第3話 2000/4


−−−−−−−−−−−結−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

項 バンダリズム考 その 35



?Eネオテニー現象との関連性?






[コラム] <人工/自然>


最近、すっかりコラムニストっぽくなっていますが(笑)。





ちょっと、丘の上に登ってみました。




山歩きをすると、道でないところの歩きにくさに気づきます。

普段、管理されている状況に体が慣れているのですね。

また、土の上は歩きにくいですが、歩くことに集中しなくてはならなくて

飽きません。


舗装された道路を歩くと、刺激の少なさから音楽なんかがほしくなったり。





丘の上から見下ろす風景は、遠く、コンクリートなどの人工建造物が並び、

自然といえるものは空と海だけ、みたいなようにも思えます。



自然/不自然。


先月、先先月と、すこーし異常な感じの人々の群像、

という感じのレポートをお送りいたしましたが、

彼らと環境の関連を考えると、どうしても

自然/人工という図式がそこには見えてきます。



一般的に我々は人工環境に生きています。

それは、山の中に住んでいても同様であり、

水道や電気などといった文明の恩恵を受けて生活しているわけですし、

また、国家が「管理」しているし、「法」によって加護?されている。


ちょっと養老先生にかぶれた感じの見方をすると、

これらはすべて誰かの脳の創造物であるともいえますね。

それ故、どこかに自然とは異なる無理が生じ、その辻褄合わせに規則が

必要になってくる。


これの影響で、現在私たちはがんじがらめになっているわけでして

その閉塞感は不快であるためにストレスが生じ、攻撃性を生むとも言われて

います。先の会社員達も、会社という人工空間の中、奇妙な慣習に慣れて

しまった結果、あのようになってしまったとも考えられますし

ゲーム青年達などはその最たるものだ、といえます。



つまるところ、

ヒトが動物として本来環境から得られるであろうはずの情報の代わりに

人工的な情報が入ってきた結果その歪みでいろいろと摩擦が起こっている

のではないかなどとも考えられるわけですね。


是非は別にしても、こうした環境でより多き利得を得ようとするならば

順応せざるを得ないわけですし、また生まれながらにして人工環境に

慣れていると、その不自然さに気づかないことも多い、と思えます。





実際に会社という環境はあのよう状況が成立してしまう閉域であるようで

それが社会に与える影響そのものも無視し得ない、と思えます。



この<不自然>という事実、重要に思えます。


たとえば、いじめにしても、暴力を封じるという<不自然>な状況から

生まれたもので、なんとか表面化しない形で相手にダメージを与えよう

とする「暴力」です。


相手が怒って殴りかかることはない、とするルールがそれを行わせる。

(だから、殴ってしまえばいいわけですが、物陰で。ott,)

本当は悪い、という事。解っているのですが、それを正当化する理屈さえ

あればやっていい、と開き直る。これも<不自然>ですね。



“理屈”の存在が、善悪の概念を捻じ曲げている。



文化的生活は便利である反面、日常生活を単調にし、その影響で本来は生活の

ために使用するべき能力に行き場がなくなり、それが攻撃性の昂進につながる..と。

このような状況が家畜化であり、ネオテニーと呼ばれる状況の一因であるとも

思えます。



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さて、河合雅雄先生はその著書の中で「ガキどもに野原を」と

こうした事態を憂いての発言をされていましたが。(->サルの目、ヒトの目。)





私などが子供の頃は、野原や里山、雑木林などを悪童として駆け回り、

力のぶつかり合いの中から対人関係の「<自然>な」ルールができていったもので、

それは必然的にヒトの生理に沿ったものであり、それゆえ<自然>に

守られ、継承されるものでした。


たとえば、遊びであっても、怪我をさせない。下手な奴は守ってやる。

崖登りなんかをするときは、よくそうしたものです。

ビー玉遊びをするときは、器用な奴が一番で。

こんな状況からはいじめなんていう事態は発生しない。

なぜならば、力関係が一元的ではないからで、特定人物のみが

差別される状況にはならないからで。

<自然>な状況は常に変化がありますから、当然のことですが。

誰でもが得意な分野では一番になれる。

これこそが「平等」ではないか。






現在、こんな状況はあまり見られないようです。

最初から管理してしまう。危険なことは「やらせない。」

これは非常にもったいないことで、学習の機会を壊している。

それで、「教育」する。<不自然>な約束ごとを。


どこかの小学校の運動会のように「皆で手をつないで」徒競争のゴール

を切る、みたいな。



また、大人たちにしても同様であって、管理社会にいる限りは何か起きたら

誰かのせいにすればいい。

例えば、道路に穴が空いていたら、管轄の官庁に文句を言う。とか。

穴があいてたらよける、なんて考えない。


これらの状況は明らかに「幼稚化」の傾向であり、その一因として

<不自然>な社会という代物の影響、があるといえますし、それが

ヒトを傲慢にさせている、とも考えられますが。



さて、生まれながらにして人工環境に育った方々がこのような状況を

どう考えるのか?



ちょっと、わからないですね。

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