第87話 見習い料理人、バレる


 ヴィルヘルム国境付近検問所。

 舗装された道に、馬車が通れるほどのゲートがずらりと横に並んでいる。

 そして、そのゲートの先──

 そこには、一キロメートルほどの長さの巨大な橋が、渓谷の上に架けられていた。

 橋の下は、地面や川などは見えないほど深い。

 時折吹く風が、びゅうびゅうと音を立てている。

 出入国する者はおらず、検問所のゲート付近には男が二人。

 ヘルムを脱ぎ、重鎧プレートメイルを着て談笑している。



「ははは、そりゃおまえ、卵じゃなくてペーパーナイフだろ」

「いや、でもそんな間違い方は──あ、おい、あれ……」

「うん? なんだ?」



 男のうちの一人が、五人で固まって歩いていたガレイト一行を指さす。

 ガシャン、ガシャン、ガシャン。

 男のひとりが慌てて兜をかぶり、小走りでガレイトの所へと走ってくる。



「……わるい、イルザード。ちょっと貸せ」


「え? あ、ちょ……」



 ガレイトは麦わら帽子をひったくると──

 グィィイイイイイイ……!

 それが破れそうになるほど、深くかぶった。

 突然のガレイトの奇行に、カミールは首を傾げる。



「おーい、止まれ。ここから先はヴィルヘルムだ。通行証は特にいらんが、身元と所持品は改めさせてもらう」


「あ、ああ……! 手間をかけるな……!」



 甲高い声でその男に対応するガレイト。

 しかし──



「んん?」



 男が突然、首を傾げて唸る。

 ガレイトはビクッと肩を震わせた。



「……おや、もしやあなたは、イルザード隊長ではありませんか?」


「ほ……」



 男が兜越しにイルザードの顔を見て呟く。

 それを見て、ガレイトが安心したように息をついた。



「ん、ああ、そうだが……」



 イルザードは面倒くさそうに対応する。

 男は急いで兜を脱ぐと、気を付けをして挨拶をした。



「……ところで隊長殿、なぜビキ……水着を……?」


「いろいろあってな」


「い、いろいろ……ですか?」


「聞きたいか?」


「い、いえ、それよりも、どこへいってらしたのですか? 国王も探しておられましたよ?」


「散歩」


「ま、またまた……適当なこと言って……」



 男は困ったように眉をひそめる。



「それよりも、こちらの方々は、隊長殿のお連れ様でしょうか?」


「まぁ、そんな感じだな」



 腰に手を当て、ため息を吐くイルザード。



「こ、困ります。業務ですので、きちんと報告していただかないと……。いちおう、イルザード隊長のお連れ様ということで、身元確認と持ち物検査は省かせていただきますので……」


「あー……、この者とこの者」



 イルザードがブリギットとカミールを指さし──



「それとあと、隣にいるデカいのがそうだ」



 ガレイトを指さした。



「なるほど、お連れの方は三人ですね。……はい、問題なくお通り……おや?」



 男がガレイトを見て、固まる。



「そちらの方、どこかでお会いしたことは……?」


「あ、ありませんわ!」



 ワイングラスが割れそうなほど、甲高い裏声で答えるガレイト。

 その瞬間、一行に緊張が走り、イルザードが目頭をおさえる。

 男もそれを不審に思ったのか、ガレイトに詰め寄った。

 ──が、イルザードがすかさず両者の間に立って遮る。



「止めろ」


「隊長殿……?」


「……そんな古典的なナンパをするな」


「い、いえ、そんなつもりでは……というか、なぜナンパ……?」


「それより、この男がどうかしたのか?」


「いえ、その……少し挙動が不審だな、と」


「私のツレだぞ? 信じられんのか?」


「は──」



 男は口から出かかった言葉をグッと押しとどめると、一歩下がり、頭を下げた。



「いえ、そのようなことは……と、とにかく、こちらのお三方はわかりましたが、そちらの黒装束の女性は?」


波浪輪悪ハローワークの職員だ。話は聞いているだろう?」


「ああ、なるほど。ギルドの……」


「お初にお目にかかるでござる。拙者、さきがけと申す者でござる」



 一歩前に出て、簡単に自己紹介を済ませるサキガケ。



「はい。では、証明書のほうを……」



 サキガケは懐から、一枚のカードを取り出し、それを男に渡す。

 カードには、目が半開きになっている、サキガケの顔写真が載っていた。



「……はい。ありがとうございました。波浪輪悪のサキガケ様、ご本人様ですね。お待ちしておりました」


「ニン」


「……ニン・・? と、とにかく、ギルドの定例会は帝都にて行われます。そこで改めて説明を聞いてください……」


「かたじけない。……ちなみに、定例会はいつ開催するのでござるか?」


「明日です」


「ああ、明日。なるほどでござる」


「はい」


「──明日ァ!?」



 目を見開き、大声をあげるサキガケ。



「え、ええ……ですので、波浪輪悪の方々はとっくに、帝都へ……」


「あ、あぶなかったでござる……」



 そういって、滝のような冷汗をかいているサキガケ。



「それで、もういいか? 通っても」


「は、はい、どうぞ、お通りくだ──」



 ビュオウ!

 突風が吹き荒れ、男の口を塞ぐ。



「……あと、このように、今日は風も強いので、くれぐれも橋から落ちないように気を付けて……気を……落ちない……ように……つけて……落ちな……」



 ぷるぷるぷる。



「あ、あわわ……!」



 男は震える口で、指で、それ・・を指さす。

 そしてその指の先──

 突風で帽子を飛ばされたガレイトが、苦虫を噛み潰したような表情で立っていた。



「……へ? なに? へ? まじ?」



 男はまるでオバケ・・・でも見たような顔で、ガレイトを見つめ続ける。

 その様子を怪訝に思ったのか、遠くのほうで見ていた男が武器を持ってやってきた。



「おうい! 一体どうし……え? イルザード隊長? お帰りになられたのですか? しかし、なぜビキニ姿なんで……す……か……か……?」



 もうひとりの男も、ガレイトの顔を見た瞬間──

 ぱくぱくぱく。

 何も言わず、ただ口を開けたり閉じたりする。

 やがて──



「ヴィヴィヴィ……ヴィントナーズ団長!?」



 ふたりが声を揃えて、ガレイトの名を呼ぶ。



「あー……、元だ。せめて元をつけてくれ……」


「ししし、失礼しました! ヴィントナーズ団長!」



 ガチャン!

 ふたりは両足の踵をくっつけると──

 ビシィ!

 気をつけの姿勢をとり、手の甲を額に押し当て、ガレイトに敬礼した。

 ブリギットやサキガケ、カミールの三人は、ポカンと口を開けている。



「なぜ団長のガレイトさんには敬礼をして、私にはしないんだ……」



 口を尖らせて、ひとりぼやくイルザード。



「や、やめろ、やめてくれ……恥ずかしいやつらだな……」



 無理やり、ふたりの腕を下げさせるガレイト。

 ふたりは顔を上気させながら、ガレイトに熱い視線を送っている。



「俺はもう団長じゃないんだ。だからもう──」


「お、お会いできて光栄であります!」

「俺……いえ、自分は! ヴィントナーズ団長みたいになりたくて、この道に進みました!」

「じ、自分もです!」


「まさか、おまえたちも料理人に……?」


「いえ、立派な騎士に、です!」


「あ、ああ……そ、そうか……ありがとう……?」



 複雑そうな表情で首を傾げるガレイト。



「あ、あの、よろしければ、握手を……!」

「自分もお願いします!」


「あ、ああ……構わんが……」



 ガシ。ガシ。

 ふたりは交互に、ガレイトと握手を交わしていく。



「おお……! あの英雄ガレイトと握手を……!」

「ヴィントナーズ団長! 自分、もう一生、この手甲は洗いません!!」

「自分も……!」


「……いや、臭くなるから、使ったらきちんと手入れしろ」


「はい! 毎日手入れします!」


「──いや、するんかい!」



 どこからともなく、ツッコミが飛んでくる。

 するんかい……するんかい……するんかい……。

 そのツッコミはそのまま、谷底へと吸い込まれていった。



「──しかし、なるほど、イルザード隊長はこのために……!」



 ふたりが、イルザードに感謝するような視線を送った。

 しかしイルザードは特に何も言わず、楽しそうに黙っている。



「おお……! ということは、エルロンド殿みたく、団に復帰なさるのですね!」


「……おい、なにか、壮絶な勘違いが起きていないか?」


「こ、こうしちゃおられん……!」

「だな! 今すぐ、中央への連絡と、帝都へ行く馬車の手配をしなければ……!」



 ふたりは同時にうなずくと、鎧を揺らしながらどこかへ走り去っていった。



「……は?」

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