第40話 元最強騎士と吹っ切れる料理長


「はぁ……ッ! はぁ……ッ! はぁ……ッ! はぁ……ッ!!」



 相変わらず薄暗い山中にて、顔面蒼白。

 ブリギットは切り分けられた鴨肉を前に、失神寸前まで追い込まれていた。

 その手には、近くにあった、比較的頑丈な石を削り出して作った石包丁。

 ブリギットは、使い慣れていない感触を確かめるように、何度も、ぐっ、ぐっ、握るが、結局、なかなか踏ん切りがつかないのか、その刃で肉に触れようとしない。

 やがて、ブリギットは満天の星空を仰ぎ、ふぅっと短く息を吐くと「今日は終わりにしましょう」と言った。



「ダメです」



 それを見ていたガレイトがぴしゃりと告げる。



「だってだって……」


「だってじゃありません」


「でもでも……」


「でも、でもありません」


「なんか動いてるし……」


「動きません」


「動きそうだし……」


「動きません」



 優しく諭すようにガレイトが続ける。

 鴨肉トラウマを目の当たりにして、若干鈍くなっているのか、ブリギットはごく普通にガレイトと会話をしていた。



「いいですか、ブリギットさん。あなたはオステリカ・オスタリカ・フランチェスカの、謂わば一国一城の主です」


「わ、私が……?」


「そう、あなたが。ですから、なるべく自覚を持って──」


「でも、モニモニのほうが……それっぽくない……かな?」


「………………」



 核心を突かれ、押し黙るガレイト。



「ガレイトさん?」


「……ああ、すみません。気絶していました」


「が、ガレイトさんでも気絶することってあるの……?」


「ええ。しょっちゅうです。話を戻しますが……ブリギットさん、以前のトラウマが頭をよぎるのもわかります。事実、団にもそういった兵は多数いました。ですが結局、やらなければやられるだけなのです」


「やらなければ……やられる……」


「はい。戦場の鉄則です」


「でも、お店は戦場じゃ……」


「同じです。飛び交っているのが武器か料理かの違いです」


「料理は飛び交いませんけど……」


「飛び交います」


「えぇ……」


「それに、この場合のやられるというのは、人の死ではなく、店の死です」


「お店の……」


「先日の火山牛キャトルボルケイノフェアを思い出してください。人々が求めているのは、やはり肉なのですよ」


「お肉……」


「野菜もうまいですが、やはり食べた後の充足感、食後の満足度などは肉のほうが強いと思うのです」


「それ、ただ単に、ガレイトさんがお肉が好きなだけなんじゃ……」


「………………」



 ガレイトが開いていた口をパクッと閉じると、静かにブリギットを見た。



「……が、ガレイトさん?」


「ああ、すみません。気絶していました」


「ほ、本当によく気絶するんですね……すごい……」


「ええ。困ったものです。……ですが、やはり使える武器を増やす、というのも手だと思うのです」


「武器……?」


「はい。大衆の好みが肉食なのか菜食なのか、はたまた虫食なのかは置いておいて、どの要望にも手広く対応できるのは大きな武器となります。逆に言えば、いまのブリギットさんは、自分からそれを縛っておられる状態。もったいないです」


「でも、お肉はモニモニが捌いてくれるし……」


「え?」


「味付けも、言った通りきちんとしてくれるよ……?」


「……いえ、しかし、モニカさんの本業はウェイターですし。そこまで手が回らないのでは」


「今はガレイトさんもいるんじゃ……」


「………………」


「……が、ガレイトさん?」


「ああ、すみません」


「どうかしましたか? もしかして、また気ぜ……?」


「いえ、これからの事について考えていました」


「これからの事……ですか?」


「はい。これから、オステリカ・オスタリカ・フランチェスカの売上が軌道に乗って、また全盛期のような──いえ、それ以上に盛り上がるようなことになれば、モニカさんもこれまで通り、ブリギットさんを助けてくれなくなってしまうかもしれません」


「そう……かも、ですね。はい」


「でしょう? そうなってしまうと、今度こそブリギットさんおひとりで、肉を捌いたり、調理したりしなければなりません。そうなった場合は──」


「雇います」


「……え?」


「そうなったらお金もいっぱい入ってくるだろうし、肉の調理を専門にしてくれる人を雇います。レイチェルさんとか」


「………………」


「が、ガレイトさん? なんで、私をじっと見──」



 ガレイトは静かに、それでいてゆっくりと、ブリギットの包丁を持っているほうの手を掴んだ。



「動かないでください」


「……へ? ガレイトさん、な、何を? いや、ちょ……」



 ブリギットが疑問を口にする余地もなく、ガレイトはその鴨肉を即座に、一口サイズに切っていった。



「ほ、ほんでゅらーーーーーーーーーーーーーーーーす!!」



 一刀、また一刀。

 鴨肉が切り分けられるたびに、ブリギットの逞しい叫び声が、夜の湖畔にこだまする。

 その声に呼応するように、うつぶせのまま動かなくなっていたグラトニーの体が、ビクンと跳ねた。



「うぅ……ぐすっ、ずずず……〇✕◇▲※……◆〇……ッ!」



 ブリギットは涙やら鼻水やらにまみれながら、意味不明な言葉を、のべつ幕無しにまくし立てている。



「ほら、切れた」



 にこやかな顔でブリギットに語り掛けるガレイト。

 ブリギットは喚くのをピタッと止めると、ゆっくりとガレイトを見上げた。



「ほんまや」


「……まだ息苦しかったり、視界がかすんだり、トラウマがよぎったりしますか?」


「しません……しません!」


「それはよかった」


「やったー! やったよー! ありがとうガレイトさん!」


「………………」



 それを聞いていたグラトニーは、最後の力を振り絞ると、自身の手の甲を思い切り地面に叩きつけた。



 ◇



 ぐつぐつと煮えたぎる鍋。

 そこには先ほどとは全く違った、澄んだスープと一口大に切られた鴨肉が入っていた。

 ガレイトはいそいそと、その中の具とスープをバランスよく三人分取り分ける。



「いただきます」



 やがてガレイト、ブリギット、そして、相変わらずうつ伏せのままのグラトニーが声を揃える。

 ガレイトは逸る気持ちを抑え、まずは鴨肉の脂が染み出したスープに口をつけた。



「ずずず……」



 ゆっくりと、味を確かめるように、琥珀色の澄んだスープを口に含むガレイト。



「う、うまい……!」



 ガレイトが目を見開く。



「鴨肉が持っている本来の旨味……でしょうか? 調味料を一切使っていないのに、この香りが鼻から抜けていく感じ……たまりません」



 ガレイトは次にスプーンを使って、あつあつの鴨肉を一口頬張った。

 もぐもぐもぐ……、

 味を、食感を楽しむように目を閉じて咀嚼するガレイト。

 そして、ゆっくりと、惜しむように肉を飲み込んだ。



「肉もうまい……体が大きかったので、肉の味も大雑把に、ぼやけると思っていましたが、むしろそのぶん、適度に身が引き締まっていて、噛み応えもよく、雑味がない」



 ガレイトはそう呟くと、すかさず肉を口へと運んだ。



「ふむ、やはりすこし臭みもありますが……これはこれで、好みの方もいらっしゃるはず。俺もこのくらいなら全然……これは十分、お店で出せますよ! ブリギットさん!」



 ガレイトはそう言いながらブリギットのほうを向く。



「はぐはぐ……まむまむ……」



 ブリギットも一心不乱に、口元に手を当てながら鴨肉を食していた。

 ほどなくして、噛みしめるように肉を飲み込んだブリギットが、驚いたようにガレイトを見つめる。



「お、おいしい……久しぶりにお肉食べたけど、やっぱりおいしい」


「そうでしょう? お肉は美味しいのです。だからこそ、我々は食材に感謝しなければいけないのです」


「うん。……やっとその意味が分かった気がする。鴨さんは今、私の中で私を生かしてくれているんだね」


「はい。きっとそうです。間違いありません」


「あ、ありがとう、ガレイトさん……」



 ブリギットはそう言うと、目を伏せながら、照れくさそうに小さく微笑んだ。



「……しっかし、こんな妾を放置して、おぬしらよくそんな堂々とイチャコラできるの」



 相変わらずうつ伏せのグラトニーが、その体勢のまま声を出す。

 グラトニーの前には、椀に入った鍋の具材が供え物のように置かれていた。



「い、イチャコラなんて……もう! グラトニーちゃん、何言ってるの!」



 バシバシ!

 ブリギットが恥ずかしそうにグラトニーを叩く。



「……ですが、よかったです。無事、意識を取り戻されて」


「いや、無事じゃないが。明らかに致死量の猛毒だったんじゃが……じっさい、口は動くが、体は動かせんし」


「グラトニーさん、俺たちの間では、死んでいなければ、死んだことにはなりま……いえ、このような目出度めでたい祝いの席で、そのような話題は相応しくありませんね」


「いや、めでたくないが」


「グラトニーさんも召し上がってください。ブリギットさんの作った鴨鍋は絶品ですよ」


「いや、食べられんが」


「グラトニーちゃん、あとで私が、あーんしてあげるね」


「おう、ありがとう。……まあ、小娘の腕もあるかもしれんが、そこまで美味いとなると、やはり、この鴨に作用しておる物・・・・・・・も関係あるじゃろうな」


「作用してある物……竜の血ですか?」


「うむ。竜の血がもたらす効能というのは他所多様での。妾のように怪我をした者が摂取すれば怪我も治す万能薬に。元気な者が摂取すれば、その者が内に秘めておる力を何倍にも増幅してくれると聞く」


「そのような効能が……」


「……つまり、今回の場合は、鴨本来の〝旨味〟も増幅されたということじゃな」


「なるほど……ではなおさら、グラトニーさんに食べていただかなければいけませんね」


「いや、だからこの体勢じゃ食えんが」


「さすがグラトニーちゃん、物知りなんだね」


「くくく……おめでたい娘じゃ。まだおぬしらが置かれている立ち場を理解しておらんようじゃの」


「ど、どういうこと……?」


「要するに、じゃ。その鴨の血肉を喰ろうた貴様らも同様に、旨味が増幅されておるという事。今の貴様らの血肉はさぞうまかろうの……くく、くくく……」


「そういえばブリギットさん」



 ガレイトが思い出したように、ブリギットのほうを見る。



「は、はい、なんでしょぉ……?」


「いや、聞けよ」



 グラトニーがすかさずツッコミを入れるが、ガレイトは構わず続ける。



「グラトニーさんとの会話で思い出したのですが、体のほうは大丈夫ですか?」


「体……? どうして……?」


「ああ、いえ、べつに変な意味ではなく、この鍋……というかこの肉、竜の血が入っているので、その副作用とかが出ていないのかな、と」


「あ、全然、大丈夫……です……?」


「なんじゃ、疑問形じゃの」


「えっと、でも、ちょっとだけ、体があったかくなってきた……かも? 鍋だから……かな?」



 ブリギットはそう言うと、その小さな手で、パタパタと若干赤くなっている顔を扇いだ。



「吐き気や、どこか痛かったりとかは……?」


「はい、とくには。そんな、鴨さんみたいに体が大きくなったとかは……ないかな……」


「よかった。ということは、この鴨肉、お店で出せますね」


「あ、そうですね……!」



 ガレイトに言われて気づいたのか、ブリギットもニコッと笑ってみせた。



「モニモニも喜びます……! 私もうれしいです!」


「やはり味見しておいて正解でした」


「妾は無駄にダメージを負っただけなんじゃがな」


「……ということで、グラトニーさん。明日は荷物運びよろしくお願いしますね」


「いや、鬼か!」



 こうして、ガレイトたちは予定外の野宿を余儀なくされることになったが、その日、山にはガレイトとブリギットの楽しそうな声が響いた。

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