第90話 見習い料理人と他国のスパイ騎士


「す、すぱい!? すぱいって……諜報員すぱい? ……酸っぱい?」


「アクア、順を追って話せ」


「順……?」


「サキガケさん混乱しているだろう」


「ああ……、混乱しているさきがけさんも素敵だ」


「話を聞け。もう一度殴るぞ」


「これ以上殴ると、顔が元に戻らなくなる可能性がありますが、いいんですか?」


「構わんが」


「……僕はいやなので説明を。では、まずは僕の出生から。僕が生まれたのは今から……」


「全部話すと面倒くさいから、端折るとだな──」



 イルザードがアクアの話を遮る。



「馬鹿王子は最初、スパイとして、騎士団うちに潜り込んできたんだ。だが……まぁ、色々とあって、結局バレた。で、いまはなんやかんやで、隊長をやらされている。以上だ」


「えぇ……雑すぎませんか?」



 アクアが静かにツッコむ。



「雑なものか。色々と配慮したうえでの説明だ。貴様の出生など馬の糞より、どうでもいい」


「その心遣いはありがたいのですが……それなら、そもそも話さなくても……馬の糞?」


「だれがおまえに心遣いなどするか。図に乗るなよ、馬鹿王子」


「えぇー……なんか、すごいボロクソに言ってくるじゃないですか……」


「私はただ、ヴィルヘルム・ナイツが『スパイをあえて雇い続けている変態集団』だと思われたくないから、言っているだけだ」


「ち、ちなみに、なんですぱい……を雇い続けているのでござる?」


「利用できるからですよ」



 アクアが誰よりも先に言う。



「利用って……もしかして、人質とか、そういう……?」


「いえ、ただ単に、僕に隊長としての資質があったからでしょうね。今もこうして、二番隊の隊長を任されていますし」


「フン」

「ケ……!」



 ガレイトが鼻を鳴らし、イルザードが吐き捨てる。



「そんな有能な隊長殿が、なぜこんなところにおられるのでしょうかね?」


「はっはっは、それは僕が貴女に訊きたいですよ、イルザード隊長殿」


「チッ、口の減らん奴だ。……ま、大方、美人の噂でも聞きつけたのだろう」


「おや、バレてしまいましたか」


「……気をつけろよ、サキガケ殿、こいつの脳は下半身からぶら下がっているのだ」


「いや、どの口が言っとるんだ」



 ガレイトが静かにツッコみ──

 カァ……と、サキガケが赤面する。



「そうですね、あと、しいて理由を挙げるとするのなら……無害認定・・・・でもされたのでしょう」


「無害……認定?」


「はい。僕を団においてもなんら損失を被ることはない──と、こちらの王はふんだのでしょう。事実、僕はこれからも、ヴィルヘルムになにか害を加える気はありませんし」


「だが、おまえのオヤジさん……ミラズール王はそうでもないのだろう?」



 ガレイトが尋ねる。



「それはそれ、これはこれです。もし、今までみたいな戦争おあそびではなく、父上……国王陛下が腰をあげて、この国を取ると仰るのでしたら、僕は迷わずミラズールあちら側につかせていただきます」


「まあ、当然だろう。そうなると改めて敵同士だが……望み薄の戦いだな。無駄死にするのが目に見えている」



 イルザードが皮肉るように言う。



「仮に、の話ですよ。……ただまあ、イルザード隊長殿が仰るとおり、今のままだと十中八九勝てないでしょうね」


「おいおい……いやに含ませる・・・・な、馬鹿王子殿は」



 イルザードが挑発するようにアクアを睨む。

 アクアも相変わらず、その腫れぼったい目でイルザードを静かに睨み返す。



「……と、とにかく、両国の関係についてはわかったでござる!」



 サキガケがこの場の空気を変えるように、口を挟む。

 アクアは急ににこやかになると、イルザードもくだらなさそうに、視線を移した。



「でも、それならなぜ急に、がれいと殿に攻撃を……? もうびるへるむに害を加える気がないのなら、べつに敵対する意味は……」


「一言で言うと、気に食わないからです。この男が」



 アクアが、話を聞いていたガレイトの顔を指さす。

 ガレイトはそれを受けると、楽しそうに「フン」と鼻を鳴らした。



「わーお、しんぷるぅ……」


「当初、僕はこの団でナンバーワンになって、内から外から、支配してやろうと思ったのです。これは国王陛下の勅令であり、僕の野望でした」


「……おまえ、自分から言うのか……?」



 イルザードが呆れたような、困惑するような顔で言う。

 しかし、アクアの口は止まらなかった。



「当時、エルロンド・オプティマスという伝説の騎士が、ヴィルヘルム・ナイツの団長を辞めたとあって、好機だったのです」


「その、団の頂点に立つのが……でござるか?」


「はい。……ですが、蓋を開けて見れば、英雄エルロンドをも凌ぐゴリラが団長になっただけ」


「……それからだったか? ひたすら、俺に対抗心を燃やすようになったのは?」



 馬車の天井を見つめながら、懐かしむように言うガレイト。



「はい。なんとしてもガレイトあなたをぶち殺してやろうと、その頃にはすでに、手段と目的が入れ替わっていました。……ですが、ある日突然、この男、なんていったと思いますか?」



 アクアは半笑いで、自嘲気味にサキガケに尋ねる。



「な、なんて言ったのでござる?」


「料理人になる」


「ああ……」


「……それを聞いた時、僕は怒りや呆れ、哀しみよりもさきに、なぜか急にすべてがどうでもよくなったんです。……だから、もうどうでもいいんです」



 ふぅ、と息を吐き捨てるアクア。



「ぶっちゃけ。父上が戦争をしたいっていうのなら手伝いますけど、もう、べつにいいかなって。このままでも」


「な、なんか、壮絶でござるな……」


「なら、なぜ俺に攻撃した? もうどうでもいいのだろう?」


「うるせーな……習慣みたいなものですよ」


「イヤな習慣でござるな……」


「……それよりも、ガレイトさん。まともな料理、作れるようになったんですか?」


「いや、まだだな」


「やっぱりね……」



 アクアはそう言うと、興味なさそうに馬車から視線を逸らした。

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