第35話 元最強騎士の元部下の記憶



「──おい、起きろイルザード」



 時は遡り、場所も変わり、ここはヴィルヘルム帝国。

 ヴィルヘルム・ナイツ訓練場横に併設されてある、特別救護室。

 ベッドのシーツやカーテン、薬棚、備え付けの四脚の椅子がすべて白色で統一された、殺風景な部屋。

 そこのベッドの上に横たわっていたイルザードに、ガレイトが声をかけた。

 そのガレイトはいつものエプロン姿ではなく、頭部以外を覆う重鎧プレートメイルを着込んでいる。

 ガレイトの声を聴いたイルザードは、ぼんやりと目を開けると、かけてあった布団を慌てて引きはがした。

 イルザードもワンピースではなく、鎧の下に着こむような、体の線が出るほどの黒いインナーを着ていた。



「……が、ガレイトさ──ッ!?」



 肘をつき、上体を起こそうとして、ボフッと頭から枕に落ちる。



「ふむ……まだ起き上がるのは厳しいか」


「い、いえ……このくらい……」



 グググ……と、何とかして体を起こそうとするイルザードの額に、ガレイトが優しく手を置く。



「もう寝ておけ」


「す、すみません……」



 イルザードはそれ以上何も言わず、ガレイトの言う通り、静かにベッドの上に横たわった。

 それを確認したガレイトは、近くに置いてあった椅子をベッドの隣まで持って来、そこにどっしりと腰を下ろす。



「しかし、珍しいな、おまえが俺に稽古をつけてほしいなど」


「……そうでしょうか」


アクア・・・の影響でも受けたか?」


「冗談はやめてください。あいつみたいに、殺す気で斬りかかっていません」


「そうだな。だが、いつもより気迫が段違いだった。……理由を訊いていいか」


「ガレイトさんが団を辞するので、その前に技術を盗めるところは盗んでおかねばなと」


「フム、なるほど」



 訊きたいことを訊き終えたのか、ガレイトはゆっくりと立ち上がる。



「では、そういう事・・・・・にしておこう。……あとは頼んだぞ、イルザード」



 ガレイトはそれだけを言い残すと、ゆっくりと立ち上がり、救護室から去ろうとした。



「本音は──」



 イルザードが静かに、それでいてしっかりとガレイトにも届くような声を上げる。



「本音は、ガレイトさんをボコボコにして、足腰を立たなくさせるつもりでした」


「どうやら、逆になってしまったようだな」



 ガレイトが振り返りながら、表情を変えることなく、イルザードに言う。



「……辞めるのを止めませんか、ガレイトさん」


「なぜだ」


「未だ兵にも、民草にも、あなたが団長を退く事に動揺している者がいます。このままでは、ヴィルヘルム・ナイツの士気にも関わってきます。ですから、今からでも遅くは……」


「悪いが、もう決めた事だ」


「しかし……」


「俺がいなくなったとしても、この国は負けん。おまえたち部下が、その層の厚さが証明しただろう。先の戦争では、俺はただ森で腹を下していただけなのに勝利した」


「それは、敵がガレイトさんに戦力を割いたからであって……」


「同じだ。むしろ、この俺・・・がいることによって、起きる戦争もある。名が売れるというのは、抑止力にもなれば無用な戦火を招くことにもなる。……俺という象徴シンボルは、もうこの国には不必要だということだ」


「だとしても……」


「だからこそだ。俺のように剣を振るうしか能の無い輩は、これより先の天下泰平の世を生きる資格などない。時代が変わってきているのだ。俺もまた、変わらねばなるまい」


「……それで、料理人ですか?」


「ああ」


「面白い皮肉ですね」


「フ……、だろう?」



 ここでガレイトが初めて微笑む。



「生を受けてから今日まで、他者を破壊する事しか考えてこなかった人間が、今度は他者を生かそうというのだ。皮肉もここまでくると、ただの悪い冗談だろうな」


「だったら……」


「だが、俺はいままでになく、これから起こることに高揚している。俺自身、俺という人間が、この道の先をどのように進み、どのような景色を見るか、見届けたいのだ」



 その目には、もはや眼前のイルザードなど映っておらず、まるで、好奇心旺盛な子供のようにキラキラとしていた。

 それを見ていたイルザードは、口惜しそうに唇をキュッと噛んだ。



「そこには……あなたの隣には、私の席はあるのでしょうか? 私も、あなたの近くで、あなたと一緒に、その光景を見ることは?」


「イルザード……」


「私も連れてってくれませんか。私を拾った・・・あなたには、その責任があると思います」


「……イルザード、そんなにおまえは──」



 ガレイトは感動したような顔で、イルザードの隣まで歩いていく。



「が、ガレイトさん……」



 イルザードも照れくさいのか、ガレイトと目が合うと、ふいっと視線を逸らした。



「そんなにおまえは──俺の料理が食べたいのか!」


「……え?」


「わかったわかった。この前作った玉子焼きでは物足りないというのだな」


「た、たま……? あの黒いの、卵焼きだったんですか? 炭の味しか……」


「わかるか」


「わかりませんけど」


「以前、〝炭火焼〟という肉料理をダグザさんに食わせてもらってな。その時の炭の香りが、これまたたまらんものでな。調味料ではなく、調理が違うだけでこうも味が変わるなんて……料理も奥が深いなと思ったものだ。……したがって、前回のは趣向を凝らし、卵がグズグズになるまでしっかりと焼いたのだ。しかも炭火でな」


「い、いえ、そんなビックリドッキリサイエンスとかではなく、私もその料理の修行に連れてってくださいと──」


「わかっている。皆まで言うな。俺が団を抜け、やがてダグザさんのような一流の料理人になった暁には、いの一番におまえに俺の作った飯を食わせてやる」


「あの、ですから、私が言っているのは……え、本当ですか?」



 イルザードがバッとガレイトを振り返り、再び二人の視線がぶつかった。



「約束だ」


「……わかりました」



 イルザードが口先を尖らせながら言う。



「なら、その時が来るまでしっかりと修業をしておいてください。それで、その時になったら、たとえガレイトさんがどこへ行こうとも、私が迎えに行ってあげますので」


「ああ、まかせろ──」



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