第39話 元最強騎士、ヤる


「──は!? こ、ここは……!?」



 ビクゥッ!

 まるで、陸に打ち上げられた鮮魚の如く、ブリギットが体を大きく震わせる。

 ブリギットはキョロキョロと慌ただしく辺りを見回した後、ガレイトが一刀両断した巨大なグランティ・ダックの頭部を見るや否や、白目を剥いて気絶した。



「……何回目じゃ?」



 ブリギットの傍らに座っていたグラトニーが、焚火に向かって大きなため息をつく。



「五回目です」



 五回目。

 つまり、ブリギットが起き上がって、気絶して、を繰り返しての五回目。

 グランティ・ダック討伐時、まだ明るかった空からは陽が落ちて、辺りはすっかり暗くなっていた。



「もう、そのまま小娘を連れ帰ればいいじゃろ。鴨ももう、パパが丁寧に部位ごとに分けておるし」



 頭、首、胸、羽、足……と綺麗に切り分けられたグランティ・ダックの各部位を、グラトニーが指さしながら言う。

 重さにして約五百キログラム。およそ二千人前の鴨肉である。



「……肉自体の重さは大したことありませんが……」


「いや、十分大したことあると思うが」


「気絶しているブリギットさんを抱えながら、俺とグラトニーさん二人で運べる量ではありませんからね」


「妾が言うておるのは、必要な部位だけ残しておいて、残りを置いて帰ったらええじゃろと言っておる」


「ああ、なるほど。……ですが、俺としてはなるべく、すべての肉を持ち帰りたいのです」


「欲を出しとる場合か。なんなら、また小娘と一緒に狩りに来ればよかろう。今回は気絶して、ダメじゃったけども」


「たしかに、この肉を持って帰れば、今のオステリカ・オスタリカ・フランチェスカを助けることにも繋がりますが、それとはべつに、ここに置いておけば、間違いなく別の動物に食べられてしまうでしょう」


「……なるほどの」


「そうすればまた、連鎖的にこのような被害を生んでしまうかもしれません」


「ある程度竜の血は薄まっておるとは思うが、それでも完全に影響が出ないとは言い切れんしの。この鴨がアホみたいにデカくなっとるのを見るに、やはり相当な力を持つようじゃ」


「はい、ですので、こうしてブリギットさんが起き上がってくれるのを待つしかないのですが……」



 ぐぅ……。

 ガレイトの腹から音が鳴る。



「おいおいパパよ、こんな状況で腹を減らしてる場合では──」



 ぐぅ、ぎゅるるぅぅうん……。

 ドルンドルン、ドゥルルルルルルル……ォォォオオオン!!

 まるで大型バイクの排気音のような音が、周囲の山々に反響する。



「なぁ、パパよ。なんじゃそれは。地獄からの呼び声か?」


「……そういえば、昨日から何も食べていませんでした」



 恥ずかしそうに頭を掻くガレイト。



「いや、腹の虫かい! どうなっとるんじゃそれ……」


「申し訳ない。以前は……騎士をやっていた頃は、ここまで腹が鳴ったことはないのですが……ダグザさんにお会いしてからですね」


「食の喜びを知ってからか」


「はい」


「……ああ、そっか。この空間でツッコめるの妾だけじゃったな……」


「え?」


「いや、なんでもない。……それならなおさら、そこにある鴨肉を自分で食べる分だけ調理すればよかろう。パパってば料理人なんじゃろ?」


「そうですね。見習いではありますが」


「今はなぜか給仕をやっとるが……どうなんじゃ? 自分で食べる分だけなら減らしても問題なかろう」



 グラトニーに言われ、鴨肉を一瞥するガレイト。



「いえ、なんというか……」


「それに、竜の血が入っておったのなら、どのみち誰かが試食せんと料理として提供できんじゃろうし」


「それは……そうですが……」


「というか妾、パパの料理の試食係として雇われてはいるものの、今のところ一回もパパの手料理食った事ないんじゃが、いつになったら作ってくれるんじゃ?」


「あの……」


「いままで散々、あっちこっちと旅をして、色々な料理を勉強したのじゃろ? 妾、地味にパパの作る料理、楽しみにしとるんじゃが」


「では……食べてみますか? 俺の料理」



 ◇



「……なに、このニオイ」



 ブリギットが目をこすりながら、むくりと起き上がる。

 さきほどと同じようにキョロキョロと辺りを見回すが、そこでブリギットが固まった。



「ぐ、グラトニーちゃん!?」



 ぐつぐつと黒色の何かが煮えたぎっている鍋の横で、死にかけの蚊のように、時折ぴくぴくと痙攣しているグラトニーが、器を片手に倒れていた。

 そして、その横ではガレイトが明後日の方角を向きながら、ぶつぶつと独り言を呟いている。



「なにこの状況! ……なにこの状況!?」



 あまりの事に、二度同じことを叫ぶブリギット。

 その叫び声を聞いたガレイトは、ブリギットに向かって口を開いた。



「ああ、起きましたか。ブリギットさん」



 ガレイトの顔を見るなり、ブリギットは両手で軽く視界を覆った。



「な、なにが……どうなってるんですか……? なぜグラトニーちゃんを……?」


「なにか、よくない勘違いをしておられる様子ですね……じつは、グラトニーさんに料理をせがまれまして、それで、俺なりに今までの知識を総動員して鴨鍋を拵えてみたのですが……どうやらお気に召さなかったようで……」


「お気に召さないというか、起き上がれないというか……何入れたんですか……?」


「とりあえず、適当な肉と、内臓と、あとは臭み消しに使えそうな野草を少々……」


「調味料は……ないですよね……」


「はい。ですが、鴨自体から旨味が出ると思ったので」


「うーん、べつに話を聞いてる限り、変な作り方は……ん?」



 ここで、ブリギットがふと指の隙間からガレイトの足元に視線を落とす。

 そこには鍋に使ったであろう、野草が散らばっていた。



「が、ガレイトさん、それ……」


「……ああ、この野草ですか?」


「はい……」


「これは水辺で群生していて……ニラですよね?」


「それ、スイセンじゃ……?」


「スイセン? 花は咲いてませんでしたよ?」


「それは時期が……それと、その横にあるの、トリカブトじゃ……」


「え? これ、ネギじゃないんですか?」


「さすがにトリカブトとネギは何もかもが違うよ……」


「ほう……勉強になります」



 ガレイトはそう呟くと、カリカリと手帳に記入していった。



「あの……し、試食は?」


「じつは俺、あまり自分で試食はしないようにしているんです」


「な、なぜ……?」


「些細なことで腹を下してしまいますので。ですから、勘と経験と、匂いを頼りに料理を作っているのです」


「な、なるほど……! ……なるほど?」



 首を傾げるブリギット。



「それで思い切って、ニラの球根・・も入れてみたのです。ほら、こういう野菜って、上の部分よりも下の部分のほうが、効果は大きいでしょう?」


「それは一概には……って、きゅ、球根……? ニラに球根はありませんけど……」


「え?」


「え?」



 ぶつかる両者の視線。

 静まり返る夜の湖畔。

 パチパチと、焚火から時折聞こえる音のみが、夜空に吸い込まれていった。

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