第93話 見習い料理人と人気のレストラン


「──おい、説明してくれるのだろうな」



 ガレイトのたく。その玄関。

 そこには剣や手甲、鉄製の鎧や兜──

 だけでなく、脱ぎっぱなしの女物の衣服や下着が散乱していた。



「ふわぁ……ガレイトさんって、本当は……女の人だったんですかぁ……?」



 ブリギットの目はほとんど閉じられており、足元はフラフラとおぼつかない。

 ガレイトは隣でブリギットの体を支えると、申し訳なさそうに言う。



「す、すみません、ブリギットさん……すぐ終わりますので……」


「ブリギット殿、もう限界そうですね。ガレイトさんももう寝たほ──」


「逃がさんぞ、イルザード」


「……まあ、使わせていただきましたけど、それがどうかしたんですか」


「なんでおまえが不貞腐れているんだ。……それに、おまえにも割り振られているだろう。なぜ俺の寮を使う」


「まあまあ、細かいことは言いっこなしでいきましょうよ。こんなに広いんですから」



 ごろん。

 イルザードはそう言うと、玄関を上がった所にあるソファに寝転がった。



「細かいことって……いや、それより何をくつろいでいるんだ、おまえは」


「え?」


「『え?』じゃない。俺の荷物を置いたらさっさと出ていけ。アクアのやつもさっさと帰っていったぞ」


「ええ!?」


「『ええ!?』でもない」


「ガレイトさん、こんな深夜に、女の子わたしをひとり出歩かせるんですか?」


「……いいか、ニーベルンブルク──いや、ヴィルヘルムこのくににおまえを襲うような輩はいない」


「──まぁまぁ、がれいと殿」



 サキガケが会話に参加してくる。

 サキガケは自身の手の甲を、念入りにハンカチで拭いていた。



「……大丈夫ですか、サキガケさん」


「いや、もう二度とあくあ殿には出会いたくないでござるが……一晩くらいなら、べつによいのではござらぬか?」


「アクアが、ですか?」


「いやいや! いるざぁど殿の話でござるよ!! ……いるざぁど殿も、ここまで色々と手伝ってくれたでござるし。もし、部屋がいっぱいなら、拙者が外で寝るでござるが……」


「ああ、いえ……部屋数は大丈夫なので、サキガケさんが出ていく必要は……」



 ガレイトはため息をつくと、イルザードを見た。



「イルザード……迷惑はかけないと約束できるか?」


「迷惑……?」


「そうだ」


「……それって、ガレイトさんに夜這いをかけたら、ダメってことですか?」


「な、なんで、いっつもそういう発想になるでござる……?」



 サキガケが顔を真っ赤にしながらツッコむ。

 それを見て、ガレイトは嘆くように手で顔を覆った。



「馬鹿者め……それだけじゃない。常識的に考えて、ここにいる皆に迷惑をかけないように出来るか、と訊いているんだ」



 顔をあげ、再びイルザードの顔を見るガレイト。



「……どうだ、イルザード」


「……おそらくは」


「出ていけ」


「ああ、うそうそ! うそです! ちゃんと、お行儀良くしてますから!」


「……ならいい。ただし、明日には荷物をまとめて、自分の寮に帰ってもらうからな」


「わ、わかりましたよ……なら、今のうちにガレイトさんのかほり・・・を吸っておかなくては……!」



 すーはーすーはー。

 ソファのクッションに顔を沈め、何度も深呼吸をするイルザード。

 と、それに対してドン引きしているガレイトとサキガケ。



「……と、いうわけで、部屋は勝手に使ってくれて構いません」



 ガレイトが今度は、サキガケと向き合う。



「俺はブリギットさんとカミールを寝かせたら、東の、一番奥にある部屋にいますので、何かあれば、そこへ……」


「ニン。何から何までかたじけない」



 ぺこり。

 深々と頭を頭を下げるサキガケ。



「いえいえ、ところで、定例会は明日の……」


「昼からでござる。期間は……おそらく、三日間ほどはかかるでござるな」


「わかりました。では、明日の朝、また部屋まで呼びに行きますね」


「重ねて申し訳ないでござる。この礼はいつか……」


「いえ、お構いなく」


「そうは言うでござるが……」


「サキガケさんがいなければ、またこうして、ヴィルヘルムに来ることもなかったでしょうし……」


「そ、そう……でござるか……?」


「はい。では……今日ももう遅いですし……」


「わかったでござる。……おやすみなさいでござる」


「おやすみなさい」


「おひゃふみなは~い……」



 ブリギットが眠たそうに、目をこすりながら言う。



 ◇



 翌朝、ガレイトの寮。

 その食卓。

 長方形のテーブルには、白いテーブルクロス。

 さらに、五人分の皿やナイフ、フォークなどの食器が、綺麗に並べられていた。

 そんな五人の周りには、給仕服を着た女性が五人。

 それぞれに振り分けられるように、ついていた。



「はぐはぐはぐ……おかわり!」



 カミールが声をあげる。

 女性は会釈だけすると、白く、清潔そうなバスケットから熱々のパンを取り出した。

 そのパンは丸く、十字の切り込みが入っていて、生地にはクルミが練り込まれている。

 カミールはそのパンが皿の上に置かれるなり、一心不乱に食べ始めた。



「……ガレイトさん、これは……何事ですか……?」



 ガレイトが座っている隣。

 ブリギットが、小声でガレイトに話しかける。



「い、いえ……俺にも、なにがなんだか……」



 ガレイトも困惑した顔で、椅子に座っている。



「うん? もしかして、毎朝こんな感じじゃないのでござる……?」



 ガレイトからテーブルを挟んだ向かい側。

 パンに目玉焼きをのっけて食べていたサキガケが、口を開く。



「いえ、俺は基本的に、訓練所近くの食堂でしか飯は食べていませんでしたので……それに──」



 ガレイトは皿の上に置かれた、白い粉のかかったライ麦パンを手に取ると──

 バリッ。

 ふたつにちぎってみせた。

 パンの断面、白い生地からふわっと湯気が立ち、ガレイトがその匂いをかぐ。



「これは……帝都でも人気のベーカリーのものです。並ばなければ買えないという……」



 ブリギットもハート形のパン。

 プレッツェルの細い部分をパキッと割って、口に入れた。



「……あ、これは……岩塩、かな? とにかく、塩味がきいてて、おいしい」


「王が寄越したんじゃないですか?」



 イルザードはそう言いながら、丁寧に、ナイフとフォークで目玉焼きを切り、口へと運ぶ。



「王が……?」


「……はい。というか、もうそれ以上考えられないでしょう。私が勝手にここにいついていた時も、こんなサービスありませんでしたし」


「ふむ。……では、あとで礼を言わねばな」



 ガレイトはそう言うと、ちぎっていたパンを口の中へ放り込んだ。



「うむ。……うまい」


「あれ? でも、ガレイトさん……」



 プレッツェルをまじまじと見ながら、ブリギットがガレイトに話しかける。



「はい、なんでしょうか?」


「あの、ヴィルヘルムでは、あんまり料理は美味しくないって聞いたんですけど……このパン、すごく美味しいし、種類もいっぱいありますよね……」


「……おや? そんなこと言ってましたか?」


「え? そういう言われると……うーん?」


「ヴィルヘルムの食べ物は色々とありますが……まずい、とおっしゃる外国の方はあまりいらっしゃらないような……」


「そうなんですか……?」


「……ああ、おそらく、まずいのは、俺の通っていた食堂のことですね」


「食堂……」


「はい。あの時はまだ料理に興味がなくて、味など二の次でしたからね……。栄養価は上手く考えられていたようですが……今食べたらどうなるか……」


「そ、そんなに……?」


「そうだ。なんでしたら、このあと行ってみますか?」


「え? 食堂にですか?」


「はい。サキガケさんを城へお届けした後、自由時間が出来るので、その時にでも……」


「え、えっと、どうしようかな……」


「……ガレイトさん、わざわざヴィルヘルムまで来て、まずい飯屋連れてってどうするんですか」



 イルザードが静かにツッコみを入れる。

 それを見ていたサキガケが──

「いるざぁど殿がまともなこと言ってる……」

 と、目を丸くさせながら、小さい声で呟いた。



「そ、それもそうだな……」


「どうせなら、帝都で一番の店にでも言ったらどうです?」


「〝グロースアルティヒ〟か」


「ぐろーす、あるてぃひ?」



 ブリギットが首を傾げる。



「はい。ヴィルヘルムの料理が食べられる、帝都でも人気のレストランで、俺が……一度、店長にもなったことのあるレストランです」

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