第29話 元最強騎士が身分を偽る理由


 思わぬところから指摘に、ガレイトは脂汗を流しながら、チラチラとイルザードを見た。

 やがて、それに気づいたイルザードは『私に任せてください』と言わんばかりに、ガレイトの目を見てゆっくりと頷いてみせた。



「やあ、お嬢さんがた!」



 イルザードは片手を上げると、白い歯を覗かせ、モニカとグラトニーに挨拶をした。



「お嬢さんがた……?」


「なんじゃこいつ……」


「いきなりで混乱なさるのも無理はない……私はイルザード! ヴィルヘルム・ナイツ第五番隊隊長です!」



 突然のカミングアウトに、そこにいる全員──ガレイトも生唾をごくりと飲み込む。

 しかし、ガレイトにイルザードの会話を遮る様子もない。

 ガレイトは今まさに、元部下であるイルザードを信頼していた。



「そして! ここにおられるガレイトさんこそが、誉あるヴィルヘルム・ナイツ第二十三代団長ガレイト・ヴィントナーズ。その人なのです!」



 あまりの事に状況が理解できていないのか、ガレイトは腕を組み、首を傾げると、やがて大慌てで立ち上がった。



「な、なにを言っとるんだ、おまえは!!」


「え? 私はただ、ガレイトさんの紹介を……」


「言っただろう、今の俺はガレイト・マヨネーズだと! 察せ! 馬鹿者!」


「わっはっは! 勘弁してください、ガレイトさん。マヨネーズはダメですってば!」


「なにをこの期に及んで笑っとるんだ、貴様は……!」


「──なるほどねぇ」



 モニカはその場で足を組むと、なじるようにガレイトを見た。



「う……!?」


「たしかにただ者じゃないとは思ってたけど、まさか本当にガレイト・ヴィントナーズ・・・・・・・さん本人だったなんて。……そりゃ火山牛キャトルボルケイノも問題なく倒せるわ」



 ガレイトは、モニカの視線から逃れるように、自身の足元に視線を落とした。



「なんじゃなんじゃ。パパの出身地って、そんなに有名なのじゃ?」


「有名なんてもんじゃないよ。ここから遥か西にある大国の、軍の、その一番偉いの人なんだから」


「ほほう?」


「それで……なにか、申し開きはあるの? ガレイト・ヴィントナーズ・・・・・・・さん?」


「す、すみません……嘘をつくつもりはなかったのですが、こちらにも事情がありまして……」


「事情?」


「は、はい」


「……いちおう聞こっか。ブリもこの部屋の前にいると思うし」



 モニカがそう言うと、部屋の外からバタバタと音がした。



「……自分で言うのもなんですが、ヴィルヘルム・ナイツの、それも騎士団長ともなってくると、その……いろいろと名前が知れ渡れすぎ・・ていまして……」


「まあ、そりゃあね。あたしでも知ってる有名人だよ。でも、それならなおの事、堂々としてりゃいいのに。なんでわざわざ、正体を隠したりしたのさ」


「それは……」


「それは、私の口から話しましょう」



 ベッドの上に座っていたイルザードが、ふふん、と鼻を鳴らしながらベッドから立ち上がった。



「イルザード、おまえはもう黙っててくれ。ややこしくなる」


「わかりました!」



 ガレイトにそう言われると、なぜか今度は背後に回り込み、そのまま蝉のように捕まった。

 ガレイトは長いため息をつくと、気を取り直して話を始めた。



「じつは──」


「あ、そのまま話すんだ……」



 モニカのツッコミが虚しく空中で霧散する。



「じつは俺、マヨネーズではなく、ヴィントナーズだったのです」


「あ、うん」


「傭兵ではなく、本業は帝国の騎士……そこの団長を数年間やっていました」


「たしかダグザオーナーと出会って、料理人を目指すようになったんだよね?」


「はい」


「で、巡り巡ってここへ……」


「じつは、俺が料理人を志し、騎士団を辞めた当初、俺は外国へ行って料理を勉強するつもりはなかったんです」


「あれ、そうなんだ? てっきりオーナーみたいに、各国渡り歩いて色々な料理を勉強してるんだと思ってた」


「たしかに俺も、いつかはダグザさんみたいに、世界中の料理を見て、食べて、研究したいと思っていたのですが、まずは何事も基礎が重要。卵も満足に割れない人間が、ダグザさんと同じことをやっても意味なんてないと思ったのです」


「う、うん。たしかに良い心がけだけど、卵のカラ、割れなかったんだ……」


「い、今は問題なく割れますよ」


「うん。逆になんで割れないのか知りたいくらいなんだけど……」


「なんというか、俺が卵を握ると、なぜか爆発してしまって」


「……爆発?」


「こう……ボン、と」



 ガレイトが手をグーからパーにして実演してみせる。



「卵って強く握ったら爆発するっけ?」


「はい」


「いや、〝はい〟じゃないけど」


「爆発するんです」


「いや、だから……まあ、話進まないから、それはもういいよ」


「ですので、俺はまず、ヴィルヘルムにある大衆向けの食堂で修業を積もうとしたんです」


「うんうん。悪くない選択」


「それで、右も左も知らなかった俺は、まず雑用として雇ってください、と頼み込んだのですが……」



 ガレイトがその時の事を思い出してしまったのか、一層苦そうな表情をしてみせた。



「頼み込んだけど……なに?」


「当時の店長に『国の英雄を雑用係になんて罰が当たる。是非、料理長になってください』と頼み込まれてしまって……」


「そ、それで、店長に?」


「はい。一日にして、その店を任される事に」


「ええー……」


「そして、それを聞いたヴィルヘルムの民たちが大挙して店に押し寄せて……」


「い、嫌な予感しかしない……」


「結果、みな腹を壊してしまい、店に業務停止命令が出されたのです」


「うわぁ……国の英雄がテロ行為って、それもう笑えないじゃん……」


「ちょ、ちょっと待った」



 今まで大人しく話を聞いていたグラトニーが、ここで話を遮るようにして口をはさんだ。



「なんでみんな腹を下したんじゃ? それがパパが料理長になったのと、何か関係があるのか?」



 グラトニーの質問に、ガレイトもモニカも押し黙ってしまった。



「……まあ、食べたらわかるよ」



 やがてモニカが何かを悟ったように、遠い目をしてグラトニーに言った。



「食べたらって……いや、たしかに妾、試食係を自分から買って出たわけじゃが……なんじゃこの、言いようのない不安感は……」


「……それで? 元ヴィルヘルム・ナイツ団長が、国民を病院送りにして、どうなったの?」


「それで俺は……またヴィルヘルム国内の、違う店に移ったのですが……」


「……まさか、そこでも?」


「はい……俺に下っ端なんて、畏れ多いと」


「義理堅い国民性なのか、はたまた抜けた人たちなのか……」



 腕を組み、呆れかえるモニカ。



「ですから俺は、ヴィルヘルム国内で修業をするのをきっぱり諦めて、思い切って国外へと出たのです」


「なるほど。それで」


「……しかし」


「ま、まさか、国外でも?」


「はい。近隣諸国には、俺の名も顔も割れていて、どの店も雇ってもらえず。そして少なからず俺に恨みを持っているような人間もいたので……命を狙われることもしばしば……」


「ひぇ~……」


「たまたま、人の良い主人に雇ってもらえたこともあったのですが、結果、腫物の如く扱われ……その国でまた……」


「あー……」


「そして俺は、ついに旅をする決心をしたのです」


「たしかに。そこまで来たらもうそうするしか……ないのかな?」


「どこでもいい。とにかく俺の名を、顔を知らない人たちの所へと。……そして、気が付けば、ギルドの、冒険者パーティ付きの料理人として雇われていました」


「料理人ね……それで、肝心の料理のほうは大丈夫だったの?」


「はい。一度ひどい食中毒をパーティで起こしてから、『もう余計なことはするな。血を抜いて内臓を取って、焼くだけでいい』と言われていました」


「いや、大丈夫じゃないじゃん」


「ええ、大丈夫ではありません。これでは俺の腕が一向に上がりませんからね」


「でも……だから、肉の捌き方だけは上手だったんだ……」


「はい。……あ、それと、その頃にはもう、卵は割れるようになっていました」


「ああ、うん」


「卵、もう割れるんですよ。綺麗に」


「……なんで二回言うの?」


「思い出したらすこし嬉しくて。それからは、その者たちにクビにされ……」


「今に至るってわけね」


「はい」



 話を聞き終わると、そこにいたほぼ全員が、微妙な顔のまま黙り込んでしまった。



「──おお、そうだ!」



 ガレイトの背中に張り付いていたイルザードが声を上げる。



「今度は私に拾われる、というのはいかがでしょうか、ガレイトさん! 一生、養ってあげますが?」


「もういい。もうしゃべるな、イルザード」


「はい!」


「……じゃあ──」



 おもむろにモニカが口を開く。



「ガレイトさんは、ガレイト・ヴィントナーズだって知られると気を遣われるから、正体を隠してたってことなんだね」


「はい。現役時代、この名で得することもあるにはありましたが……料理をするにあたって〝騎士〟という肩書は、役に立たないうえに邪魔になるので」


「そうなのかなぁ……?」


「ですから、俺はそれ以降、傭兵のガレイト・マヨネーズと名乗っていました」


「……なんでマヨネーズ? 語呂が似てたから?」


「いえ、卵を割れるようになったので……」


「いや、相当嬉しかったんだな!」



 ガレイトは一息置くと、椅子から静かに降り、床の上に膝をついた。



「モニカさん、ブリギットさん、此度は騙すような真似をして、申し訳ありませんでした」



 ガレイトはそう言うと、手をついて頭を下げた。



「顔を上げて、ガレイトさん」



 モニカが、ポン、と(イルザードを避けて)ガレイトの背中に手を置く。



「たしかに嘘をつかれたのはショックだったけど、そうしないといけない理由もわかったし、なによりガレイトさんがやっぱり誠実な人なんだって、わかった気がする」


「こ、これからもよろしくね……ヴィントナーズさん」



 どこからともなく、ブリギットの声が響く。



「モニカさん……ブリギットさん……」



 感極まってしまったのか、ガレイトの目元はうっすらと涙が見える。



「まあ、ぶっちゃけ、薄々わかってたんだけど……」



 モニカが苦虫を食い潰したような顔で言った。



「え?」


「──おふぁぁあ……! よかったですね、ガレイトさん!」



 イルザードはガレイトの背中から勝手に剥がれ落ちると、すっくと立ちあがり、拍手を送った。



「ああ、ありがとうイルザード」


「私は何も! これもそれもあれもどれも、ガレイトさんの人徳のなせる業です」


「……いや、過程はどうあれ、おまえが後押してくれたおかげだ。礼を言う」


「そうですか! では、これで私も──」


「だから、もう帰れ」

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