第103話 見習い料理人と猪畑


 ガレイトのいえを出て、ニーベルンブルクを抜け、ヴィルヘルム・ナイツ訓練所を横切り、東へ東へ──

 深く暗い森の中を、ガレイトとサキガケがひた走る。



「すみませんサキガケさん! こんな時間に付き合わせてしまって……!」



 ガレイトが背後を走るサキガケに、振り返らずに声をかける。



「ニン! 気にしないでいいでござる! ……それよりも、ただの思い過ごしだといいのでござるが……!」


「ええ、同感です!」


「がれいと殿、ミカン畑にはあとどれくらいなのでござるか!」


「さきほど訓練所を過ぎたので……このペースで行けば、あと数分で着くと思います!」



 帝都ニーベルンブルクからマンダリンの畑まで、徒歩でおよそ三時間ほど。

 対して、二人の走るペースは、現時点でガレイトの寮を出てから未だ三十分。

 驚異的なスピードである。



「数分……なるほど、了解でござる! では、もうすこし速度をあげても大丈夫でござるよ!」


「よ、よろしいのですか?」


「ニン。こう見えて、走りにはそれなりに自信を持っているでござる! だから、気にしなくても平気でござるよ!」


「わ、わかりました! では──」



 グググ……!

 ガレイトが姿勢を低くする。

 そして──

 ダン……!

 地面に足がめり込むほど、力強い一歩を踏み出した。

 メキメキメキ……!

 ドガドガドガ!

 ガレイトはまるで超大型の重機のように、遮る木々をへし折りながら進んだ。



「は?」



 その光景にサキガケは目を大きく開ける。



「ちょ、はや……っ!? なんやそれ……なんやそれェ!?」



 大声をあげるサキガケ。

 サキガケ自身も先ほどより多少は走るスピードは上がったが──

 ガレイトのスピードはそれの比ではない。

 草を根ごと吹き飛ばし、木をぶち折り、邪魔な岩を飛び越える。

 二人の差はぐんぐんと引き離されていった。

 そして、そんなガレイトの後続を走るサキガケの目には、いつしか涙が浮かんでいた。



 ◇



「──なんということだ……!」



 目前の惨状・・に、声を震わせるガレイト。

 月光に照らし出されたミカン畑。

 そこには、かなりの数のイノシシが、大挙して畑へと押し寄せていた。

 数にしておよそ一〇〇頭以上。

 まるで津波のようなイノシシのが、木を飲み込み、地面掘り返し、畑を荒らしている。


 ──すぅぅぅぅぅぅぅぅ……!

 それを見るや否や、ガレイトが肺いっぱいに空気を吸い込んだ。

 そして──



「ぐぅおああああああああ──あああああああ──あああああ──ッ!!」



 大気がビリビリと振動するほどの大声をあげた。

 あまりの大声にイノシシたちも慌てふためくが、それも一瞬。

 イノシシたちはすぐに畑を荒らし始める。



「げほっ! がはっ! ……くそッ……! こうなったら──」



 ガレイトが一目散に走りだす。

 むんず!

 ガレイトは一番近くにいたイノシシの肉を強引に掴むと──



「だあああああああああああああああッ!!」



 ブォン!!

 体高が一メートルほどあるイノシシを、力いっぱい放り投げた。



「プギィィィ──!?」



 断末魔のような悲鳴を上げ、彼方まで飛んでいくイノシシ。

 けれども、そんなことなど気にも留めず、イノシシは畑を荒らし続ける。



「っく、無駄か……! 一匹一匹この方法でやってもいいが……それでは……!」


「──ガレイトさぁぁぁぁん!」



 どこからともなく、ガレイトを呼ぶ声。

 ガレイトはしばらく辺りを見回すと、畑の外へ避難していた二人を発見した。



「マンダリンさん! オレンジさん!」



 ガレイトが二人の元へと駆け寄る。



「これは一体、いつから……?」


「わ、わからねえだ! ずどどどどって、地鳴りみてぇな足音が聞こえてきて、慌てて外に出たら、いきなりこんなに来て……!」


「……よく聞いてください。サキガケさんが言っていたのですが、おそらく、いままでのは様子見・・・です」


「サキガケ?」


「ああ、すみません。ご紹介が遅れました。こちらにいる方が──あれ?」



 後ろを振り返るガレイト。

 しかし、そこには誰もいない。

 ガレイトの額から頬にかけて、一筋の汗が流れる。



「ま、まさか……はぐれて……?」


「誰かと一緒に来たんだか?」


「あ、そ、それが……」


「いいや、それよりも、様子見って、どういうことだ?」


「──そうですね。今まで一週間周期で畑を荒らしていたのは、おそらく様子見のためなのです」


「そ、そういうことか……!」


「はい。そしてこの間の襲撃が、イノシシたちにとって最後のテストで……その結果、無害であると認定されたのでしょう」


「な、なるほど、もう怖いもんはねえから、群れを引き連れてやって来た……と?」


「はい」


「そんな……けんど、こんな数、どうすれば……?」


「さきほど大声を出して威嚇したり、群れの中の一頭を投げ飛ばしたりしたのですが……」


「ああ、聞こえてただ」


「けど、ご覧のとおりです。焼け石に水というか……こうなったら──」



 ガレイトが自信なさげに、こぶしを固める。



「お、俺が一匹ずつ駆除していくしか……!」



 こそこそこそ。

 マンダリンがオレンジに耳打ちをする。



「ふむふむ……ああっ! そっかぁ!」


「ま、マンダリンさんは何を……?」


「群れなんだから、必ずそれを率いるリーダーがいるはず、だってよ」


「な、なるほど……!」


「んだば、そいつを倒せば、他のイノシシたちは……! そういうこったな? 父ちゃん?」



 こくり。

 マンダリンがうなずく。



「わかりました。……ちなみに、イノシシたちのリーダーに心当たりは?」


「わ、わからねえ……オイラたち、いままで姿を見たことがねからよ。……うん?」



 突然、会話を切り上げ、目を細め、首を前へ突き出すオレンジ。

 ガレイトもそんなオレンジの視線の先を目で追った。

 月下のミカン畑。

 黄色い体毛のイノシシたちが、もぞもぞとうごめく中──

 金色の体毛を持つイノシシが、ガレイトたちをじっと、静かに睨みつけていた。



「な、なぁガレイトさん、もしかしてあれ……」


「わかりません。……ですが、あの固体だけ、明らかに他のイノシシとは──」



 ブヒィィィィ!!

 ガレイトの言葉を遮るように、そのイノシシが月に向かって吠える。



「な、なんだあ……!? イノシシたちが……!」



 イノシシたちが一斉に、その金色のイノシシの周りに集まっていく。

 そして──

 ぼふん……!

 大量の土煙が煙幕のように舞い上がり、突風が吹き荒れる。



「……へ?」



 ゴシゴシ。

 オレンジが目をこすりながら、素っ頓狂な声をあげた。

 ガレイトも、マンダリンも、同様に目をぱちくりとさせている。

 三人の視線の先にいるのは、一頭の巨大な、大型トラックほどはあるイノシシだった。


 ──ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!

 突如、機関車の如き排気音が、イノシシの鼻腔から吐き出される。

 イノシシは何度も前足で地面を掘り返すと、やがてそこでピタッと止まった。



「な、なんか……あれ、まずくねか? ガレイトさん?」


「あれは……まずい! 今すぐここから逃げ──」



 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!

 爆走。

 土煙を巻き上げ、ミカンの木をなぎ倒し、イノシシはまっすぐガレイトに突っ込んだ。



 ◇


 

 一方、ヴィルヘルム・ナイツ訓練所から畑にかけての森林地帯。



「……ひっぐ……うぅ……ぐすっ、なんでよ……ぅぐっ……」



 草の上にぺたんとへたり込み、さめざめと泣いているサキガケの姿があった。



「たしかにうち、走る速度上げてええって言うたけど──」



 ここでサキガケが声をあげ、びーびーと泣く。



「あんな速いとは思わんやん! てか、ここどこやねん! アホか!」



 ──ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!



「え? え? なに? なんの音!?」



〝音〟が聞こえた途端、サキガケがぴょこんと立ち上がった。

 苦無クナイを逆手に持ち、辺りをキョロキョロと見回すサキガケ。


 バキバキバキ!

 メキメキィ!


 続いて聞こえる、木の枝が折れるような音。そして──


 ドシン!!

 サキガケの近くに落ちた・・・、黒く巨大な何かが跳ねた・・・



「うっきゃあああああああああああああああああああ!?」

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