第2章:あるアメリカ人は冒険者アプリを作る

第27話 あるアメリカの仕事人は妻を救うのに疲れている

 時間は少し――――冒険者アプリが開発される以前まで―――遡る。



 物語の舞台は、アメリカ合衆国カルフォルニア州ロスアンゼルス。


 都市圏に約2千万の人口を抱えるアメリカ屈指の都市であり、多くの国際的大企業の本社が集中する、世界の富と株価の40%が集中していると言われる、ある意味で世界の中心的な都市。


 今年で30歳になるシステムエンジニアのJ.サンダースは、世界のテックギーク達が集中するLAでホワイトカラーとして立派に仕事を果たし、高学歴の美しい妻を娶り、賢い犬を飼い、瀟洒な郊外の家をローンで買い、生まれて間もない娘がいて…カルフォルニアの温暖な気候と日差しの下、公私ともに充実した暮らしを送っていた。


 しかし彼が築いた平穏な家庭生活は、今まさに外部からの執拗な侵入者によって破られようとしていた。


「サンダァーーーース!また蛇が出たの!もう嫌ッ!なんでこの土地は蛇ばっかりでるの!」


 北欧生まれの妻が、甲高い声でスネェーーーーク!と叫び声をあげる度に、娘の安眠と彼の仕事は中断される。

 カルフォルニアへ移住した当初は、その温暖な気候と降り注ぐ日光を楽しんでいた妻だったが、副産物として付随する豊かすぎる生物相については、どうにもお気に召さないようだった。


 スネーク、クモ、アリゲーター、スコーピオン…

 カルフォルニアの豊かな自然で育った野生生物が庭に侵入を企てるたびに妻は叫ぶのだ。


「サンダァーーース!何とかして!!」


 キモい生き物からのレスキューも1回や2回なら男の甲斐性を見せる番だと張り切ったサンダースであっても、それが1日2回以上、土日の休みなく半年以上続くとなると、いくら妻を愛していてもさすがに参ってくる。

 幾度も思考の集中を乱されることで、仕事のパフォーマンスにも影響が出始めていた。


 しかし、アメリカン・ホーム・パパとして家族を守るのは第一の義務である。

 サンダースは自宅にショットガンを備えるマッチョ信仰者ではなかったが、その優先順位は間違わない。


「問題は必ず技術で解決できる」


 サンダースはシステムエンジニアらしく、己の技術力で問題の解決に立ち向かうべく実証調査を始めた。


 ★ ★ ★ ★ ★


 問題解決んために、まずはデータが必要だ。


「記録は…残ってるな」


 サンダースは交信アプリの記録を眺めて苦笑した。

 妻からのメッセージで「スネーク」「スパイダー」「アリゲーター」「スコーピオン」の対象を表す文字と「!!」の強調マークを検索するだけで、およそ件数の8割をカバーすることができたからだ。


 交信データをダウンロードし、該当するデータにチェックをつけて、野生生物の侵入頻度、侵入(発見)場所をデータ化する。

 すると様々な傾向が見えてきた。


「主な出没場所はスパイダーやスコーピオンはキッチン、スネークやアリゲーターはテラスか…」


 サンダース一家がローンで購入した家は水路に面し背後には木々が繁茂する自然豊かな郊外の一軒家の一つである。

 コロニアル風の住宅を一部現代風にリフォームした人気の物件で、妻と彼のお気に入りの習慣は水路に面したウッドデッキで爽やかな風を浴びながらの朝食だった。


 涼しい風をもたらす天然水路は川に繋がっており、ときに水路伝いに野生動物がやってくる。

 たまにジュゴンなどの大人しくかわいらしい動物がやってくることもあるが、温暖化の進むカルフォルニアの主な訪問客は堅い鱗、冷たい体、縦に割れた瞳孔を持つ水棲の爬虫類、つまりはスネークとアリゲーターである。


「それにしても訪問数が多いな…水門が機能してないんじゃないか?」


 水路には危険な野生生物の侵入防止として鉄柵が設けられている、と不動産屋は言っていたが、大いに怪しい。

 一度売りつけてしまったあとは野となれ山となれ、とばかりに焼き畑式営業をする不動産営業マンは多い。

 不動産地図で柵の位置を確認し、場合によっては取り替えなければならないだろう。


「スネークは…どうするかな」


 ただのスネークであればある程度は放っておいても良いが、記録を見ると2割は毒蛇である。無視できない数値だ。

 庭の芝生をこまめに刈り込み、水路からテラスへ通じる蛇の通り道を塞ぐ必要がありそうだ。


「すると、また草刈りカートの運転か。しばらく使ってなかったがバッテリーはヘタってなかったかな…?あーこれは…」


 ガレージの草刈りカートをチェックすると、バッテリーだけでなく草刈り刃部分のメンテナンスも必要なことがわかった。

 それでもアメリカのパパはDIYと車の修理と草刈りカートのメンテナンスぐらいは鼻歌を歌いながらこなせないと務まらない。


 サンダースは予備バッテリーに入れ替えて起動ボタンを押した。

 ぽちり。


 カートは起動しない。


「…接触の問題か?テスターはどこにいったかな…」


 サンダースがガレージの道具箱をひっくり返していると、リビングから「スネェーーーク!!」と妻の叫び声が聞こえてきた。


「やれやれ。早いところ手を打たないと離婚するかカナダに移住するかどっちかを選べと言い出すだろうな…」


 彼はガレージで蛇袋と長い棒を取り出すと、愛する妻の精神安定の危機を救うため自宅へと向かった。



 後に「冒険者アプリ」を生み出すことになる技術者は、妻と自分の暮らしを守る「画期的な解決策」を切実に必要としていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る