第88話 元最強騎士を歓迎する者たち


 顔がくっきりと映り込むほどに深く、それでいて光沢のある上品な黒色。

 それを彩るように、金色の装飾──

 花や剣、紋章や王冠などが、ところどころに散りばめられている、盛装馬車。

 そんな馬車が検問所を抜け、橋を越え、ヴィルヘルム国内。

 その帝都まで続く街道をゆっくりと走る。

 馬車を引いているのは、八頭の白馬。

 どの馬もまるで、真珠のように白く輝いており、その毛並みも極上の絹のように、ふんわりと揺れている。

 そして、馬車と馬上には、正装した御者が二名。

 言葉は一切発さず、巧みに馬を操っていた。



「……居心地、悪いです」



 馬車の中。

 ふかふかの、赤い座席に腰かけながら、イルザードが不満を漏らす。



「ぼやくな」


「だって……」


「せっかく俺たちの為に手配してくれた馬車だ。黙って景色でも楽しんでいろ」



 そんなイルザードの横。

 腕組みをして、どっかりと席に座っていたガレイトが、たしなめるように言う。



「俺たち・・ではなく、ガレイトさんの為に、でしょう?」


「ブーブーブーブー、つまらん嫌味を言うな」


「ぶぅぶぅ」


「居心地が悪いと思うのは勝手だが、他人の気分まで害するんじゃない。──ほら、見てみろ、カミールを」



 ガレイトはそう言うと、顎でクイッとカミールをさした。



「わあ……! スゲー……!」



 カミールは対面の座席で膝立ちになり、馬車の外の景色に目を輝かせている。



「あんなに楽しそうにしているじゃないか」


「ガレイトさんこそ、見てください、他のふたりを──」



 イルザードはそう言うと、顎でクイッとブリギット、そしてサキガケをさした。



「ブリギット殿も、サキガケ殿も、緊張でカチコチになっています」


「……歩くか」



 ガレイトがそう言って、腰を浮かそうとすると──



「あっ、い、いいの。ガレイトさん」



 話を聞いていたブリギットが、それを制した。



「ブリギットさん……?」


「カミールくんも楽しんでるし、それに、えっと、あの……し、新鮮だし」



 そう言って、にっこりと笑うブリギット。



「……だいぶ言葉を選んだな」



 イルザードがぼそりと呟く。



「ブリギットさんがいいのでしたら、俺も構いませんが……でも、本当によろしいのですか?」


「え? な、なにが……ですか……? もしかして、なにか……」


「検問所から帝都までは、ほぼ直線ですが、そこそこ距離があるのです」


「どれくらい……?」


「そうですね。……この速さだと、おそらく明日の朝までには着くと思いますが……」


「明日の朝……」


「……大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫……! じっと座るのは、慣れてますので……!」



 ブリギットがグッと、自分に言い聞かせるようにして、その小さな手を握る。



「それに……せっかく手配してくれたのに、降りるのは──」



 ◆



 ガレイトたちが現在乗っている馬車は、検問所のふたりが手配したもの。

 当初、ガレイトが復帰すると勘違いしたふたりは、勢いそのまま、一番グレードの高い馬車を手配。

 ……したのだが、結局、一時的に帰国しただけと知り、落胆する。

 そして、そこへ馬車が到着。

 せっかくなので、と気を取り直し、一行に馬車に乗るよう勧める二人。

 しかし、もちろん無料のわけがなく、帝都までの金額を聞いた二人が青ざめる。

 それはおよそ、二人の給料を合わせた二か月分。

『キャンセルするなら。その分の代金も頂く』

 と、言われた二人は、死んだ魚のような目で言う。

『団に復帰してもしなくても、ヴィントナーズ団長は国の英雄ですし……』

『せめて帝都までの道を楽しんでください……ヴィントナーズ団長……』

 ガレイトは結局、『をつけろ』とは言わず、無言で頭を下げた。


 これが数時間前のやり取りである。



 ◆



「──いや、あれはどう考えてもあのふたりが悪い」



 イルザードがきっぱりと言い捨てる。



「悪かろうが、悪くなかろうが、彼らの好意を無下にするべきではないだろう」


「いやいや、悪意のない好意ほど、質の悪いものはありませんよ」


「バカ言うな。あの二人の顔を見ただろう。あれは覚悟を決めた者の顔だ」


「……そうですね。あれは向こう、二、三か月の間、パンと水のみで生活していく覚悟をした者の目でした」


「それに、こんな馬車、そうそう乗れるものじゃないぞ? たまたま、検問所近くの街にあっただけで……」


「さっきから色々と言い訳をしておられますが、ブリギット殿は居心地悪そうですよ?」


「……降りるか」



 ガレイトがそう言って、腰を浮かそうとすると──



「わ、私は大丈夫ですってば……!」



 ブリギットが、それを制した。



「も、もう、イルザードさん、私をダシに使うのはやめてくださいっ!」


「……ほう、なるほど。料理人だけにダシ・・というわけか」


「ち、ちがいますっ! ……というか、さっきからサキガケさんが、ひとことも話してないですけど……」



 ブリギットが心配そうにサキガケを見る。



「たしかに。やけにブリギット殿がツッコむな……と、思っていたら、サキガケ殿は機能停止していたか……」



 カミール以外の、その場にいた全員がサキガケを見る。

 サキガケは両手を膝の上に置き、馬車の隅、座席の端で縮こまっていた。



「……サキガケさん?」



 ガレイトが、サキガケの目の前でひらひらと手を動かす。

 すると、サキガケの体がビクンと跳ねた。



「──ハッ! なんでござろう!?」


「いえ、その、大丈夫ですか?」


「……ダメかもしれんでござる」


「え?」


「ダメかも……、しれないでござる……!」


「なぜ噛みしめるように二度……?」


「そういえば、サキガケさんってたしか、都会はあまり得意じゃなかったんですよね……」



 思い出したようにブリギットが言う。



「ニン。……得意じゃない、というよりも苦手、でござるな」



 ゴロゴロ……。

 かぽっ。かぽっ。

 街道を往く馬車の車輪の音。

 そして、馬の蹄が煉瓦レンガを叩く音。

 それだけが車内に響く。



「えっと……ご、ごめんなさい、私、あんまりその違い、わからなくって……」


「……拙者、もしかしたら、ダメかもしれないでござる」


「いや、あの、サキガケさん……なんで三度……?」



 ──パチンパチンパチン。

 突然、ガレイトがサキガケの目の前で、三度も指を鳴らす。

 しかし今回は、サキガケから反応が返ってこない。

 ガレイトとイルザードが眉をひそめる。



「が、ガレイトさん……? なんで三度も……」



 ガレイトは一旦、ブリギットの問いを無視すると、カミールを見た。



「わあ……! スゲー……!」



 カミールはさきほどから、ずっと・・・同じことを繰り返し呟いている。

 その目はどこか虚ろで、まるで何も見えていないようだった。



「ガレイトさん……これ……」



 イルザードが言うと、ガレイトは静かにうなずく。



「ああ……まずいな。幻覚魔法ヴィジョンだ」



 ガレイトが天井に頭をぶつけないよう、中腰のまま立ち上がる。

 イルザードは窓際に張り付いているカミールを引き剥がした。



「え? ……え?」



 慌ただしくなる車内。

 ブリギットは不安そうにキョロキョロと辺りを見回す。

 そして──

 辺りは、いつの間にか霧が濃くなっていた。

 まるで暗闇の中を、スポットライトで照らされているように。

 ガレイトたちの視界は、馬車を中心に、直径五メートルほどまで狭まっていた。



「これは……あいつ・・・か。──御者さん! 今すぐ馬車を止めてください!」



 ガレイトが声をあげるが、御者からの返事はない。

 それどころか、ピシピシと鞭で馬を叩き、速度をグングンと上げていっている。

 嘶く馬。

 路傍の小石を跳ね上げ、勢いよく回る車輪。

 ガレイトは舌打ちをすると、扉を開け──

 ダンッ!

 ひと息に外へと飛び出した。


 ──スタ!

 ガレイトはそのまま地面に着地すると、そのまま馬車と並走する。

 やがて、馬車の後方にある出っ張りを掴むと──



「スマン!」



 ギギギギギィィィィイイ……!!

 馬車を力任せに止めた。



「と、止まった……?」


「ブリギット殿、まだ外へ出ないでください……!」


「──え?」



 ブリギットとイルザード、二人の声が霧の中へと吸い込まれた瞬間。

 ──ズ。

 鋭く、長く、大きい、蜂の針のようなものが、霧の中から現れた。

 突剣レイピアである。

 その切っ先が睨んでいるのは、ガレイトの顔面。

 ガレイトは咄嗟に首を曲げ、突剣をスレスレで回避すると──

 ガシ!

 ……ボキ!

 突剣の刃を掴み、握力だけでへし折った。



「……でてこい、アクア・・・



 ガレイトはそう言うと、折れた刃先を霧の中へ放り捨てる。



「──へぇ、何年か遊んでいた割には、まだまだ動けるみたいですね」



 濃霧の中から声が返ってくる。

 ガシャン……ガシャン……。

 街道──レンガを、鉄で叩くような音。

 やがて、霧の中から出てきたのは、ひとりの美青年だった。

 サラサラとした青い髪。

 一見すると、さわやかな笑顔だが、その実、仮面のように張り付いたような笑みを浮かべている。

 着込んでいるのは空色の重鎧プレートメイル

 身長は一七五センチメートルほど。


 彼の名はアクア・パッツァ。

 イルザードと同じく、ヴィルヘルム・ナイツの騎士にして、二番隊の隊長である。


 アクアは折れた突剣を放り捨てると、地面に手をかざした。


 ──ピキピキピキ……!

 その手に、氷で出来た突剣が生成される。


 そして──

 パキパキパキ……!

 周囲の空気が結晶化していった。

 ガレイトとアクアの吐く息が白くなり、霧と区別がつかなくなる。

 アクアは胸の前で剣を構えると──



「死ねェ! ガレイトォォォオオオオ!!」



 喉が潰れそうになるほどの声をあげ、ガレイトに鋭い突きを繰り出した。

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