エピローグ

5-1


 九月になった。まだ暑い日が続いているが、タンクトップもTシャツもやめて、今日は襟付きのシャツにしてみた。始業式の翌日には荷物が多い。今日は金曜日――時間割を見ながら久しぶりに使う教科書を用意した後、机の端に置いたままのゲーム機に視線を落とした。信治を強請って手に入れた最新ハードだ。数日使っていないだけでうっすらとほこりが付いている。ふっと息を吹きかけて、久しぶりに充電ケーブルを差してから真は部屋を出た。

 ダイニングで朝食の用意をしている文乃の目を盗んで、リビングで実がそっと据え置きのテレビゲームを起動しようとしている。学校へ行く前には朝食を食べて、着替えて歯磨きをして、忘れ物がないかチェックして遅刻する前に出掛けるのが正解だ。信治が別居を始めたから、実は親の目を盗んで叱られそうなことにチャレンジする回数が増えた。

「ミノお前な、朝からゲームはさすがにやめろよ」

 だから真が見かけたときには、父の代わりに注意することに決めている。前よりも少し厳しくなった兄に対して、実はしょんぼりと眉根を下げて手をひっこめた。

「だって朝ならログインしてるかなって、理緒ちゃん……」

 真は言葉に詰まった。理緒が家に来た日から四日は、彼女は毎日ゲームにログインして実とも真とも遊んでいた。が、今ではログインした形跡がない。実は当然寂しがっている。父親が浮気をしたからしばらく別居して反省してもらうのだと母親が話した内容に、最初こそ「昼ドラみたい」とはしゃいでいたが、だんだん父親が不在の環境に違和感を覚え始めたようだった。親が一人しかおらず、できたばかりの友だちとは連絡が取れない。寂しさを感じて当たり前だ。

 どう言おうか迷って、結局明るい声を出すことにした。

「あいつも忙しいんだろ。ガリ勉だし。――ほら、良いから朝ごはんの準備するぞ。コップ出して」

「はーい」

 

 本格的に二学期が始まった。真はサッカーをやめたかわりに九月から塾へ通う日数を増やすことに決めた。二学期最初の授業でやった算数の小テストは成績が良く、何度か一緒に居残りをしていたメンバーからブーイングを食らった。最近は読書が楽しいから、クラスの係決めでは図書委員に立候補した。

 放課後はあっという間に訪れる。その日は一日話しかけてこなかった原木が、真が靴を履き替えていると神妙そうな顔をして声をかけてきたので少し驚いた。

「あのよ、サギオ。俺な、お前らのおかげで紗理奈ちゃんと仲良くなれたんだ。今度あの、一緒に、参考書買いに行くことになって、その……」

 嬉しい話題のはずなのに、原木は涙目になって真の両肩を揺さぶった。

「なのに佐生さん転校しちゃったんだろ! 紗理奈ちゃん言ってたぞ、二学期始まってすぐに転校を知らされたって! お前は知ってたのかよぉ、サギオぉ? お前、俺のキューピッドになっておきながらよぉ、お前だけ……不条理だぜクソォッ!!」

「それ誰の真似だよ原木……」

 原木らしくないセリフ回しだった。そんな原木を引きはがしながら長沼も続けた。

「おい原木あんま言ってやるなよ。――でも本当、なんつーかよ。ひと夏の恋……って奴だったんだな、お前ら。ったく見てるこっちが切ないぜッ!」

「お前も誰の真似だよ長沼……」

 原木と長沼の妙なテンションは、夏休み中にテレビでやっていた映画の影響らしい。その映画のあらすじを聞かされながら三人で帰り道を歩く。

「じゃ、また後で塾でな」

 そう手を振る長沼と別れて原木とマンションに帰って、真は家に鞄を置くかわりに塾用のトートバッグを引っ付かんだ。中身の有無を確認した財布をポケットに突っ込んで、すぐに家を出た。

 

 原木が言っていた通り、佐生理緒は転校するらしい。フリーチャットができるゲームを実から教えてもらって、理緒とそこで話す中で知らされた。鷺岡家の両親が離婚ではなく別居を選択したように、佐生家も離婚はせず別居と言う形をとったらしい。ただし家を離れるのは娘の理緒ただ一人だけだ。ことのあらましを知った彼女の祖父母が大層怒ったらしく、孫娘が親から受ける悪影響を恐れて、市外の家に理緒を引き取ることにしたらしい。理緒がおばあちゃん子だということも、チャットでのはしゃぎようで真は初めて知らされた。

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