第65話 元最強騎士と季節外れの雪だるま


 ガレイトたちの乗っている船の厨房内。

 数時間前まで、床上やカウンターにごちゃごちゃと調理器具が散乱していた場所は、すっかり見違えるほど、綺麗に片付けられていた。

 食器類は棚の中へ。

 調理具は引き出しか壁へ。

 鍋類は焜炉コンロの上に重ねるようにして置かれている。



「ひとつ、思ったのですが、〝ムニエル〟と〝ソテー〟の違いって何なんでしょう?」



 厨房の片付けが終わり、一息ついていたガレイトが、その横で同じように休憩していたブリギットに尋ねる。

 ブリギットは「私もよくわからないけど……」という前置きをすると、そのまま話し始めた。



「まずは、使う油の量じゃないかな……」


「なるほど、量の違いでしたか」


「はい。ソテーは野菜なんかと一緒に、お肉を強火でさっと炒めるという感じかな……私のなかでの印象ですけど……」


「なるほど。では、ムニエルは?」


「えっと、ソテーよりも多い油で、火は弱めで、じっくり火を通す……? ……あ、あと、ムニエルだと、お肉に小麦粉をまぶすんですよ」


「なるほど。では、こちらは焼く・・というよりも揚げる・・・。……ほうが近いのですね」


「ちょっと違うけど、だいたいそういう感じですね……。あと、揚げるにしてもまたポワレとかフリットっていう調理法があるんだけど……」


「ほう。やはり、それも使う油の量の違い、でしょうか?」


「うん。本当はもっと、細かく、意味の違いがあると思うんだけど……おじいちゃんはべつに、そういうのは、あまり気にしないでいいって」


「──まぁ、認識としてはべつに間違っちゃいないな」



 厨房にティムの声が響く。

 ティムはブロック状に切られたカジキの肉と、食材や調味料の入ったトレイを、焜炉近くの調理台へと置いた。



「調理法や料理名なんてのは、その国や地域によって星の数あるが、要するに、美味いもんを作りゃいいのさ。名前なんて気にするのは、その後でいい」


「ティムさん。もう終わったのですか?」



 ガレイトが立ち上がり、のっしのっしとティムへ近づいて行く。

 それを見て、ブリギットもトコトコと後に続く。



「おう。まあ、材料自体はそこまで多くはねえが、最低限必要なもんは持ってきてる」


「たしかに、材料はそこまで多くないのですね……」



 ティムが持ってきた材料を見て、呟くガレイト。



「ああ。本来なら肉と、香味野菜なんかを一緒に焼いて、肉に香りを移す……てやり方が、一般的だが、この船にはそんなものはない。ならどうするか……わかるか? ガレイトさん」


「そうですね……どうしましょう」



 ガレイトが困惑したように訊き返す。



「おいおい。あるもんでやるしかないだろう。……聞こえは悪いかもしれんが、ムニエルっつーのは、そこまで難しい料理じゃない」


「そうなんですか?」


「そう。……ただ、シンプルがゆえに、料理人の腕が試される料理でもある」


「うで……ですか」


「ああ。世の中には仕込みに何日もかけたり、色々な食材や調味料を使った料理があるが……あれは材料がそろっていて、手順さえわかってりゃ、素人でもそれなりの物は作ることが出来る。……だが、こういう誰でも作れる料理ってのは、そのぶん料理人としての、プロとしての何かしらの付加価値をつけてやらないと、客は食べに来ねえんだ。金を落としていってくれねえ。つまり、普通にやってりゃ商売として成り立たないんだよ」


「な、なるほど。簡単だけど、奥が深い……それがムニエルなんですね」


「まあな。……あと、じつはもうひとつ、料理の腕とはべつに、もっと簡単に素人の料理と差別化することが出来るんだよ」


「それは……?」


「じ、上質な食材、調味料を使う……ですか?」



 話を聞いていたブリギットが、遠慮がちに答える。



「そうだ。簡単だったな。上質な食材。名のある生産地が卸した物ってのは、それだけで武器・・になる。これは間違いない。それを使うと、たいていの料理はなんとなる」


「そ、そうなんですか!? では、俺も──」


「まあ、並みの腕を持っていれば、という前提条件はあるがな」


「う……」



 ガレイトが俯くと、ブリギットが「あはは……」と苦々しく笑った。



「だからその点、この年老いたセブンスカジキってのは、これだけで十分すぎるほどの付加価値がついた料理・・なんだ。……あんたらもさっき見たろ? 毒があっても食いたいと思っている人間は、世の中にごまんといる」


「たしかに。あの、毒に侵されているかもしれないセブンスカジキに、お金を払おうとしている方はたくさんいましたね……」


「そう。ただ、それだけじゃなかった。俺の居た頃のオステリカ・オスタリカ・フランチェスカは、これらの最高の食材と、それを最大限に活かす腕を持った、最高の料理人、ダグザさんがいた。まさに、これ以上ない最高のレストランだったんだよ。だから俺はあの人に憧れ続けた」



 ティムは震える手を誤魔化すように強く握ると、ブリギットをまっすぐ見て続けた。



「それで……ブリギットさん、今のオステリカ・オスタリカ・フランチェスカはどうだ?」


「え? そ、それは……あの……えと……」



 ティムの問いに、ブリギットは言いにくそうに俯いた。



「……はは。悪い、プレッシャーをかけ過ぎたか?」


「うぅ……」


「だが、それでもやっぱりあの人はすごかった。今すぐに、ダグザさんみたいになれ。……なんて言わん。ブリギットさんも、この旅でいろいろなものを見て、勉強すると良い。──そのために、まずは俺が教えられることは全部教えるつもりだ」



 ティムはそう言うと、自身の胸をドンと叩いた。



「は、はい……! ありがとうございます!」


「よし、なら、差し当たってはまず、この料理だ。……たしか、ガレイトさんも料理人志望だったよな?」


「ああ、はい」


「小手調べだ。試しに、俺が切ったこのカジキの切り身に小麦粉を振ってくれないか」


「小麦粉を……ですか? わかりました」



 ブリギットが不安そうな顔でガレイトの顔を見る。



「……ただし、唐揚げにするわけじゃないから、そんなにガッツリつけないでも──」


「出来ました!」


「いや、早いな! ……ただまあ、作業が早いってのはいい事だ。その分、店の回転率も上がる。あとはより正確に、丁寧にだが……さて、どれどれ……?」



 ティムが視線を落とすと、そこには雪だるま・・・・が置いてあった。

 ティムは雪だるまとガレイト、そしてブリギットをしばらく見比べると、静かに腕を組み、眉間に皺を寄せ、「う~む……」と唸った。

 それを見たガレイトが、期待するような視線で口を開く。



「いかがでしょうか、ティムさん」


「あー……、可愛い雪だるま……だな?」


「雪だるま……?」


「いや、そこに疑問を持つなよ。俺が変みたいじゃねえか」


「いえ、なんというか……急に雪だるまとか言われても……」


「自覚、ないんだな。むしろ、雪だるまを意識してないのに、なんで小さい丸と大きい丸が縦で繋がってんだよ。怖ぇよ」


「え? ……よくわかりませんが、怖がれせてしまったのなら謝罪します」



 真顔で頭を下げるガレイト。

 ティムは頬をポリポリと掻くと、ブリギットの顔を見た。



「……なあ、ブリギットさん、ガレイトさんってちょっとアレなのか?」


「う、ううん……ガレイトさんはいつも、真面目だと思います……」


「あー……ていうか、魚はどこ行ったんだよ。明らかに体積変わってるだろ」


「魚は……ほら、ここに」



 ガレイトはそう言うと、小麦粉で出来た雪だるまを崩し、中からカジキの肉を覗かせた。



「ほら、カジキさん、こんにちは」


「あー、ほんとだー。しかも下の雪玉にも、お肉が入ってるー。あの一瞬でどうやったのー?」


「それはですねー……」



 完全に悪ふざけのノリになっているおっさん二人に、顔を引きつらせるブリギット。

 うふふ……。

 あはは……。

 二人はしばらく、気色の悪い笑い声をあげると──


 ドヴォン、ドヴォン、ドヴォン。

 ティムが、手近にあったフライパンに大量の油を注ぎ始めた。

 ガレイトもブリギットも、それをただ無表情で見ている。

 ティムはコンロの火を最大にして、その油が十分に熱されたと判断すると、さきほどの雪だるまを一気に、煮えたぎる油の中へ投入した。


 ジャゴァァワアアアァァアア!!

 油の中で大量の気泡が発生し、ものすごいを立てながら雪だるまがキツネ色に揚がっていく。

 ティムはしばらくしてそれを取り出すと、ガレイトの口へ押し付けた。



「ぁあ熱ッ……!? な、何を……!?」


「おまえがふざけて作ったんだ。料理人は最後まで食材に責任を持て」


「ええ……? 俺はふざけてなんて、いませ……」


「いいから食え」



 ティムの剣幕に圧され、ガレイトはあつあつの雪だるまをつまむと、一気に口の中へと入れた。

 ほくほく。

 はふはふ。

 ……ごくん。

 雪だるまを飲み込んだガレイトは、ふぅ、と一息つき、無言のまま厨房を出て行った。



「……なんだ、どこ行ったんだ?」


「た、たぶんトイレ……かも……」



 ブリギットが心配そうにつぶやいた。

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