第98話 見習い料理人とミカン喰い
「どうしましょう、ブリギットさん」
「どうするんですか、ガレイトさん」
アルブレヒトとアクアのいなくなった、ヴィルヘルム・ナイツ訓練場。
ガレイトとブリギットは互いに、青い顔で見つめ合っていた。
「……もし、俺がここで失敗すれば、有り金はすべて没収され……」
「そして、私たちがガレイトさんに、お賃金を渡さないとダメなんですよね……」
沈黙。
そして──
「あれ?」
ブリギットが何かに気づいたように首を傾げる。
「そもそもの話、私たちがきちんとしてたら済む話、なんじゃ……?」
「いえ、騎士団を出て数年……満足に料理も作れない俺に非があります。ブリギットさんは何も気に病む必要はありません」
「そ、そう……なのかな?」
「そうなのです」
ガレイトが力強く言う。
「は、はぃぃ……」
「とにかく──」
ガレイトはアルブレヒトから渡された地図と、写真付きの紙を見た。
「アクアが言っていたとおり、失敗した時のことを考えている場合ではありませんね」
「それ、ガレイトさんが言ったんじゃ……?」
「……とはいえ、まずはこのイノシシを狩らなければ」
写真付きの紙。つまりは
そこには──
ミカンのように黄色い体毛。
下あごから鋭く伸びている牙
そんなイノシシの写真が張り付けられていた。
「イノシシの名前は……〝クレメンタイン・エバー〟ですか」
ブリギットがぐぐぐ……と背伸びしながら、ガレイトの手元を覗き込む。
ガレイトはそれに気が付くと、その場に片膝をついた。
「……ブリギットさんは、この種はご存じで?」
「う~ん……」
顎に指を当て、上を見るブリギット。
「ないかも……ですね」
「そうですか……」
「私、おじいちゃんがイノシシを使って、料理してるところは何度か見たことがあるんですけど、ここまで黄色いのは……」
「たしかに、ここまで鮮やかな色だと、まず忘れませんね……」
「あ、あの、ガレイトさん?」
「はい、なんでしょうか」
「ちなみに、このイノシシって、魔物なんですか?」
「いえ、ここに書かれている限りだと、魔物……ではないようです。ただし、注意書きみたいなのが気になりますけど……」
「なんて書いてあるんです?」
ガレイトは手配書を持っていた指をどける。
しかし、その部分の紙は破れていた。
「あ……なんか、破れてますね……」
「はい。ですが、読むのには支障はないようです。……えーっと、『群れの
「ど、ドン……ですか……」
「〝クレメンタイン・エバー〟通称、ミカン食いのイノシシ。ニーベルンブルクの周辺の土地は、水はけもいいので、ミカンの栽培に適しているのです。ですから、このイノシシの被害は無視できないようですね」
「なるほど、ミカンが……あ、そういえば、ミカンの木って背が低いから……」
「はい。簡単に食べられてしまうそうです。被害も年々増えてきているようで……さすがに見過ごせなくなったのか、こうやって、陛下の元に依頼が来たのでしょう」
「なるほどですね。……あれ、でも、王様が直々に依頼を受けてくれるんですね。なんかすごいなぁ……」
無邪気に言うブリギット。
対して、ガレイトはすこし眉をひそめる。
「おそらく……暇、だったのでしょう……」
「お、王様って、暇なんですか?」
「なんというか……いちおう、フォローさせていただきますと、殿下があれこれ頑張っているからだと……」
「そ、そう、ですよね。……じゃあ、いいこと、なのかな……?」
◇
帝都ニーベルンブルクの東にあるヴィルヘルム・ナイツ訓練場から、さらに東。
そこに、ミカン畑があった。
土地の大きさはおよそ、十ヘクタールほど。
畑はなだらかな斜面になっており、ミカンの木も等間隔で植えられている。
そして注目すべきは、その木。
木の上部に生えているものを除き、ほとんどが食い荒らされている状態であった。
「これは……ひどいな……」
ガレイトが地面に転がっているミカンを拾い、息を呑む。
「──ああ、オイラたちも参ってんだ……」
そう答えたのは、ブリギットよりもすこし年上の少女。
髪は淡い赤毛。そして邪魔にならないよう、三つ編みに縛っている。
服装はオーバーオールのような作業着に、頭には麦わらでつば広の帽子。
少女は時折、額から垂れる汗を、日焼けした前腕で拭っていた。
「……けんど、まっさか、国の英雄であらせら
ガッハッハッハッハ!
そう言って、少女は豪快に笑った。
「ところで、
「ん? ああ、父ちゃんなら、まだそこらへんで作業してると思うべ」
「作業……ですか?」
「んだ。まあ、作業っつっても、食い荒らされたミカンの後片付けなんだが……」
「そこへ案内してもらっても?」
「構わねえだ。オイラより父ちゃんのが詳しいからな。けんど……」
オレンジと呼ばれた少女はそう言いかけて、ぽりぽりと頬を掻いた。
「どうかしましたか?」
「いや、いいや。……ついてきな、案内するよ」
さくっ。さくっ。
青々と茂っている草を踏み鳴らし、ミカンの木をかき分ける。
ガレイトたちは、すいすいと先を歩くオレンジのあとに続いた。
「ほれ。あそこに見える頑固そうなおっさんが父ちゃんだ」
オレンジの指さした先──
そこには、オレンジと同じような格好をした、しかめっ面で、初老の男性がいた。
身長はそこまで高くはないが、体型はがっしりとしている。
男性は大きな籠を背負っており、その中に食い荒らされたミカンを入れていた。
「おーぅい! 父ちゃーん!」
ブンブンブン。
オレンジが大声をあげながら、大きく手を振る。
男性は、ガレイトたちに気が付くと、ゆっくりと歩いてきた。
「……こちら、オイラの父ちゃんの、マンダリン」
オレンジは、隣にいるマンダリンと呼ばれた男性を指さす。
マンダリンは相変わらずのしかめっ面のまま、うなずいた。
「あっはは……すまねぇなぁ。父ちゃん、見ての通り、口下手でさぁ。あまり人と話すのは得意じゃねんだぁ」
「ああ、なるほど……」
「……まあ、オイラが通訳すっから、大丈夫だよ」
そう言ってガッハッハとまた豪快に笑うオレンジ。
「あの、はじめまして。俺はガレイトと言います。そして、こちらの方は──」
カッ!
ガレイトの名を聞いた瞬間、マンドリン目が大きく開かれた。
ズン! ズン!
マンダリンはそのまま、大股でガレイトに近づいて行くと──
ギュッ。
ガレイトの手を両手で強く握った。
「え? えーっと……」
「ガレイトさん、父ちゃんはな、ガレイトさんの
「ふあん……」
「そ。だっから、こうやってガレイトさんが来てくれて、興奮してるみてぇだな」
「そ、そうでしたか。ありがとうございます……」
こそこそ。
マンダリンがガレイトの手を離し、オレンジに耳打ちをする。
「……なにか?」
「あの、たびたびすまね。ガレイトさん」
「は、はい」
「父ちゃんがあとでサインくれってよ」
オレンジの横で、マンダリンがしかめっ面のまま、頬を赤くする。
「さ、サイン……ですか……」
ガレイトが呆気に取られていると、その隣にいたブリギットが一歩前に出た。
「あ、あの、えっと……ブリギット……です。よろしくお願いします!」
カッ!
ブリギットの名を聞いた瞬間、マンドリン目が大きく開かれた。
「ひぇっ!?」
ブリギットが途端に涙目になり、ガレイトの脚にしがみつく。
ぐるぅり!
マンダリンはそのまま、ゆっくりとブリギットのほうを向き──
「ぴ、ぴぎゃあああああああああ!? たたた、食べないでぇえええええええ!!」
ギュッ。
ブリギットの手を両手で優しく握った。
「……へ?」
こそこそ。
マンダリンはブリギットから手を離すと、またオレンジに耳打ちをした。
「え? え? なに? なんですか? 私、どうなっちゃうんですかあ!?」
「あー……すまね。いきなり驚かせちゃってよ」
オレンジがそう言うと、マンドリンと一緒に頭を下げた。
「……あんた、ブリギットさんなんだってな?」
「は、はぃぃ……」
「あの、どこかでお会いしたことが……?」
ブリギットの代わりに、ガレイトがオレンジに尋ねる。
「いんや。会ったことはねえが……えーっと、おす……おす……ふら……なんだっけ?」
「
「……な、なんでいまのでわかっちゃうの?」
ブリギットが小さくツッコむ。
「そだ。その……
「オステリカ・オスタリカ・フランチェスカ」
「そう、それ。とにかく、その店のブリギットさんだろ?」
「はい、そうですが……お会いしたことがないのに、なぜブリギットさんのことを……?」
「そりゃ、ダグザさんと知り合いだからだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます