第54話 元最強騎士、家に帰る


 ぐつぐつぐつ……。

 薄く切られた熊肉が、味噌を溶かした鍋の中を泳いでいる。

 ブリギットはその肉をおもむろに箸で掴むと、生卵を溶いたお椀の中に肉をつけ、口の中へと入れた。

 もぐもぐもぐ……。


 言葉は不要。

 ブリギットの大きく開いた目が──つやつやの肌が──その料理が美味だということを雄弁に物語っていた。


 ゴクリ。

 思わず生唾を飲み込む、ガレイトとモニカ。

 熊肉は嫌いだと言っていたサキガケでさえ、ブリギットに羨望の眼差しを向けている。

 三人は、まるで餌を待つ雛鳥のような顔で、ブリギットを取り囲んでいた。

 やがて──

 ゴクン……!

 ブリギットがその肉をゆっくりと飲み込むと、ガレイトがおそるおそる、わかりきっている・・・・・・・・事を訊いた。



「ど、どうですか、ブリギットさん……美味しいですか?」


「お……」


「お……?」


「美味しい……!」



 ブリギットが何とも言えぬ、呆けた顔でそう答えると、なぜか厨房内に歓声が沸き起こった。



「熊肉のしっとりとした脂身が、濃厚なミソと上手く絡み合っていて、すっきりとした生卵がそれを嫌味なく引き立ててる……!」


「臭味は……?」



 モニカが尋ねると、ブリギットは首を左右に振った。



「ないよ!」


「おお……!」



 再び、厨房内に歓声が起こる。



「……まあ、卵の大量調達は無理だとして、それを踏まえたうえだと、味はどう?」


「ミソ自体がお肉の臭いを消してくれてるから、卵がなくても大丈夫かな」


「今回卵が手に入ったのはほとんど奇跡ですからね」



 しみじみと言うガレイト。



「そ、そうだね……私が鴨さんに運ばれて、落とされた巣で偶然発見しただけだもんね……でもでも、それだけでも十分美味しいと思うよ……!」


「うん、ブリの幸せそうな顔をみたらわかるよ」


「そ、そんな……顔をしてた?」



 ブリギットは恥ずかしそうに、帽子を深くかぶって顔を隠した。



「でもこれで、ご当地鴨熊フェアで出せる料理が決定したね」


「素材の味を活かした鴨鍋に、ミソと上手く調和した熊鍋……」


「これは、火山牛の時よりもいけるかもね」


「はい。熊鍋に至っては、サキガケさんのお陰です。まさか、あんなに大量にミソを持っていたなんて……」



 そう言っているガレイトの視線の先には、味噌の入った桶が山のように積み重なっていた。



「ニン、気にしないでいいでござる。拙者、味噌や醤油があれば基本なんでも食べられるので、とりあえず、それだけは肌身離さず持っていたのでござる」


「ああ、なるほど……なるほど?」


「改めて、ありがとうね。サキガケさん。今度、このお礼するから」


「ニンニン、気にしないでいいでござる。拙者の国では安価で手に入る調味料ゆえ、そんなもので見返りを要求するのは、逆に申し訳ないというか……」


「そうはいっても、グランティではミソなんてそもそも手に入らないし……売ってたとしてもかなり高価だしね……」


「──そうだ。では、これのお礼として、俺がサキガケさんの案内をするということでどうでしょうか?」


「あ、それはいいでござるな」


「ん、そうだね。まあ、それが一番丸く収まるかも」


「じゃあ改めてよろしくお願いするでござる。がれいと殿」


「はい、こちらこそ」


「うん……あとは、明日からフェアを開催するとして……フェアが終わるのは四日後か、五日後……なんだけど、サキガケさん、迷わずにここに来れそう?」


「む、難しい……かもでござる」


「なら、ガレイトさんの泊ってるホテルに泊まるのは……」



 モニカがガレイトの顔を見ると、ガレイトは静かに首を振った。



「なにやら最近はホテルも盛況のようで、空き部屋がないと支配人さんは嬉しそうに仰っておられました」


「そっかぁ……じゃあ、一緒の部屋には……?」


「すみません、部屋もすでにいっぱいで……」


「だよねぇ……」


「えっと、そういう問題なの……?」



 ブリギットが小さくにツッコむ。



「なら……、うちで、短期間住み込みで働いてみる?」


「……え?」



 ◇



 ご当地鴨熊フェア当日。

 大盛況のホール内には、忙しくなく歩き回るガレイトのほかに、いつもの忍び装束を脱ぎ、ウェイトレスの服に袖を通しているサキガケの姿があった。

 サキガケは、後ろに結んだ髪をぴょこぴょこと動かしながら、慣れない仕事に悪戦苦闘していた。



「おーい、こっち熊肉追加だ!」

「こっちは鴨肉おねがい!」

「ニン……!」


「すみません、お会計おねがいします」

「ニンニン……!」


「わるい! 飲み物無くなっちまった! 注いでくれ!」

「ニンニンニン……!」


「おぅい姉ちゃん!」

「ニン……?」

「可愛いな。あんた、ここら辺の子じゃねえだろ」

「店が終わったら、俺たちと遊──」

「──すみません、お客様。他のお客様のご迷惑になるので……」

「ひっ!? が、ガレイトさん!?」

「な、なんでもねえんだ……! なんでも……!」



 ご当地鴨熊フェアは多少の波乱や騒動があったものの、モニカの目論見通り五日間続き、普段食べられない珍しい肉や、ブリギットが料理すると聞ききつけた客たちが押し寄せ、火山牛キャトルボルケイノフェアに続き、大成功を収めたのであった。



 ◇



 翌日。

 まだ、前日までの、ご当地鴨熊フェアの疲れが抜けきっていない頃。

 旅の支度を終えたガレイトとブリギット、そしてサキガケの三人が、オステリカ・オスタリカ・フランチェスカの店の前で整列していた。

 見送りは、痩せてスラッとしているモニカと、二階の窓から頬がパンパンに腫れたグラトニーが顔を覗かせている。



「じゃあ、行ってくるね、モニモニ」


「うん、気を付けるんだよ。……ガレイトさん、くれぐれもこの子のことをお願いね」


「はい。お任せください」


「サキガケさんも、出来ればでいいから、ブリの事気にかけてあげて」


「ニン! 承知したでござる」


「ちょ、ちょっと、モニモニ、恥ずかしいから、そういうのは……!」


「ああ、ごめんごめん。こういうの初めてだから、あたしのほうが緊張しちゃってるのかもね……」



 照れくさそうに頭を掻くモニカ。

 そんなモニカを見て嬉しくなったのか、ブリギットはその小さな手で、そっとモニカの手を握った。



「モニモニ、お土産、いっぱい買ってくるからね」


「いやいや、そういうのはいいから」


「買ってくるから。モニモニのために」


「……はいはい。期待しないで待っとく。んじゃ、しっかり経験してくるんだよ」


「なんか、もう完全に母親じゃな」



 二階から呆れたようなツッコミが降ってくる。



「ブリギットさん、そろそろ……」


「う、うん……!」


「では、モニカさん……」



 ガレイトはそう言って、頭を下げる。



「はい、いってらっしゃい」


「いってきます」



 三人はそう言うと、揃って歩き出した。

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