第3話 元最強騎士と伝説の料理人


「はい、これがメニューだよ」



 ガレイトの体に対して、すこし小さめのテーブル席。

 ガレイトはそこに案内されると、紙で出来た冊子を手渡される。

 それを受け取ったガレイトは、パラパラと、ページをめくっていった。



「決まったら、また呼んでね」


「は、はい」



 モニカはそう言うと、店の奥、厨房のほうへと姿を消した。

 ガレイトは改めて手元のメニューを睨みつける。

 メニューの中身は主に前菜、副菜、主菜、そしてデザートと四つにカテゴライズされていた。



 ◇



 ガレイトがメニューと睨み合ってから、小一時間ほど。

 そのそばには、既にしびれを切らしたモニカが立っていた。



「あ、あの……」



 注文が決まったのか、ガレイトが手をあげる。



「ご注文ね」


「えっと、この、ビーフシチューをひとつ」


「あ、ビーフシチュー? ほ、よかった……」


「え?」


「ああ、いや、なんでもないよ? それで、付け合わせはいる? バゲットとかあるけど? 自家製だから美味しいよ」


「あ、なら、それもお願いします」


「承知いたしました。じゃあ、ちょっとだけ、お待ちくださいね……」



 パタパタパタ……。

 それだけ言うと、モニカは再び、ホールから厨房へと戻っていく。


 キョロキョロキョロ。

 手持ち無沙汰になったのか、ガレイトは改めて店内を見渡した。

 今にも潰れてしまいそうな外観に比べて、店内は清潔に保たれており、テーブルやカウンター、床の上に至るまで、塵ひとつない。

 次に、ガレイトは食事の準備をすべく、テーブルの上にある食器入れカトラリーケースからスプーンを持ち出した。



「これは……」



 ガレイトの口から驚くような息が吐かれる。

 そのスプーンは、ガレイトの顔が映りこむほどに綺麗に磨かれていた。



「新品のものでもこうはならないぞ……」



 ガレイトの顔から警戒の色が消えていく。

 やがて、厨房からかぐわしい香りが漂ってくると、ガレイトは期待するように、厨房のほうへ視線を向けた。

 次第にガレイトの鼻腔が開き、口角が上がっていく。

 そして、それを見計らったように、モニカが湯気が立ったプレートを運んできた。



「──どうぞ、当店自慢のビーフシチューでございます」



 モニカは、少しかしこまるような言い方をすると、静かにガレイトの前にそのプレートを置いた。

 茶色いポットに入った光沢のある赤茶色のシチュー。

 こんがりと焼けた、一本のバゲット。

 ガレイトはもう待ちきれないといった様子で、手に持ったスプーンでシチューを掬い、口へと運んだ。



「──う、うまい!? うますぎる……!」


 

 ガレイトはそう唸ると、ひとくち、またひとくちと、口の中へとシチューを運んでいく。

 バリバリ……!

 つぎにガレイトは、バゲットを一口サイズに手で千切ると、鍋の中のシチューにつけ、口へ放り入れた。



「このバゲットもうまい……!」



 ばくばくばく。

 千切ってはつけ、千切ってはつけ。

 ものすごい勢いでバゲットが減っていく。



「バターを使っていないので、小麦本来の芳しい香りが鼻から抜ける。さらに、絶妙な焼き加減で焼き上げられているから、ふにゃふにゃにならず、シチューとの相性もいい。この組み合わせは……最高だ……!」



 やがてバゲットが無くなると、今度は熱々の鍋を手で持ち──



「もう我慢できん……!」



 ガレイトはそう呟くと──

 ゴクゴク。

 まるで水をのむように、喉を鳴らしながらシチューを飲み干していった。

 マナーなどを度外視した本気食い・・・・

 今のガレイトには、もはや目の前のシチューとバゲットにしか見えていない。



「──お、おどろいた……! 結構量あったのに、ぺろりと……!」



 傍でガレイトの食べっぷりを見ていたモニカが、口をあんぐりと開けている。



「そんなに美味しかったの?」


「は、はい! こんなにうまいのは、はじめて……?」


「ん? どうかした?」


「いや、久しぶりな気が……?」


「おや、ブリの料理を食べたことがあるのかい? こりゃ、妙な話だね」


「え?」


「あの子は……ブリはね、いままでここから出たことがないんだよ。だから、たぶんガレイトさんが食べたのは、また違う料理人で──」


「いえ、そんなはずは……たしかにこの味は、あの時食べた……そういえば、あの人には、たしかお孫さんが……」



 ガレイトは俯き、モニカには聞こえない声量で呟くと、再び顔をあげてモニカを見た。



「ん、どうかした?」


「い、いえ、あの、いきなりなんですけど、料理長……ブリギットさんという方にお会いすることは可能でしょうか?」


「え、なんで?」


「是非、直接会って『美味しかったです』と伝えたいのですが……」



 ガレイトが遠慮がちに言うと、モニカはため息をつきながら口を開いた。



「あー……気持ちだけ受け取っとくよ」


「それはどういう……? もしかして、この料理を作ったのは──」


「ああ、ちがうちがう、たしかにあたしもすこし手伝ったけど、これ作ったのは正真正銘、ブリだから」


「ではなぜ……?」


「まあ、うちはそういうのやってないというか、そもそも、厨房に人を入れるわけにはいかないしね」


「厨房内でのルールは知っています! 清潔第一。手なら洗います! なんなら、体だって!」


「いやいや、なんでそこ食い下がってくるの……」


「それは……その、すこし事情がありまして、一目だけ。それだけでもいいですから!」


「いやぁ、気持ちは嬉しいんだけど、あの子、そういうのは苦手っていうか、そもそも大きな男の人自体が……」


「小さくなります!」


「無茶言うな! ……そ、それより! もういいの? おかわりとかしない?」


「え? ……あ、お願いします!」



 ガレイトが、空のポットとお皿の乗ったプレートをモニカに渡す。

 ガレイトは結局その日、五杯もの大盛シチューとロングバゲットを完食した。



 ◇



 夜。

 少し欠けた月が真上に上がる頃──

 ガレイトはレストランの裏口付近にて、花束を携えて立っていた。

 あたりはすでにしんと静まり返っており、人々の雑踏どころか、野良猫の鳴く声すら聞こえない。

 ガレイトはここでひとり、ブリギットが出てくるのを待っていた。

 ──というのも、彼がシチューを食した時、その脳裏にある・・男性の顔が浮かんだからであった。

 その男性こそが、ガレイトの人生に大きな影響を与え、ついには料理人の道を歩ませるまでに至った者。

 ダグザ・フランチェスカ・・・・・・・

 世界を旅する料理人である。



 ◆



 時は、今よりも少し前──

 ガレイトがまだ現役の帝国騎士だった頃まで遡る。

 場所はグランティよりも北西に位置する大国、ヴィルヘルム。

〝帝国〟の名を冠する通り、ヴィルヘルムはヴィルヘルム皇帝が統治する国家で、豊かな自然と、豊富な資源に富む国であった。

 しかし、それゆえ諸外国からの脅威に晒されることも多く、その自衛手段として設立されたのがヴィルヘルム・ナイツである。

 ヴィルヘルム・ナイツは国の創立とほぼ同時期に設立された組織で、設立以来、数百年にわたり無敗を誇っていた。

 そして、その騎士団を最近まで率いていたのが、第二十二代目団長ガレイト・ヴィントナーズだった。……のだが、これは、騎士ガレイトを料理人ガレイトへ変えたとの出会いの話である。


 場所は高温多湿の密林ジャングル

 ガレイトは戦時中、敵国の罠にはめられ、自身が隊長を務めていた隊とはぐれ、ひとり、腹をおさえて密林の中をうずくまっていた。



「──ぐ……ぅ……! くそ……、腹が……!」



 ガレイトの悲痛なうめき声が、誰もいない木々に吸い込まれる。

 そんなガレイトのそばには、大量のハエと、赤い体毛の虎の死体が転がっていた。

 虎の前足が欠損しているところから、ガレイトがこの虎を食料にしていたのは、火を見るよりも明らかだった。



「フー……フー……ぐぁッ……!?」



 ガレイトが、正体不明の腹痛に見舞われてから一週間。

 その間、飲まず食わずだったガレイトの体はすでに憔悴しきっており、頬はこけ、唇や口内はカラカラに乾燥していた。



「ああ……、くそ……目も……王よ、すみません……」



 パタリ。

 虚空へと伸ばしていたガレイトの腕が、力なく倒れる。


 ──バサバサバサ。

 まるでタイミングを見計らったように、大型の鳥が現れる。

 鳥はその鋭く尖ったくちばしでガレイトの頭を二度つついた。

 しかし、ガレイトからは何の反応もない。


 ガァガァ。

 鳥は勝ち誇ったような声を上げると、今度はガレイトの背中に飛び移った。

 スッと鳥がくちばしを構え、ガレイトの後頭部へ狙いをすます。

 そして──



「うがああああああああああああああああああ!!」



 突然、男性の叫び声がこだまする。

 鳥はその声に驚くと、一目散にどこかへと飛び去って行った。

 ガサガサガサ……。

 それから少しして、年季の入ったボンサックを背負った、白髪交じりの、初老の男性が茂みの中から現れる。

 男性はガレイトの元まで歩み寄ろうとしたが──



「うおっと!?」



 近くに倒れていた虎を見て、すこし後ずさりをした。



「こ、こりゃたまげた。こいつぁ、ルビィタイガーじゃないか? まさかこのにいちゃん、ルビィタイガーを生身で……?」



 男はそこまで言うと、虎の前足がなくなっていることに気づいた。



「てか、ねえじゃねえか、足が! しかも、周りに焚火あともねえし……こりゃもしかして、生で……?」



 男はガレイトを、まるで巨岩を転がすように仰向けにさせると──

 バチン!

 バチン!

 強めに、何度もガレイトの頬を叩いた。



「おーい! 聞こえてっかァ!?」


「うぅー……ん……?」


「……よし、まだなんとか生きてるな……! 聞こえるか! 儂ぁ、ダグザ・・・! ダグザ・フランチェスカっつーモンだ!」


「ふ、フランチェスカ……?」


「そーだー! 聞こえてるなー!?」


「お迎え……なのか……だが、よぼよぼの……天使……? 天使って……ジジイだったのか……?」


「チッ、幻覚でも見えてやがるのか……!? おーい! いいかー! にいちゃんが食ったルビィタイガーの手は猛毒だー!」


「どく……?」


「もう手遅れかもしれんが、いまからいちおう、ルビィタイガー用の解毒薬を打つ! いいなー!?」


「あ……あ……」



 ガレイトはダグザの質問に答えることなく、パクパクと口を動かしている。



「いちおう確認はとった。……悪いが、すこし痛むぞ……!」



 ダグザはボンサックの中から注射器を取り出すと、すばやくニードルカバーを外し、ガレイトの首へ注射した。

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