4-7

 他の学生も利用している学習スペースに並んで座り、身を寄せあってヒソヒソと会議した。勉強を装いポーズだけでノートを広げる。まるで出会ったばかりの頃、尾行の計画を立てていたときのようだ。

「親を呼び出す方法って言うと、塾の先生に呼び出してもらうとかどう? 面倒事を隠したがるあのズル親たちなら、部外者に呼び出されたら恥ずかしくてすぐに飛んでくるでしょ」

 さりげなく毒づく理緒に真は反論する。

「確かにズル親は塾の先生とかに弱いだろうけど、佐生もう塾やめてんじゃん」

「そこはほら、忘れ物があったとか、実は同じ塾生の鷺岡君とトラブルがあったとかで保護者呼び出しを――」

「それ俺が悪者みたいじゃんっ」

 真が声を上げると、周りの学生たちからじとりと睨み付けられた。うるせえ、と視線が語りかけている。身を縮める真を理緒がにたにたと笑って見ていた。

「静かにしなよ鷺岡くん。……まあ、確かにそうだね。塾の先生は使えないか」

「お前な……。でも第三者の大人っていうのは使えるかも。ただ俺らは学校が違うから担任とかは無理だろうし、てか今夏休みだし――そうだ。いっそ、補導されるっていうのはどう?」

「補導?」

 真はいつか見たジュブナイル映画を思い出しながら話した。

「子どもだけで怪しげな行動を取ってると、怪しんだ警察が補導して保護者を呼び出すってやつ。よくゲーセンで子どもが捕まるシーン、映画とかドラマであるだろ? さすがに警察なら奴らもすっ飛んでくるはず――」

「待ってじゃあどうやって補導されるの? 昼間のゲーセンなんて普通に子どもいるでしょ。私は今を逃したらもう鷺岡君と会えないかもしれないんだから絶対成功させないといけないの。補導って大体子どもが夜出歩いてるときでしょ? 今は真っ昼間。さすがに夜までは待てないし、万引きとか犯罪はリスクが……」

「ちょちょちょ、そんな、すごい勢いでダメ出ししなくても良いだろ。佐生こそ図書館では静かに」

「違うよ反論じゃないっ」

 理緒がノートを軽く叩いた。その目が爛々と輝いていたので、真はつい身を後ろに引いた。その間を理緒が詰めて笑う。

「上手くいけば一網打尽にできるよ、それ! とりあえず母親同士を呼び出して、警察にはあることないこと言ってややこしくさせてれば、父親も集まるかもしれない。例えば親が怖いとか、ママと二人きりは怖いとか言って、いっそ虐待的なことほのめかしてさっ」

「ぎゃ、虐待……」

 急に話が大きくなって真は焦ったが、理緒が乗り気なので本当に行けそうな気がしてきた。

「えーとじゃあ、四人集まるかは置いといて、確実に補導される方法を考えねえと……。ゲーセンも夜遊びも無理なら、家出とかどう? でっけえ荷物持って交番の前をうろうろすんの。明らかに誰かに見つかりたくなさそーな感じでさ」

「なるほど、家出の少年少女。確かに良いかも。でも大きな荷物か……」

 理緒は自分と真の軽装を見て眉を寄せた。理緒はいつかモールに出掛けたときと同じ軽めのリュック、真はトートバックだけだ。真は察して発案する。

「なら俺、一回家に帰って合宿用のバッグ取ってくるよ。適当に着替えとか詰めときゃそれっぽく見えるだろ」

「それ、どのくらい時間かかる? あと、ええと、そっちのお母さん在宅仕事なんだよね。そんな大きい荷物取りに帰って怪しまれない?」

「うちの母さん仕事中は集中しててあまり俺らのこと見ないし、仮に何か言われても友だちに漫画貸すとか言えば大丈夫。ここから家までは……バスで十分くらい。早けりゃ今から家に向かって三十分くらいで戻ってこれるけど……佐生はどう? 今日は家抜け出して来たんだよな、俺がここに帰ってくるまで待ってられる?」

「それは大丈夫。今日はお母さんが仕事から帰るまでに家で待っておけば良いから。……でもこれが成功すれば、もう抜け出したこともバレるけどね」

「じゃあ、決まりだな」

 真は笑って手のひらを差し出した。理緒がそれを固く握って笑いかける。時刻は十一時四十分。目標は十二時二十分までに、再びここへ戻ってくること。


   ***


「あっ、マコちゃんおかえりー」

 帰宅した真を一番に出迎えたのは実だった。運が良く、文乃は近所のコンビニまで買い物に出ているそうだ。

 バス停を通りすぎようとしたバスを全速力で追いかけて飛び込み、汗が引く間もなくバスを降りてマンションまで全力疾走したため、自慢の七三分けが汗で額に張り付いて台無しになっていた。

「ただいま、悪いけど麦茶用意してくんねぇ? 干からびそう……」

「世話が焼けるなあー」

 もったいぶって冷蔵庫に向かう実にありがと、と吐き捨て、一度部屋に戻り上に着ていた汗だくのTシャツを脱ぎ捨てる。タンスから替えのポロシャツを出しながら、ついでに仕舞ったままの大きなボストンバックを引っ張り出して中を確認する。「いつ洗ったんだこれ」ぼやきながらごわごわのタオルを中から放り出し、代わりに体操服やらバスタオルやら適当な着替えを詰めた。

 家出中の少年少女――そんな設定を思いだし、真は背後を振り替える。開け放したままのドアの向こうで、実が食器棚の戸を開ける音がする。妹はどんくさいから間に合うはずだ。二段ベッドの上の段に顔を覗かせ、実が脱ぎ散らかしたままのワンピースを一着拝借してバッグに詰めた。もしも家出を疑われたなら、女子の着替えもあった方が良いだろう。

 膨らませたバッグを机の下に隠してダイニングへ向かう。テーブルの上のたぷたぷの麦茶を一気に飲み干した。もう、後は鞄を持って出かけるだけだ。

「なあ、ミノはさ……」

 椅子にちんまりと座って炭酸ジュースを飲んでいた実が顔を上げた。震える手を落ちつけながら、静かにコップを置こうとしてテーブルを叩いてしまった。コツ、とガラスのぶつかる音に真は心底怖くなった。ついさっきまでとは違う汗がにじみ始める。家に帰ってきたのは、家出を装うための準備の他にも用事があったからだ。理緒には言わなかったが、きっと彼女も察していたと思う。

 どうしても実に訊きたかった。

「ミノは、父さんと母さんが喧嘩したら、どう思う……?」

 これから真が家庭を壊すから、実にはその心の準備をしていてほしかった。ひどく無責任な聴き方をする自分が大嫌いだ。喧嘩で終わればまだ良い。離婚したら? 苗字が変わったら? 親のどちらかが欠けたら? もっと悲惨なことが待ち受けているかもしれないのだ。第一、こんなことを実に訊ねたって、妹を傷つける未来は変わらないのに。

 あの日の夕方、仙田の家を出て、理緒と二人でぐずった時を鮮明に思い出せる。いくらドライな性格を気取ってみても、両親の不仲を知ってしまえば、子どもは少しも動じずにいられない。不愉快になる、不安になる、不信を覚えてしまう。今度は実が同じ思いをする。

 真は自分が間違っているのではないかと何度も思っている。妹を傷つけてまで教えるべき真実などあるのだろうか。

「そうだなー。……多分ミノは、スッキリすると思うよ。喧嘩しないと仲直りできないからね」

 青くなる真をよそに、実の返答はカラッと乾いて明るかった。真は幽霊でも見るように妹の顔を見た。てっきり嫌だと言われるか、どうしてそんな質問をするのかと逆に訊き返されると思っていた。

「お父さんとお母さん、最近すごく仲悪いよね。ミノだってそれくらい気づくよ。ギスギスしてるってやつ。だから早く喧嘩して謝って、仲直りしてほしい。喧嘩するまでずっと仲悪いままだと思うから」

 喧嘩の終わりは仲直り――本当はそんなに簡単な話ではないのだけれど、確かに仲直りという選択肢もある。彼らがそれを選んでさえくれれば。その可能性を今まで自分が見落としていたことに、真は目が覚めるような心地がした。

「……お前、変なとこ大人だなあ……」

「ふふん、女子は男子より早く大人になるんだよ」

 あっけらかんとした声に、真は心底救われる心地がした。真や理緒が全てを暴こうとしているのは、状況を好転させるための前向きな目的があるからだ。決して家庭を壊すためではなく、自分たちの清々しい未来を勝ち取るための行為。これが正しいかは分からないが、間違いでもないのだとしたら……。

 真はテーブルの角を掴んだが膝をつかずにはいられなかった。ダイニングのフローリングを見つめて長く細く息を吐く。

「マコちゃん?」

 実が心配そうに声をかける。妹は自分が思っていたよりもずっとしっかり成長していた。小さくてのろまだけれど、こうして兄を心配する頼もしさがある。今、実を傷つけることを恐れて自分まで隠し事をしてしまえば、いつか真実を知ったときに彼女は両親も兄すらも、家族全員を信じられなくなるだろう。きょうだいのいない理緒は現に、家庭への不信に苦しんでいた。

 真はテーブルの下にもぐって手招きした。素直にもぐってきた実に声を潜めて伝えた。

「……俺は父さんが悪いことしたの知ってるんだ。それを母さんにチクって、父さんを苦しめようとしてる。ついでに言えば母さんだって怒らせるだろうし、両親やいろんな奴が喧嘩してミノも嫌な思いをすると思う。我ながら酷いことをするんだ。先に謝っとく、本当にごめん」

「悪いことってもしかして、浮気?」

 真は飛び上がって天板に頭をぶつけた。今こいつは何と言ったか。悶えながら聞き返す。

「なん、なんで悪いことでそれが出てくんの……」

「この前やったゲームの体験版でね、慰謝料と養育費に悩む男の人が主人公だったの。アーロンって言う野球選手なんだ。結婚してるから浮気じゃなくてフリン、っていうらしいけど。大変だったなあ、弁護士探しながらゾンビ倒すの! でも浮気したならしかたないよね、許して貰えるまで謝らなきゃ。ミノたちだって学校で悪いことしたら反省文書かされるんだから――」

「なんでそんなゲームやってんのお前!」

「もう子ども向けゲームはつまんないんだもん。そのゲームでね、男は浮気する生き物だって奥さんのジェシカが言ってたよ。だからミノ、仮にお父さんが浮気しててもそんなにショック受けないから大丈夫だよ!」

「お前……」

 ゲームと現実の区別がつかない若者が多い、というニュースをこの前やっていた。きっと目の前の妹のようなことを言うのだろう。社会問題の切実さを噛みしめながら、真は肩を落としてテーブルから這い出た。頭を触るとこぶができていた。

「ミノが思ったより成長してて安心した。じゃ俺もう行くからな」

「えー、何それ! 教えてよ悪いことって何? ねえ?」

「俺の口からは言えない。多分お前もそのうち気づくよ」

「ゴーモンしてやろうか!」

「もうお前怖いゲームするの禁止!」

 

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