第20話 元最強騎士と穴


「──おつかれさまー!」



 夜。

 オステリカ・オスタリカ・フランチェスカにモニカの声が響く。

 前日までの盛況ぶりとは打って変わって、今日の客数は二人。

 それに伴い、モニカの体型シルエットもほんの少しだけ丸みを帯びていた。



「お疲れさまでした」



 カウンターテーブルを丁寧に拭いていたガレイトが、モニカに挨拶を返す。

 それから少し遅れて、厨房からブリギットが小さく「おつかれさまでした」と返事をした。



「まあ、疲れる・・・ほど働いちゃいないんだけどね……」



 モニカはそう言ってため息を吐いた。



「そう嘆いていても仕方がありませんよ。今日は昨日までの激務を癒す日として考えましょう」


「へへへ……これから毎日こんな感じだよ。ひとりも来ない日とかザラだからね……」



 モニカが虚ろな目で、つぶやくように言う。



「そ、そんなに……」


「まぁ、不景気な話は置いといて、さっそく料理の勉強でもする?」


「よろしいのですか!」


「うん、そういう約束だしね」


「……あ、しかし、まだブリギットさんの問題が……」


「うん。だから、あたしが教えてあげるよ」


「モニカさんが……」


「なに? あたしじゃ不満?」


「いえ、滅相もありません。先日の手際もお見事でしたし……ただ、じつは今日、この後、すこし予定がありまして……」


「予定? こんな時間から?」


「はい」


「ああ、もしかして食材の件?」



 モニカの鋭い指摘に、ガレイトはギョッと目を丸くする。



「あはは。わかりやすいね、ガレイトさんは」


「きょ、恐縮です……」


「でも、べつに今日じゃなくてもいいのに。ガレイトさんの言葉を借りるわけじゃないけど、この三日ずっと働き詰めだったから、今日くらいは休んだら?」


「お心遣いありがとうございます。ただですね、それが……とある事情から、今日じゃないと厳しいらしくて……」


「とある事情?」


「はい。とある事情です」


「ふぅん?」



 モニカはカウンターで頬杖をつくと、じっとガレイトの目を見た。



「あ、あの、モニカさん……?」


「ね。ガレイトさん、あたしもついてっていい?」


「……はい?」


「いや、ほら。実際あたしって、ガレイトさんがどうやって今まで食料を調達してたか、ふわっとしか知らないじゃん? だから実際、目で見てみたいなって。いろいろと勉強にもなるだろうし」


「い、いえ、べつに面白いわけでもないですし」


「あはは、何言ってんのガレイトさん。面白いかどうかはあたしが決めることでしょ?」


「そ、それは……ごもっともですが……」


「──それとも、あたしに内緒で、何か危険な事しようとしてるの?」



 モニカの声のトーンが一層低くなる。



「そ、それは……」


「約束したよね、昨日」


「約束……」


「あたし、なんて言ったっけ」


「は、はい……」


「『はい』じゃないでしょ、ガレイトさん?」


「えーっと……」


「行っていい?」


「あの」


「ついてっていいんだよね?」


「ど、どうぞ……」



 ◇



「──ちょっと、なーんでモニカがこんなところにいんのよ」



 モーセが腕組みをしながら、モニカを忌々しそうに睨みつける。

 時刻は深夜。

 街の灯りも消え、降り注ぐ月光のみが光源となり得る時間帯。

 ガレイトとモーセの待ち合わせ場所である中心広場には、すでに人っ子一人おらず、辺りは閑散としていた。



「……あんたがその、とある事情・・・・・か」


「とある事情?」



 意味が理解できず、首を傾げるモーセ。



「ガレイトさんはもううちの従業員なの。あんまり変な事させないでくれる?」


「変な事って……」



 モーセはそこまで言うと、モニカの隣でしょぼくれていたガレイトを見た。

 ガレイトはモーセの視線に気が付くと、『何も詳細については話していない』と言わんばかりに、首をブンブンと横に振ってみせた。



「……べつに変な事なんてさせるつもりないわよ。ただ、こっちの仕事を手伝ってもらおうってだけ」


「そんなこと言って。無理難題を押し付けるつもりなんでしょ?」


「しないわよ!」


「じゃあ、なんで今から魔物退治に行こうとしてるの?」



 モーセは目を丸くすると、ガレイトを責めるように睨みつけた。

 ガレイトはガレイトで驚いているのか、モーセ同様、目を見開きながら首を振っている。



「──やっぱり」


「は?」


「モーセ。あんた、ガレイトさんに危険なことをさせようとしたんだね」


「……あっ!? か、カマかけたわね!?」


「騙されるほうが悪いし、何も知らないガレイトさんを利用するのはもっと悪い」


「だからそんなんじゃ……」


「……残念だけど、ガレイトさんはもう帰るから。いくよ、ガレイトさん」



 モニカはそう言うと、強引にガレイトの手を取り、引き返そうとした。



「待った待った! 話を聞きなさいっての!」


「話なんて聞かないし、あんたがそんなヤツだとも思わなかった」


「いや、だから誤解だってば!」


「誤解? ガレイトさんを危険な目に遭わせようとしたのは事実でしょ?」


「い、いや、危険というか……そもそも、ガレイトさんはあのヴィルヘルム・ナイツの元団ちょ──」


「──おああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」



 突如、ガレイトの獣のような咆哮が夜の闇を切り裂き、モーセの言葉をかき消した。

 モニカもモーセも、同様にびっくりしたように目を丸くして、耳を塞いでいる。



「う。おほんおほん、し、失礼。喉の調子が……う、うーん……」



 ガレイトは軽く咳ばらいをすると、嘆願するようにモーセを見た。



「び、びっくりした。なんなの、いきなり……」


「と、とにかくモニカ、この件はあんたにも関係ないわけじゃないの」


「どういうこと?」



 モニカにそう尋ねられたモーセは、しばらく考えるような素振りをすると、改めてモニカのほう見た。



「わかった。わかったわよ。話すから、そんな目で見ないで」


「……極秘なの?」


「まあね。……とにかく──」



『──おい、さっき大きな声が聞こえなかったか……!?』

『ああ、人の声……じゃなかったから……』

『もしかすると魔物が街に入り込んできたのかもしれん……!』

『警戒しろ……!』



 ざわざわと辺りが騒がしくなってくる。さきほどのガレイトの咆哮で、見回りをしていた兵たちが一斉に色めきだってしまった。

 モーセはため息をつくと、小指大ほどのカギを取り出し、自身の足元・・にそれを差し込んだ。

 モーセがそのまま鍵を回すと、カチャリと音が鳴り、埋め込まれていたレンガが一個せり上がってくる。モーセはそのレンガを掴むと、力いっぱい引っ張り上げた。

 ゴゴゴゴゴ……。

 石と石とが擦れ合う音が鳴り、砂埃を巻き上げながら広場の地面が、まるで扉のように開いた・・・



「な、なに、そこ? なんでそんなところに入り口が、ていうか何……?」


「驚いた……。これは、グランティの地下へと繋がっているのですか、モーセさん」



 ガレイトとモニカが目を丸くさせながら、モーセを見る。



「二人とも話は後。見回りの人に見つかると面倒だから、ついてくるんなら、とりあえずこの中に入って」



 モーセに促され、の中を覗き込むガレイトとモニカ。

 しかし穴の中は暗く、底は見えないほど深かった。

 辛うじて確認できるのは、入り口付近の壁に、直接打ち付けられているタイプのタラップが下まで続いてあるだけ。



「こ、この、底も何も見えない穴の中に入ってけって?」


「あら、怖いならべつに入らなくてもいいわよ」


「モーセ、べつにここは挑発する場面でもないでしょ」


「ああ、ごめん、なんとなく。雰囲気で」


「まあ、でも……たしかにちょっと怖い……かも……」



 なかなか中へ入る決心が出来ず、二の足を踏むモニカに対し、ガレイトは臆することなく穴の中へと入っていき、そのままタラップを伝って降りていった。



「だ、大丈夫? ガレイトさん?」


「ええ、金属部が多少錆びてはいるものの、強度は問題ないようです。底も、思ったよりは深くないかと」


「そ、そう……」


「もしよろしければ、俺の後に続いて降りてきてください」



 ガレイトはそれだけを言い残すと、そのまま下へ降りていき、やがて見えなくなってしまった。



「さ、どうするのモニカ? もうすぐ見回りの人来ちゃうけど?」



 モーセに急かされたモニカは、やがて覚悟を決めると、恐る恐る穴の中へと入っていった。モーセはそれを確認すると、自身も急いで穴の中へと入り、ゆっくりと扉を閉めた。

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