第36話 元最強騎士の鴨狩


「──おい、起きろイルザード」


「ふごがッ!?」



 オステリカ・オスタリカ・フランチェスカの外壁に、もたれかかるようにして眠っていたイルザードの頬を、ガレイトがぺちぺちと叩く。

 イルザードは虚ろな目をこすり、めいいっぱい伸びをすると、改めてガレイトの顔を見た。



「……おやすみなさい」


「起きろ馬鹿者。もう朝だ」


「はら? もうそんら時間でふか……?」



 布団代わりにしていた新聞紙を引っぺがし、キョロキョロと辺りを見渡すイルザード。



「いや、今日は昨夜の延長で、食材の調達だ」


「……あれ? お店は? 今日は休みなんですか?」


「どうせ人なんて来ないから、と。モニカさんが……」


「なるほど。それなら問題ないですね」


「う……いや、問題しかないが」



 ガレイトが頷きかけて、一人小さく呟く。

 イルザードはそれを尻目にゆっくり立ち上がると、今度はわざとらしく、胸を強調するように、もう一度大きく伸びをした。

 しかし、ガレイトはそんなことなど歯牙にもかけない。



「どうだ、今度こそ目が覚めたか?」


「……いえ、若干、傷つきました」


「なんの話だ」


「そういえばガレイトさん、昨日の件はどうなったんです?」


「昨日……ビストロ・バラムンディの件か?」


「バラムンディ? ああ、いえ、そんな事じゃなく──」


「〝そんな事〟って……おまえのせいで大変だったんだぞ。昨日からずっとあそこは大騒ぎで、さっきようやくひと段落ついたところだ。結局、膝蹴りのショックでレンチン氏は前後不覚。犯人を、現場にいたガザボトリオに擦り付けることは出来たが……もしバレていたら、どうなっていたことか……」


「はいはい。あとでガレイトさんの慰め物になればいいんでしょ?」


「おまえというやつは……」


「私が気になっているのは、ブリギット殿とガレイトさんをパパと呼ぶ子のことですよ。ガレイトさん、いたいけな少女と幼女を、夜の山中に放置して帰ってきたんでしょう?」


「誤解を招く言い方を……していないな。珍しくおまえの言う通りだ。俺が全面的に悪い」


「ていうか、なんなんですか、〝パパ〟ってガレイトさんそんな趣味があったんですか?」


「おい、そこは誤解するな。それに関しては不可抗力だ。それについては、俺も困っているんだ」


「ははあ、そんなこと言って、ぶっちゃけ下半身はギンギンなんでしょう?」



 ガレイトは心底面倒くさそうに、地面に向けて息を吐き捨てた。



「……あの後、グラトニーさんがブリギットさんを連れ帰って来てくれたようでな。どうやら、何事もなかったようだ」


「ほほう、それはよかったですね。でも、たしかガレイトさん、ものすごい勢いで山のほうへ向かってましたよね?」


「俺とすれ違いになったらしい。結局そのまま山で捜索していたのだが、明け方になっても見つからなくてな。さすがにおかしいと思い、店に戻ってみたらすでに二人は戻っていたということだ」


「なるほど。おっちょこちょいさんですね」


「返す言葉もないな。だが、事情を話したらブリギットさんもグラトニーさんも納得してくれた」


「それで誤解も解けたと」


「それで話は戻るが、ブリギットさんもおまえに礼を言っていた」


「お礼?」


「そうだ。だから、俺もおまえに礼を言っておく」


「……話が見えないのですが」


「おまえがいなかったら、モニカさんも、オステリカ・オスタリカ・フランチェスカも危なかっただろう。……ありがとう、イルザード」



 そう言ってガレイトが頭を下げると、イルザードはまるで魂が抜けたように、ボケーとその様子をただ見つめていた。



「……なんだ。どうした」


「い、いえ、ガレイトさんが私に……というか、王以外に頭を下げるなんて……初めて見ました」


「そうだったか?」


「はい。……ガレイトさんの初めて、奪っちゃった」



 イルザードは頬を真っ赤にすると、「きゃっ」と言って、手で恥ずかしそうに顔を覆った。

 ガレイトは小さく舌打ちをすると、そのまま店内へと入っていった。



 ◇



「『バラムンディ氏は一命を取り留めたものの、頭部に強い衝撃を受け、事件前後の事は覚えておらず、たまたま現場にいたギルド所属のガザボトリオが逮捕された』……と」



 オステリカ・オスタリカ・フランチェスカ店内。

 カウンターで新聞の内容を音読していたモニカが、ちらりと顔を上げる。



「……まあ、とにかく、これでしばらくは、奴さん、嫌がらせなんてしてこないだろうね」



 モニカは読んでいた新聞を綺麗に折りたたむと、ポイッと椅子の上に置いた。



「食材も、うちまで回ってくるようになるでしょうか?」



 モニカの近くに立っていたガレイトが尋ねる。



「……どうかね。そもそも、レンチンがケガをしたからといって、あの経営店全店舗が回らなくなる……みたいなことはないだろうし。前にも言ったと思うけど、今はあの人、まったく料理作ってないしね」


「そうですか……」



 肩を落としてシュンとするガレイト。



「まあ、でも、多少は流通の規制も緩くなってくるんじゃない?」


「そうですか……!」



 顔を上げ、表情がぱぁっと華やぐガレイト。



「……今更だけど、ガレイトさんって結構表情豊かだよね」


「そ、そうですか?」


「そういえば……かなり変わりましたね、ガレイトさん。今朝もそうですけど」



 イルザードがガレイトの顔をまじまじと見つめながら言う。



「え? もしかして、昔のガレイトさんってこんな感じじゃなかったの?」


「いや、幼少の頃のショタガレイトさんについては私も知らないが」


「あたし、べつに子どもの時のガレイトさんについて訊いてないよね……」


「私が団に所属した時は、常に眉間に皺が寄っていたな。いつも険し……むっつり顔で、近寄りがたい雰囲気だったと記憶している。今考えてみれば、おそらくエッチなことばかり考えていたのだろう」


「おい、著しく俺の評判を貶めるな」


「……と、このように、ひねったツッコみを入れるなんて、とても考えられなかったな」


「へえ~、そうなんだ。意外」



 モニカとイルザードが、からかうようにガレイトを見る。



「お、俺の事はもういいでしょう。それよりも、昨日の続きと行きましょう」


「ん、そうだね。あたしとイルザードさんは野草とか、自生してる野菜とかを中心に探してくるから、ガレイトさんはブリとグラトニーちゃんを連れて、昨日に引き続き、グランティ・ダックを獲ってきて」


「わかりました」


「昨日も言ったけど、この時期だとちょうど脂が乗ってていい感じなの。焼くだけでかなりの甘みが出るから、ガレイトさんが調理するのにもちょうどいいと思う」


「はい。それで、やはり下処理は現地で……?」


「うん。臭くなるから、なるべく仕留めてからすぐのほうがいいね。ほかになにか質問ある?」


「質問、質問……ああ、そうでした。グランティ・ダックの生息地は……?」


「おっと、そうだったね。昨日もそれブリに言われたんだった。たぶん、この時間帯なら湖畔とか、水辺にいると思うよ。この近くならグランティ湖が一番近いんじゃない?」


「グランティ湖ですね、わかりました」


「それじゃあ、そろそろ行動開始といこうか……!」



 モニカがそう言って席から立ち上がると、イルザードとガレイトもそれぞれ準備に取り掛かった。

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