第37話 ギャンブラー達
数カ月のやり取りの後、サンダースは陸軍と満足できる条件でライセンス契約を締結することが出来た。
今後は試験的に兵站部門や特殊作戦部門、また士官学校の講義で使用されることになるという。
政府部門での利用のためライセンス単価は高くなかったが、なにしろアメリカ陸軍は100万人を抱える合衆国きっての大組織である。
数部門での試験利用といってもライセンスの数が違う。全体では莫大な金額となることが予想された。
しかも、試験利用した兵士たちの評価が高ければ本格使用に移り継続的にライセンス料が毎年振り込まれることになるし、他にも利用部門が増えれば金額は上振れする可能性が高い。
サンダースは予測されるライセンス契約の金額の「0の桁」を間違えたかと、妻に止められるまで何度もモニターの数字の桁を数えた。
そうして晴れて契約を締結したからには、実務と責任が待っている。
試験導入後に発生した様々な要望の改修や説明のサポートにサンダースは全米を文字通り西に東に飛び回ることになり、さすがに観念して何人かの技術者を自社で雇った。
どうにかこうにか一通りのトラブルを片付け続けること数カ月。
ふと気がつけば、サンダースはアメリカ陸軍と取引実績を持つ新進気鋭の起業家、というユニコーン企業経営者の仲間入りをしていた。
「そういえば…あなた事業を売るつもりじゃなかったの?」
「あれ?そうだよね?あれ?」
ある朝、妻に問われたサンダースは思いもよらない場所に立っている自分を発見して狼狽えた。
★ ★ ★ ★ ★
成功した経営者には金が寄ってくる。
一度成功したからとて未来永劫成功し続けるかは誰にも予測できないが、0と1の間には超えられない溝がある。
彼は投資家達からの査定において「0を1にできる男」として金を増やす能力の「コンバット・プルーフ」ならぬ「マーケット・プルーフ」が済んだ対象と見なされ、無事に投資銘柄経営者のリストに並ぶことになったわけだ。
結果としてサンダースの元には、以前に事業を売ろうとした際の10倍の人間と100倍の金額の話が持ち込まれるようになった。
ここまでの状況になると、個人での対処は不可能である。
サンダースは再びNY在住の友人、ジョーを頼った。
「サンダース!連絡を待っていたよ!今度こそホームランを当てたな!」
ジョーは市場が閉まって直ぐの時間にコンタクトをとったにも関わらず、非常に機嫌よくモニターで応対してくれた。
「無我夢中で振ったら、たまたま当たったのさ。本当はバッターボックスを譲るところだったのに…」
「そうだったな。全く、勝負は9回の裏ツーアウトまでわからない」
「そうだな。カブスがもう一度ワールドシリーズで優勝する可能性だってあるさ」
「違いない!」
ひとしきり笑いを納めると、サンダースはジョーに本題を持ちかけた。
「今回も、相談に乗って欲しいんだが…」
「構わないさ!レートは依然と同じで。時間200ドル、NDAつき、中立的な条件で」
「それで頼む」
オンラインでの振り込みが済むと、ジョーは早速用件を切り出した。
「前回のスクリーニング・リストはとても役立った。感謝してる。だけど、今回はリストでスクリーニングされない、有名な企業も多い。
それと詳しくはないけれど金融系のファンドや証券会社も多いと感じる。彼らは一様に、会社に投資したい、言ってくる。
中には株式の上場をしようと持ち掛けてくる会社もある。いい話もあるだろうし、詐欺のような話もあるだろう。
正直なところ、どう扱っていいのかわからない話ばかりなんだ。提示される金額も、ちょっと信じられない金額ばかりで現実感がない。
けれども、経営者としては何かを決めないといけないんだろう。それだけはわかる。だから、方針を決めるための相談に乗って欲しいんだ」
一気に喋ったサンダースへ、ジョーは落ち着いて答えた。
「なるほど。サンダースは、今まさに高額宝くじの当選者と同じ苦しみを味わっているわけだな」
自分の構築したビジネスを「宝くじ」呼ばわりされて、サンダースは機嫌を損ねる。
「僕のビジネスは宝くじじゃない!そりゃあ、運が良かったことは認めるけれど…」
ジョーは反論に取り合わず肩をすくめてみせた。
「周囲からしたら、どちらでも大して違いはないってことさ。ところで最近、急に家族や友人が増えなかったかい?」
サンダースは返事に詰まった。
ジョーの指摘通り、これまで疎遠であった自称親戚や自称友人達からの連絡も急増していたからである。
サンダース自慢の自宅警備システムも、今はヘビやサソリよりも不審な人間を検知することの方が多くなっていた。
「まあ落ち着いて聞いてくれ。僕は仕事柄、君のような人間を多く見てきた。
サンダース、君は急に金持ちになって不安になっているんだよ。
人間というのは不思議なもので、急に貧乏になると不幸になるが、急に金持ちになっても同じように不幸になる。適応には時間がかかるんだ。
だから、とにかく落ち着いた方がいい。
毎朝のワークアウトを欠かさず、コーヒーはデカフェに変えて、奥さんと毎日1時間散歩するんだ。
君は特別な才能を持っているかもしれないが、特別な人間になる準備はまだ出来ていない。落ち着いて、ゆっくりと決断するんだ」
ジョーになだめられて、サンダースは自分がいかにストレスを溜め込み、視野狭窄に陥っていたかを自覚した。
以前の自分であれば、ジョーとのやり取りをもう少し楽しんだはずなのに、とにかく一刻も早く仕事の話をしようと切り上げる機会ばかり伺っていた…
目を閉じてゆっくりと息を吐くと、不安の裏返しである興奮が冷めて、血圧が下がってくるのを感じた。
「…君の言うとおりだ、ジョー。僕は焦っていたようだ。友人というのはありがたいものだね」
「いいさ。カウンセリングは専門外だが、そもそもアドバイザリー業務なんてものは富裕層や経営者相手のカウンセリングみたいなものだからね」
「時給200ドルのカウンセリングか。なかなかだな」
「いやいや、ハリウッドセレブ相手なら800ドルは取りたいところだね。
ようやく友人との軽口を楽しめる精神状態になってきたことをサンダースは感じた。
やはり様々な重圧で自分はおかしくなっていたのだ。
「そろそろ、依頼の話をしていいかな?」
「ああ、頼む」
サンダースが肯くと、ジョーがリストを見ながら説明を始めた。
「今回のリストをざっと見てみたが、多くは投資ファンドだ。君のような見込みのある企業に投資し、成長を助け、売却益を得る。真っ当なファンドだね。
どの程度の金額を投資するか、見返りに何を求めるか、どの程度の期間を待つかはファンドの戦略によるね。投資額と期間、リスク算定、リターン要求が違うだけの、同じ種類の申し出と見ていい。
彼らは儲けられる経営者に投資して、リターンを狙っている。目的は金だけだ。その意味では、とても分かり易い」
「ふうん…以前の会社の転売屋とは何が違うんだい?」
「一番は金額だな。ファンドは顧客から信頼を得て数億ドルから数百億ドルの資金運用を任されている。顧客の資金も真っ当だ。法律上はね」
「法律上…」
「まあ、法律を潜り抜けるプロもいる。だが、そうした連中が投資できる金額はそこまで大きくない。大金を扱おうと思えば政府の監査もあるし報告書も頻繁に出す必要がある。逆説的に後ろ暗い金よりも、真っ当な金の方が扱う金額が大きくならざるを得ないわけさ。運用コストがかかるからな」
「なるほど」
「まあ、そんなわけで投資金額の大きいファンドの後ろ暗さについては心配する必要はない。問題は株式だけでなく経営権が欲しい、と言ってくる投資家だな」
「経営権!乗っ取りというやつか」
「そこまで悪質なのは少ないがね。例えば投資家から資金を集めて始めた会社が全く儲かっていないのに、大邸宅にクルーズに…と投資家の金を使い込む経営者は存在する。そうした経営者を解雇する、まではいかなくとも物申すぐらいには株式という形で影響力を持っておきたい、と投資家は思うものなのさ。
なにしろ、君が破産すれば投資した金を取り返せないわけだからね。法律的、心理的な保険が欲しい、と考えるのは自然じゃないか?」
「しかし、彼らは事業には素人じゃないか」
「まあそこは、投資家を募集する段階でパンフレットを作ってツアーと言うやつをやるのさ。投資家向けに全米を説明して回って、この事業は有望なので金を出してください、ってね」
「…冗談だろう?」
サンダースが心底嫌そうに拒否したが、ジョーは無言で首を左右に振った。
★ ★ ★ ★ ★
「次のグループは証券会社だな。それらの企業は投資家とグルだ。投資を受けて事業を拡大し、市場に上場しよう、と持ち掛けてくる。これはまあ、うちの仕事だな」
「投資を受けるだけでなく上場だって?」
「そうさ。実際にできるかは問題じゃなく、経営者にそうする意思がある、と見なされることが大事なんだ。証券会社が投資家を募集するのに役立つからね」
「それは詐欺じゃないのか?」
「いや、経営者に上場意思がある以上は詐欺じゃないさ。失敗して紙くずになるかもしれないが、それは夢に便乗するリスクというやつだ」
「しかし、そうなったところで君の証券会社は損をしないのだろう?」
「夢に乗るための手数料は正当な報酬さ。夢が破れる可能性はある、と説明はするけどね」
全く詐欺師の常とう句だな、とサンダースは呆れた。
「まあ、君は上場するつもりはなさそうだ」
「全くないよ!とても考えられない!」
「だけど、君は今のビジネスを当てた」
「それは…ダイス運が良かったのさ」
「今度はダイスじゃなく大きなルーレットを回しませんか?と話を持っていくのが証券会社の仕事さ。NY市場という胴元と組んで賭場のギャンブラーとギャンブラーに賭けるギャンブラーを増やし続けるのが仕事だからね」
「全く、油断も隙も無いな!」
「それは誉め言葉だね。まあ、今の事業規模での情報は僕も勧めない。市場から金を盗むつもりなら、SPACなりでさっと上場して逃げる手もあるけれど、君はそういうタイプには見えないからね」
「金融業界っていうのは、そういう連中しかないのか?」
サンダースは呆れてものも言えなかった。
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