猪たちの力も継承するのでござるが、それは加算ではなく、乗算していっているのでござるよ……」


「乗算……?」


「一頭一頭の凶暴さ、強度が上がれば上がるほど、合体した猪王の脅威度もグンと上がるのでござる。……つまり、一〇〇頭の猪がすべて、その蜜柑を食べていたのだとすれば……」


「食べていたのだとすれば……?」


「危険度〝Bびぃ〟はくだらないでござるな……」

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