4-11

「初めまして実ちゃん。私は佐生理緒、お兄さんの頼れる友だちです!」

 テンションの吹っ切れた理緒が、初対面のはずなのに人見知りをせず実にそう自己紹介をした。悲願を叶えたばかりなのだ。真のテンションも似たようなものだった。

「は、初めまして……」

「おいおい実ぃ、もっと元気に挨拶しろよ! お前仲良い子には挨拶で頭突きするって言ってたじゃねえかよぉ」

 そそくさと自分の背後に隠れようとする実をバシバシ叩いて笑う。

「うえぇ……マコちゃんがおかしい……」

 理緒が目を白黒させている実にずいっと顔を近づけた。

「実ちゃんロケモン好きなんだよね? 配布中止になって今や二度と捕まえられない、伝説のモンスター・ゲネルセウスを捕まえる裏技、知ってる?」

 おどおどしていた実がぱっと顔を上げる。「教えてあげるよ、ゲームあるかな?」訊ねる理緒の手を引っ張って家に上げる実は、子ども部屋に入ってゲーム機を手に出てくる頃にはもうすっかり理緒と打ち解けていた。

 真はグァバ茶と迷った末に結局麦茶を入れ、リビングに顔を出した理緒に声をかける。

「佐生ー、電話ならそこにあるぜー」

「ああ、そうだった。ちょっと借りるね」

 実がゲーム画面をテレビに接続する間に、理緒が家庭教師に電話した。受話器を持って何度か頭を下げ、理緒が電話を切る。

「どうだった?」そう聞いた真に、「こんな生徒は初めてだって笑われちゃった」理緒は苦笑してそうこぼした。

「準備できたよー!」

 テレビ画面にゲームのオープニングムービーを映しながら実が元気に声を上げた。麦茶とスナック菓子と、戸棚から勝手に出したブランド菓子を並べ、三人でテレビ画面に食いついた。真はコントローラーを実と交代で使いながら理緒と対戦ゲームをして、実と理緒が遊んでいる間に米を研いで炊飯器にセットする。ダイニングから見えたテレビ画面で、少し目を離した隙にもう違うゲームが起動されていて驚いた。斧を持った大男を操る実が、意外な才能を発揮して理緒を圧倒している。

 テレビの前に戻って真もコントローラーを借りたが、理緒にも実にも勝てないので二人のプレイを見ているだけにした。最初は押されていた理緒の勝率が上がってきたところで、彼女が壁時計をちらちら見上げながら意を決したように口を開いた。

「鷺岡君、私そろそろ帰ろうかと思って。さすがに……ね」

「ああ、そうだよな……」

 本当は真も気づいていた。もうゲームを始めて四十分が経とうとしている。真っ直ぐ帰ることはしなくても、両親が話し合いを終えて家に戻る頃には理緒も自宅で待機していた方が良いだろう。親ではなく自分たちが決めたことだ。これからはお互いの家族の中で、大切な話し合いをする。離婚すると切り出されるか、別居を提案されるか、慰謝料を払うと打ち明けられるか――離婚はしないでやり直すと言ってくれるか。この話し合いが目的だったのだから、真と理緒が会うべき理由は今日限りで失われる。

 立ち上がってリュックを背負った理緒に、

「理緒ちゃんもう帰っちゃうの? また遊ぼうね!」

 実が無邪気に笑って手を握った。複雑そうに笑って「またね」と言った理緒の言葉が、嘘になりませんようにと心底思う。

「俺、下まで見送ってくるよ」

 真は実をリビングに残して理緒と玄関を出た。理緒がスニーカーを、真がサンダルをつっかけて廊下を歩き、エレベーターを待つ。

「実ちゃん、どうするの? 全部話すの?」

 階数表示を見ながら理緒が言った。エレベーターが九階から、いつもよりも早く降りてくる。

「両親が喧嘩するかもしれないって、俺からもう話は振ってあるんだ。親父が浮気をしてるかもしれないって、実も何となくだけど予想してるみたい。うちの両親分かりやすいから……。だから後は、父さんと母さんの二人から話してもらうことにするよ。あんな小さい子ども相手に、自分たちが間違ってたんだって懺悔させてやるんだ。きっと気まずくて嫌ぁーな思いをするだろうぜ?」

「ふふ、本当、いい性格してるよね鷺岡君」

 開いたドアからエレベーターに乗り込みながら理緒が笑った。一階まで誰も乗り込んでこなかったのに、二人とも何も言えなかった。開いたドアからゆっくり降りる。エントランスを出ると、少しだけ涼しい夕風が首を撫でていった。

 一歩前に踏み出した理緒が、泣き出しそうな顔で振り向いた。

「ねえ鷺岡君、ゲーム、絶対ログインしてね」

 震える理緒の手をぎゅっと握って強くうなずいた。

「分かってる。仮にもう……もう会えないんだとしても、ゲームとかメールとか、連絡取り合える方法はたくさんあるだろ。目的は果たしたけど、俺たち友だちなんだ。だからこれっきりじゃない。そうだよな?」

「もちろん。今はだめでも、絶対また会って、今度は任務なしに遊ぼうね」

「任務なし、それ最高。今から、楽しみ……」

 手を緩めると、そっと抱きしめられた。柔らかな髪が頬にかかる。背中をぎゅっと抱きしめ返して、そっと離れた。こちらを向く背中に声をかける。

「じゃ、気を付けて帰れよ。なんならバス停まで送っていっても……」

「やめてよ、一人で帰れる。実ちゃん一人にしたらだめでしょ」

 こちらを見ずに手を振った理緒が数歩歩いて、ぽそりとこぼした。

「バス停まで来られたら、本当に、帰りたくなくなるから」

 喉が詰まる。真が何かを言おうとする前に、理緒が走り去った。

「じゃ、おやすみ――!」

 遠ざかる背中と声に、自分が何を言おうとしたのか真はわからない。ただ、別れを言いたくなかったことだけは確かだ。

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