第22話  [考える脳、考えない脳]

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<座 読書>




[考える脳、考えない脳]


信原幸弘著 講談社 2000/10





「心と脳」といわれる状況についての構造論的な分析を試みる、という主旨。

例えば、思考のメカニズム、という観点から認識、判断、行動というプロセス

を理工系っぽく要素分解する。

全てにおいて単純化モデルを提示する、というグラフィカルな表現は理解が

容易であるし、これはデカルティズム的方法でもあるように思える。

計算主義、コネクティズム、直観、フレーム処理、スキーマといった具合に

「心」という状況について、それが起きている構造、動作のメカニズムを

説明することで一元的に心の存在を理解させよう、というユニークさが

面白い。



そのユニークさは、以下のようである。



コネクショニズムとは、記憶のメカニズムであり、ニューロンの接続に

よって記憶を行い、その重みつけ(どの記憶を優先するか、という順位)

によって「心」は選択を行い、そして、そのような判断を総合的に

並列処理を行うことで「状況判断」すなわち「心の動き」という

情動が表れる。..というような。



面白い、のですが、まあ構造を理解しても心の実態については

個々の判断「重みつけ」の傾向をデータとして知らなければならず、

結果的に実際のヒトの「こころの動き」に対応するには

より、心理学的であるとか、精神分析学的な知識が膨大に必要だ、

という事に変わりはないのですが。


しかし、こうした構造を知ることは無駄ではない、とは思えるし、

それを一般に理解しやすく書物を著す、という姿勢は高く評価するべき

ではないか、と思えます。


余談ですが、著者の経歴を見ると「東京大学大学院博士課程単位取得退学、

現、同大学院総合文化研究科助教授」とある..^^;。


単位とって、退学するようなユニークな方らしい本だな、と思いマシタ。

(モッタイナイね。)(笑)







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項 バンダリズム考 その 55



<お気楽コラム^^;>




?ネオテニー現象との関連性?






[That's 踊る大捜査線]



さて、寝転んでぼんやりとテレビを見ていると、なにやら聞き覚えのあるテーマ音楽。


ちょっと前、大ヒットしたこの「踊る大捜査線。」


とっても懐かしい思いで、みてしまいました。

やっぱり面白かったです。



実のところ、このTVシリーズは放送当初、それほど人気が出なかったように記憶しています。

で、2時間枠TV映画版、ロードショー・ムービーとだんだん盛り上がっていったようでして、


ただ、個人的な印象では、連続テレビドラマの方が好みではあります。善悪がはっきりと、

わかりやすく、そして軽妙なテンポ。



(このあたりは脚本の君塚氏の手腕によるところが大きいかな、と思いました

余談ですが、氏は萩本欽一氏のもと、コント作家をされていた方だ、とか。

下積み時代、全く仕事に恵まれなかった君塚氏に、萩本氏は「遊んでろ」と

自由にさせていた、と当時のことを君塚氏はどこかのコラムで

懐かしそうに語っていました。


そうした経験があるからこそ、現在の自分がある、とも。)




過去を振り返るように、このドラマを改めて見直すと、コンベンショナルな

刑事ドラマ的な部分、それとコメディの部分、そして本題とも言える

「悪」を描くことで正義を主張する部分。とが程よく、くどくなくバランス

されているところなど、どこかコント作家的である、とのようにも思えました。

それまでの刑事ドラマと異質なのは、警察機構が腐敗しており、そこにいる官僚を

面白おかしく茶化している表現、あたりでしょうか。

このあたりが「サラリーマンドラマ」的だ、とどこかのテレビ誌で言ってましたっけ。

当時、時代背景として官僚バッシングがあり、そういう経緯からこの作品は注目され

ていまして..新聞の投書欄などでの官僚批判によく引用されていましたっけ。


主人公の刑事が、その正義感から行動すると警察組織からはみ出してゆく。

その背景にあるものは、管理に名を借りた差別。


そういったいわば「虎の威を借る狐」のような集団と化した警察組織の下層、

それはまあ、暗喩であり、こういう風になりがちな現代日本の社会、への批判が

「正義」として描かれたあたり、当時のTVとしては新鮮だったな、と

想起しながらブラウン管を眺めておりました。私。


それはまあ、これまでの日本の社会、特に戦後は「正義=利得」だったから、

なのでして。



特にそれが罪悪だ、とまでは思いませんが、それにつけてもそういった「利得の追求」

にかこつけてタカル連中や、管理を大義名分にした卑劣な嫌がらせ、などを

描いたこのドラマに反応した方々が多かった、というあたり、日本人もまだまだ

捨てたものではないな、とも思いましたケド、当時。


しかし、実際に行動すると何故か孤立してしまうのも日本。ですね^^;。

以前、お話したAさんのように。

このドラマでもそういった部分は良く描かれていて、正義感のある官僚のひとりが

官僚組織の中でまともなことを言うとあらゆる手段でそれを妨害する、という

表現がなされておりまして。

で、それを跳ね飛ばす、という方向性でドラマはカタルシスを得るのでした。


同じような表現を暴力的に描くと、まあ「サラリーマン金太郎」みたいなもの

になって。

これもまた受けましたね。

ただ、これを架空の世界、と片付けてしまって、現実は悪巧みに拘泥、という

ヒトたちが多いのでして ...

自分さえよければ、という「幼稚」な人格がそこには見え隠れします。

(やっとネオテニーの話になりました。^_^;)


その実、どんな理論を振りかざした所で、根底にこうした「利己」が存在する限り

その個体は「幼稚」である。というあたりがまあ、共通項でして、

巧妙な悪巧みからやむなく自衛しなくてはならない現状、を顧み、すこし blueに

なったりもするのですが..はい。

弁説巧みな悪者に対し正義感から暴行を働き、「暴力犯」として検挙されるという

悲惨な事態も多々、見られるようでありますね、新聞などを見ますと。

まあ、上手くやんなさい、としか言えませんが。(笑)


本来、こうした弁舌巧みな悪者退治は

義賊に登場してもらうのの一番いいのですが..(おっとっと。)

ダークな世界には、裏の掟で始末する、という暗黒世界。

肯定するつもりはありませんが、現在の状況からは必要悪であるようにも思えますネ。

やや。


そして、そのような部分もこの「踊る大捜査線」には描かれており、主人公は

そうした裏の顔を持ちながら「正義」を貫こう、とする。

犯罪者が法の網を逃れ様、とする状況に対し「暴行、脅迫」で犯人を追い詰める、とか。

(まあ、ダーティー・ハリーみたいなものですね。)


現代的、というか、多重人格的(nanntene)


彼等警官が署内で胸に提示するIDカードに「M.P.D」とあるのに

ちょっと微笑んでしまいましたが。

Multi Person Disorder とも見えて(^^;


楽しく、テレビウオッチをしながら、今宵も私はのんびりと....



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