第92話 見習い料理人、家に帰る


「最高指導……え? 違う……?」



 ヴィルヘルム国王、フリードリヒの言葉を聞いたサキガケが、目を丸くさせ、驚く。



「ごめん。唐突すぎたかな。……要するに、この国のトップは私じゃあないんだよ」


「でも、〝国王〟って……」


「ヴィルヘルムってほら、国だから。つまり、そうなってくると、まずは肩書きからして変でしょ?」


「あ、た……たしかに……」


「この国の名前がヴィルヘルム王国だと、変じゃないんだけどね」


「よく考えてみれば、帝国に……国王はちょっと、違和感があるかもしれぬでござる」


「そう。国王だけど、ヴィルヘルムのトップではない。……つまり私は、私の上、ヴィルヘルム皇帝・・から国の統治を任されているだけなんだ。国王というのはただの役職なんだよ」


「そ、そう、なのでござるか……でも、なんか、スッとしたでござる」


「そうかい? それはよかった。……ま、とはいえ、次代の皇帝はほぼ間違いなく、私、なんだけどね」


「え?」


「あっはっは」


「は、はぁ……」



 フリードリヒが楽しそうに笑い、サキガケが困ったように相槌を打つ。

 ガレイト、イルザードそしてアクアの三人は、何とも言えない顔で俯いていた。



「……あれ? 面白くなかった?」


「はい」



 イルザードが隣で臆面もなく、淡々と告げる。



「……ま、いっか。今日ももう遅い。ガレイトとイルザードの詳しい報告はまた明日……」



 フリードリヒはそう言って、馬車の外にいるガレイトに視線を送る。



「いや、いいや」


「え?」



 ガレイトとイルザードが訊き返す。



「イルザードはともかく、ガレイトは報告する必要・・・・・・はないかな」


「で、ですが……よろしいのですか?」


「うん。さっきも言ったけど、ガレイトってば、いまはただのいち国民・・・・だしね。料理人志望の」


「そ、それはそうですが……」


「だから、無し。免除。面倒くさいでしょ? そういうの」


「しかし殿下、私のほうから殿下に、色々とお伺いしたいことが──」


「……まあ、そうだな。それでも何か……報告ついでに気になること・・・・・・でもあったのなら、絵日記とかで報告してくれれば見るけど」


「え、絵日記……ですか……」


「そう。ガレイトが書いてくれるんだったら、高く買わせてもらうよ。……もちろん税金でね。あっはっは!」



 楽しそうに笑うフリードリヒ。



「はは……は……は……」



 合わせて愛想笑いするガレイトとサキガケ。

 すこし遠くのほう、アクアは何とも言えない顔で夜空を見上げている。



「……あれ? またスベっちゃった?」


「はい」



 そしてイルザードが淡々と、表情を変えずに言い放つ。



「うん。まあ……とりあえずイルザードは明日から毎日、城のトイレ掃除ね」


「げ」



 あからさまにイヤそうな顔をするイルザード。



「それも全部屋」


「げげ」


「私がいいって言うまでね」


「う、うそだ……」


「ウソでも冗談でもないぜ? ……ま、たまには愛想笑いでもして、上司の機嫌も取りましょうよってことで……」



 フリードリヒはそれだけ言うと、馬車から降りた。



「このまま乗られないのですか?」



 ガレイトがフリードリヒに尋ねる。



「うん。見たところ、定員オーバーだしね」


「なら、俺が歩いて──」


「いや、いい。きみのいえと、私のいえは別方向だからね。それに、今夜は星が綺麗だ。ゆっくりと、君が帰って来たニーベルンブルクを歩いてみたい……」



 フリードリヒがそう言って空を見上げる。

 しかし、空は曇っており、星はまったく見えない。



「がっはっはっは! うひーひひひ! ゲラゲラ! デュクシ! デュクシ!」



 馬車の中のイルザードが、手を叩いてわざとらしく笑ってみせる。



「……イルザード」


「あっはっは!」


「イルザード」


「うわぁっはっはっはっは……はい」


「今のはウケ狙いじゃあないんだ」



 フリードリヒがそう言うと、イルザードはシュンと俯いてしまった。



「さて、私は夜風を感じながら、歩いて城まで帰るとするよ」


「はい……では、お言葉に甘えて……」



 今度は、フリードリヒと入れ替わるように、ガレイトが馬車に乗る。

 ガレイトが座席に座り、馬車の扉を閉めようとすると──

「ガレイト」

 フリードリヒはそう言って首を横に振り、ゆっくりと、静かに扉を閉めた。



「それじゃおやすみ。またね」



 頭を下げるガレイトとサキガケ。

 そして──

 ゴロゴロゴロ……。

 かぽっ、かぽっ。

 車輪が回り、馬の蹄が石畳を叩く。

 そして、どんどんと、手を振るフリードリヒの姿が遠くなっていった。



 ◇



「──着きましたよ、ブリギットさん、カミール」



 ゆさゆさ。

 ガレイトが優しく二人を揺り起こす。

 ブリギットは大きく欠伸をすると、寝ぼけまなこでガレイトの顔を見た。



「……ふぁ……ガレイトさん……ここは……?」


「寮です」


「りょお……?」


「はい。ヴィルヘルム・ナイツ、その団員に割り振られている専用の寮です」


「でも……、ガレイトさんはもう……騎士じゃないんじゃあ……?」


「はい。ですが、寮長のご厚意により、俺の名義で残してくれたそうです」


「そう、なんですねぇ……」


「ブリギットさんは先に中へ入っておいてください。俺はカミールを起こしてから行きますから」


「でも、私、どこへいけば……」


「さきにサキガケさんとイルザード、それとアクアが向かいましたので、三人の後に続けば……」


「ふぁい……」



 のそのそ。

 未だ覚醒しきっていないブリギット。

 そんな彼女がふわふわとした口調まま、馬車から這い出る。

 よたよた。

 目をこすりながら、左右に揺れながら歩いていたブリギットは──



「……へ?」



 やがて、大きく目を見開き、覚醒に至る。



「おーい! カミール! 起きるんだ!」



 馬車の中。

 ガレイトが、眠り続けているカミールの肩を揺らす。



「むにゃむにゃ……もうたべられない……」


「ふふ、まったく。どんな夢を見て──」


「まずすぎて……」


「……俺の料理の夢か」



 にこやかだった顔から、スッと真顔になるガレイト。



「……まあいい。ここまでかなりの距離だったからな。このまま担いでいって行ってやるか……」



 ガレイトはカミールを優しく抱きかかえると、そのまま馬車を出た。



「が、ガレイトさん、ガレイトさん……! ここ、どこ……?」



 そんなガレイトの服の裾を、尋常ではない様子で引っ張るブリギット。



「えっと、はい。ここは俺が住んでいた寮です……けど、どうかしましたか?」


「りょ、寮……ですか? ここが……?」



 ブリギットはそう言って、辺りぐるりと見回した。


 帝都ニーベルンブルク、ヴィルヘルム・ナイツ特別寮。その一・・・

 周りを緑に囲まれた、縦四〇〇メートル、横一〇〇メートルほどの長方形の土地。

 入り口の付近には円形の、白く、巨大な噴水。

 そして、その後方には、六段にも連なるテラスがあった。

 テラス中央には、奥にある建物へと続く階段があり、それを上がった先──

 そこに、まるで小規模な宮殿・・のような建物があった。

 である。

 寮自体の高さはそれほどではないが、その横幅は土地いっぱいまで展開されていた。

 外壁は淡い黄色。

 屋根はくすんだ緑色になっている。

 寮の窓からは、庭やテラスが一望できる仕様になっていた。



「も、もしかして、ガレイトさんって……王様?」


「……へ?」



 ガレイトは目をぱちくりとさせると、やがて楽しそうに笑い出した。



「……す、すみません。ですが、そうですね……騎士を王と呼ぶのも、あながち間違ってはいません」


「ど、どういうこと?」


「はい。大抵の国の〝騎士〟と呼ばれる人間は、小領主であり、貴族……戦時に招集され、戦へと赴き、平時は自領にて待機……するのが普通なのですが……」


「う、うん……」


「ヴィルヘルムはそうではなく、団の本営を帝都に置いているので、騎士、それも俺やイルザード、アクアと言った隊長格には、このようなが割り振られるのです」


「へー……」


「なので、〝寮〟とは名ばかりで、基本的には俺の自宅だと思っていただければ。……まあ、今の俺は団員ですらないので、本当はここを利用したらいけないのですが……」


「でも、なんでイルザードさんや、アクアさんもここへ?」


「あいつらはただの荷物持ちです」


「な、なるほど……!」

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