第26話 2001/9 平和の種子


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<座 読書>




[子供の心に平和の種子を]

全国保育問題協議会 編

新読書社 刊 2001/5


最近の少年の心のすさみという問題に危機感を覚えている教育関係者が

同人むけに作った書物、という感じの本。

内容はふたつ。


1)子供の人格生成初期に「平和を貴び、戦いを憎む」という方向づけをする。

神経線維が生成される時期の方向づけされてしまえば、後では変化しにくい、

という論旨である。

2)その方向性でのマニュアル。


ま、言いたいことは分かります。

決定的なことを最初に言ってしまうと...


平和主義で育てても、世相そのものが他者を攻撃することを容認する

ような現代では、あまり意味もないでしょうね..

だいたい、大人が子供をいじめてますし。今は。

結果的に、防御のために攻撃的にならざるを得ないからですね。

そうなってくると、いくら平和主義といってもふりかかる火の粉ははらわにゃならぬ。

という訳で、周囲に思いやり、なんていっていられなくなる。

つまり、環境整備を先にしなきゃダメだ、ということですね。



また、こういう教育方針を「自由を損ねる」とかいって

戦後の教育を放任主義にしたことが誤りだったか、という検証がなされずに

違う方法だけを考えても、また誤りになる可能性もありますね。

また、文化領域である平和主義、という概念は記憶機能に依存する部分が大きく、

神経の形成と接続が若年期にもっぱら行われる、という構造を持ち出しても

その主張が正しい、という根拠にはならないと思うのですが....。


もうひとつ思えることは、こういう文化的抑制は、どう頑張ったところで攻撃性、という

ヒト種が本来もっている本質にはかなわない、ということでして。

これは僕自身も経験していることですが、他者を攻撃することがあたりまえ、という

今の世の中で子供だけに平和主義を教えても、平気で攻撃する連中の犠牲に

なるだけだ、という気もします。


大人社会に蔓延する攻撃性、インモラルの傾向をまず解決しなくては。

問題はそれからだ、と思います。


それと、子供の心に方向づけをする、というのは不自然なことであり、

本来ヒトが生き物として持っている「保存」の意識、というプログラムを

呼び起こす方が自然であろう、という風に僕は思います。

あまりに今の子供は大人の都合で生かされ過ぎている。

それで歪みが出ているからこそいじめのような弱者攻撃に走るのであり、

その対策に平和教育を、というのではまた他の方向へ攻撃性が発露するだけで

本来もっている攻撃性を言論で抑圧するのではなく「生命の尊さ」を実感させる

ことが重要であるはずなのですね。

本や映画では所詮virtualなので、実感には程遠いです。

実際に子供同士で野を歩き、虫や動物に触れさせ、弱い生き物が簡単に死ぬこと、

そして自分にはそれを殺す能力がある、ということを実感させたり、

ときには子供同士で争いが暴力に発展したとしても、1対1ならやらせてみる。

そういう関係性で「殴られる痛み」を実感できるのですし。

こういうリアリティがこの論には欠けているように思えます。

平和主義という考えはいいのですけれど。

言論で抑制できないからこそ、今の世の中がいじめに満ちている、という

現実をもうすこし認識する必要があるのでは?

力の拮抗を認識すればいじめはなくなるのですから。

いじめがどうしてなくならないか、というと殴りあいを否定したことと、

大勢で群れて少数を攻撃することが卑劣だ、という概念を大人自身が否定したこと。

「いじめは卑怯なんだから、そんなやつはぶん殴れ」という考えを持ってもそれは

子供のうちはいいんじゃないかな、と個人的には思います

僕らの子供の頃はそうでしたから、いじめなんてありませんでした。

教師も、そういう事情で殴った場合にはとがめたりはしなかったものです。

正義の怒りという方向性に、暴力性を変化させたほうが良いのではないでしょうか。







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項 バンダリズム考 その 59


さて、今回は上の書いたような子供の心を「教育」するという考え方について。


なんとなく思うのですけれど、教育とはいいながら統制を行いたがっている

ように思えます、最近のこういった同人的サークルというのは。


結局、それですと「異った傾向」を植え付けるというだけの事になってしまい、

今の子供が苛立っている事実について検証せずに傾向つけだけで

考え方を統一しよう、という発想はいかなるものでしょう。


子供たちは好きで苛立っているわけではないのでしょうし。

やはり、環境要因が彼等を苛立たせているのだ、と考えるべきですね。


いじめの問題にしても、「正義」が大人社会で封じられているからこそ

子供たちが「大勢」で「少数/異端」をいじめる。

という行動を大人の模倣として行っている、のですね。


大人が大人社会を嫌悪するように、子供たちもこの構造に嫌悪しているのです。

ですからこそ、彼等は「大人的なもの、高圧的なもの」に反抗し。

地面に座り、意図的にだらしない格好をして対抗してるのでしょう。


ですから、これを高圧的に教育しよう、というのでなく、

根本から問題を解決せねば、と私などは思います。


(ま、経済が現在のところどんどんダウンしてますから、こういういじめ社会を

形成してきた連中もおそらく...それどころではなくなってくる筈です。

ですから、経済構造改革は歓迎すべき行為ですね。

実際のところ、こどものいじめの背後にあるのは大人社会のいじめであり

構造としては利権に群がる連中と、既得権を持つ連中が

まるっきり「子供のいじめ」そのまんまだ、という事がこれまでの調査からは言えます。

ですから、こういった既得権を破壊し、腐ったサラリーマン根性を社会から一層すること、

実力主義、能力主義、というリニアな価値観で「努力」することを「攻撃性」の捌け口

とする事はとても良い事ですね。)


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