5-2

 バスで駅前に向かい、ロータリーの花屋へ飛び込んだ。初めて入る店だし、そもそも花屋なんて一人で来たことはない。少し緊張しながら、

「すみません、転校する友だちにあげたいんです。だからなるべく、枯れにくいやつが良いんです。それでできれば、ええと、綺麗なやつとか可愛いやつとか……」

 しどろもどろに店員の女性に伝えると、穏やかな笑顔でたくさん頷かれた。

「ええ、ええ。ではハーバリウムなんていかがでしょうか? こちらはボールペンだから長く使い続けられますよ」

「あっそれ知ってる。母さんが作ろうとして失敗したやつだ……」

 ふふ、と穏やかに笑う店員に何本かサンプルを見せられ、迷った末に青い花の小瓶が飾られたボールペンを選んだ。

「ではラッピングもいたしましょうか。リボンはどうされます? メッセージカードは?」

 食い気味な店員の笑顔に気圧されて適当に頷き、用意されたカードに“元気でやろうぜ。鷺岡真”と走り書く。真がカードを書いている間に、店員は他の客の相手をしながら手際よく花束の用意をしていた。花屋も素敵な職業だな、とぼんやり思う。真はサッカーをやめてから、いろんな職業に夢を馳せるようになった。

 駅構内にあるコンビニで駄菓子を買って花屋の紙袋に一緒に放り込み、ホームへ向かう。スーツ姿や学生服姿に挟まれながらエスカレーターでホームに登り、事前に聞いていた三番線に出た。急に開けた空間の中、遠くに見慣れたセーラー服姿を見つけた。

「佐生っ」

 思わず声が出る。

「鷺岡君」

 ポニーテールを翻して振り返った理緒が、スーツケースをガラガラ引きずって走ってくる。二人で駆け寄ってハイタッチする。

「引っ越し準備、ちゃんと間に合ったんだな。ほんとに忘れ物ない?」

「大丈夫。少なくともこれだけは絶対に忘れないようにって、真っ先にゲーム一式を荷造りしたんだから。あっちに行っても絶対、あんたと繋がっておけるように!」

 最近理緒と連絡を取れなかったのはこのせいだ。祖父母の家へ宅配で送る荷物の中に、真っ先にゲーム機ごと突っ込んでやるのだと理緒から事前に話を聞いていた。理緒を信じていなかったわけではないが、このことを実に話せないでいたのは、いつどんなトラブルが起きて予定が乱れるかわからないと思う癖がついてしまったからだ。父の浮気を目撃するように、母から疑いの目を向けられるように、まさかと思う瞬間は日常でいつでも訪れる。

「引っ越し先、県内って言ってたよな?」

「そう。でもほとんど県外に近いかな。うちのおばあちゃん家、隣の県との境に近い海の方にあるの。ここよりずっと田舎でバスも電車も少ないし、電車で一時間くらいだから……会えないことはないけど……」

「そう簡単には会えなくなる……」

「うん……」

 そこで沈黙が訪れた。理緒が何も言おうとしていないのを確認してから、言うぞ、と口の中で呟いて、片手に持ったままだった紙袋を差し出した。ああ、自分ってやつは……。

「これ、餞別。佐生の趣味とかよくわかんねえけど、見送りっつったら花かなって。ボールペンだから、普通に勉強とかでも使えるって店員さんが言ってた」

「うそ、ありがとう! 開けるの楽しみだなぁ。まさか餞別なんて貰えると思ってなかったから意外……。って、私も人のこと言えないんだけどね……」

 理緒は照れたように言いながらスーツケースに手を入れ、こげ茶の紙袋を引っ張り出して差し出してきた。

「鷺岡君、本読むようになったでしょ? だからこれ、私のおすすめ。ちょっと古いやつだからわざわざ取り寄せてもらったんだよ。あの、読んだら感想教えてね。メールでも手紙でも」

「マジ? 俺もまさか貰える側だと思ってなかったぜ……。ありがと、絶対感想送る! 今日帰ったらさっそく読むよ」

 意外な展開を受け、受け取った紙袋の重さと厚さにわくわくする。分厚い本みたいだからきっと長く楽しめるだろう。まさか意図せずプレゼント交換のようになるとは思わなかった。驚きと喜びとがないまぜになって、どんな顔をして良いのかわからない。

 お互いにちょっとずつ漏らすような変な笑い方をして、言葉が途切れた。秋の色を滲ませた風が、二人の間をすっと横切る。真は再び口を開いた。今度こそ言いたかったことを、頭の中で練習する。本当に伝えたかったのは別れの餞別のことではない。

「なあ……佐生、俺ちょっと考えてたんだけどさ。お前は頭良いだろ? 引っ越したって勉強は続けるだろうし、きっと良い成績取り続けると思う。だけど俺もサッカーやめて塾通い出してから、成績がちょっとずつ上がってるんだ。勉強の楽しさってやつもだんだん分かってきた気がする。それでさ……」

 長い前置きを怪しむ視線を受けながら、トートバッグの中に入れていた封筒を取りだし、押し付けるように渡して再び口を開く。それは一昨日に思い付いた考えを、昨日丸一日かけて推考した作戦だった。

 封筒を受け取った指が中のコピー紙を取り出す。

「再来年、俺たちが中学生になるときは、地元の学校じゃなくてここに入学できるように目指さそうぜ? エスカレーター式の進学校の附属中学。受かれば高校受験しなくてすむし、この町から電車で三十分程度だから、佐生の引っ越し先から俺の家からも通えると思うんだ。良い学校だから親も文句ないはず……」

 緊張で首から背筋にかけてが震えるのを感じた。だって進路の話だ。人の未来を縛ろうとしている。自分にそんな権利があるとは思えない。しかしそれでも、大人に相談する前に自分一人で考え付いた未来のひとつを、大切な友人に知ってほしかった。断ってくれても良いから――もちろんできれば、頷いて、ほしいのだけれど。

 理緒は真っ黒な瞳を丸くして、中学校のホームページを印刷した紙を凝視していた。上から下まで、二枚目を捲って受験要項のページにもじっくり目を滑らせながら、そっと開いた唇で丁寧に答え始めた。

「……この学校、すごくレベル高いし、倍率もかなりのものだって話だよ。知ってる? 今あんたが通ってる塾にだって、ここを志望してる子はたくさんいる。本気で目指してる子は四年生から通いだすんだよ。だから――」

 折り畳んだ紙を持った両手で、強く肩を掴まれる。

「――落ちたら殺す。絶対受かれ。私も受かるから」

 にまっと笑った顔に心底安心させられて、真も精一杯の笑顔を作った。

「理緒ちゃーん! そろそろよー!」

 遠くからよく通る女性の声がして、顔を向けると品の良さそうな壮年の女性が手を振っていた。「あれ、おばあちゃん?」訪ねると理緒が頷く。背筋がぴっしりと伸びた細身の女性は、サツマイモのよく似合う真の祖母とは正反対で少し驚いた。あんなおばあちゃんもいるのか。遠目に見えたその姿に軽く会釈をすると、にっこりと手を振られた。

 封筒を先ほどの紙袋に一緒に入れて理緒が言った。

「ねえ鷺岡君。私ね、今ならこう思えるんだ」

 スーツケースの取っ手を握り、言葉と共にそっと足先がホームの奥へ向けられる。

「もしも私の親が鷺岡君の親と不倫なんかしなかったとしてもさ、鷺岡君が塾に通うことは変わりないわけだから、きっと私たち、どうやったって絶対に友だちになってたはずだよ」

 立ち止まったまま目を見張る真に背を向け、理緒は続けた。

「だって鷺岡君は誰にでもずけずけ話しかけにいくでしょ。私最初は驚いたんだよ。分かんない問題があるってだけで、自習室にいる全然知らない子に話しかけちゃってさ。だからその調子で私にも話しかけて、初対面の私は感じ悪いもんだから鷺岡君もムキになって、お互い少しずつ性格を知って、今みたいに仲良くなれてたと思う。いろいろあったけど楽しい夏休みだった。きっかけとか関係ない。この夏は最初から最後まで、私たちの友情だけが本編だったんだよ」

 言い終えた後でこちらを振り返ったしたり顔に、真は少し固まってしまった。理緒の言うことに心底納得できたからだ。

 入ったばかりの塾で道に迷ったら、自分は相手が誰だろうと声をかけるだろう。

 自習室でわからない問題に直面したら、周りの誰にだって声をかけるだろう。

 友だちの恋にお節介をしたくなって、その相手や周りの子に声をかけることもあっただろう。

 ――挙げればきりがない。とにかく自分が理緒と友だちになれたことが正当化された気がして、そのことにもう飛び上がりたいほど嬉しくなって、はしゃいだら恥ずかしいと思い直して情けなく俯いた。

「……なんかその言い方、ちょっとくせぇな。恥ずかしい」

 片足をだんっ、と踏みしめて理緒が怒った。

「何をっ! そっちだってわざわざ進学の計画なんか用意してきちゃって、私より百倍恥ずかしいくせに!」

「おっ、俺のは現実的な人生計画だろーが!」真も顔を上げて言い返す。

「どこが現実的よ、勉強嫌いの運動馬鹿が中学受験だなんて――」

「理緒ちゃん電車来ちゃうから!」

 おばあちゃんの声に理緒がよそ行きの声で返した。

「はーい今行くー!」

 甘ったるい声に誰だお前、と言いたくなるのをグッとこらえて、大人しく見送ることにした。理緒がスーツケースの取っ手を掴む。

「それじゃ、次会うのはどんなに遅くても試験の日だね」

「その次は合格発表、んで入学説明会に、入学式だな」

「鷺岡君の制服姿、楽しみにしてるね」

「佐生の冬服も楽しみにしてるよ」

 手を差し出すと、ぎゅっと握り返される。

「またな」

「またね」

 どちらからともなく、すぐに手を離した。くるりと夏のセーラー服をはためかせて、見慣れた背中が去っていく。真のすぐ隣を電車が颯爽と通りすぎていった。背後から急ぎ足の学生やサラリーマンが何人も現れる。

 電車に乗り込む祖母と孫の光景を見る前に、真も踵を返してホームから歩み去った。友人が去る姿を見たくないからではない。誰よりも良い成績で受験に合格するために、早く塾へ向かわなければならないからだ。それにもしも予定より早く塾についたら、そこで学校の宿題も済ませてしまえるから、帰宅後の読書の時間を増やせるだろう。

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ダブルパンチ!!~小学生vs.ダブル不倫~ 才羽しや @shiya_03

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