3-3

 緊張したままの理緒を促して、一緒に靴を揃えて鍵を掛け、仙田の後に続いた。飴色のフローリングを歩いてガラスの引き戸を開くと、こじんまりとしながらも清潔そうな畳の居間に出た。座布団を出され、白い液晶テレビの前にあるローテーブルを囲むように座っていると、仙田が麦茶ポットとグラスを三つ持ってきてテーブルに並べた。

 透明のグラスが麦茶で満たされるのを見て、真は駄菓子屋の紙袋を差し出した。「これ、仙人にお土産」受け取って中を覗き、仙田が笑う。

「これはわたしの好きなやつばかりだね。原木くんから聞いたかな?」

「ご名答。賄賂だと思って受け取ってよ」

「ほう、そちもわるよのう」

 芝居がかった声を出して笑い合った。理緒だけがひきつった笑いを浮かべていた。出された麦茶を遠慮なく半分ほど飲んでから真は切り出した。

「さっそく本題。佐生のスマホに大切な写真があったんだけど、そのスマホにお茶こぼしちゃって、今修理中なんだ。やっぱ水没させちゃったらデータってなくなるのかな?」

「いや、それはないと思うよ。まあ絶対とは言えんでしょうけど……よほど古い機種でない限りは、ちゃんとデータも復活するんじゃないかな?」

「マジ? 良かったー。な、佐生?」

 理緒を見ると、膝の上で拳を握ったまま険しい顔を浮かべていた。「佐生?」真が声をかけると、ようやく顔を上げておずおずと声を出す。

「……あの、その。ほんと無理だとは思うんだけどさ……修理中の今、スマホが手元にない状態で、写真のデータだけを別の場所に移したいって言ったら……さすがに無理かな?」

 真は二重の意味で驚いた。思ったよりも理緒がハッキリとした口調で望みを告げたことと、その内容にだ。てっきり中の写真が無事でさえいればそれで万事解決だと思っていた。それなのに、修理中の状態で、中のデータだけを取り出す? 理緒の言葉を反芻してから真は仙田よりも先に声を上げた。

「むっ、無理に決まってんだろお前! スマホが手元にないのにどーやって写真だけ取り出すんだよ! んなの仙人に聞いたってしょーがないだろ。俺たちがケータイショップに行って店員さんにお願いするか、いっそ忍び込むとか」

「だってそうでもしなきゃ、絶対に写真は返ってこない!」

 理緒は真っ直ぐに真を睨み付けて声を上げた。

「ケータイショップにスマホ取りに行くのはお母さんがいなきゃできないことだよ? お母さんが私に黙ってスマホを取りに行くことはできても、私一人で取りに行くことはできない。これってつまり、お母さんが勝手に私のスマホを受け取って写真を削除しちゃうこともできるってこと! こんなタイミングでスマホにお茶をこぼしたんだから、きっと狙いは写真を消すこと――」

「――あー、その二人とも」

 おほん、と仙田が咳払いをした。まるで仙田の存在を忘れて言い合っていたことに気づき、真も理緒もハッとして彼の方を向いた。居心地の悪さを感じる二人に対して、仙田はいたってマイペースに頬杖をついて笑った。

「割り込むようで申し訳ない。さっき言ってた、修理中に写真だけを取り出すってやつ。もしかしたらできるかもしれないよ」

「マジ!?」

「本当!?」

 二人してローテーブルに身を乗り出す。麦茶ポットが揺れて、その表面にかいていた汗が一筋垂れた。ちょっと待ってて、と穏やか立ち上がると、仙田はふすまを開けて隣の部屋に潜っていった。少し経ってから、小さなすき間を開けて身を滑らせるように、仙田がノートPCをもって現れる。理緒と一緒に麦茶ポットとグラスを寄せて、PCを置けるスペースを作った。

「……ちなみに聞くけど、佐生さんのスマホの機種は?」仙田がキーボードを打ちながら訊ねる。

「ポクセルだよ。Zoozle社のやつ」

 流れるような手つきでPCを操作していた仙田が、目当てのウェブページを見つけて液晶画面をこちらに向けた。

「ならこれを見て」

 小ぶりな液晶画面に表示されていたのは、スマホとPC間でデータを移行する手順について記載されたブログ記事だった。

 ――曰く、“Zoozle社製の端末に搭載されている「Zoozleフォト」にはPCからもアクセス可能です。スマホで写真撮影後、自動でZoozleフォトに写真がバックアップされていれば、PCから写真を閲覧可能です”とのこと。

 文章の下には、スマホで撮影した写真がZoozleフォトに自動バックアップされる場面のスクリーンショットが載せられていた。それを見て理緒が歓喜の声を上げる。

「この画面! いつも写真撮った後に出てくるやつだよ」

「じゃあ話は早いね。今のうちにPCからZoozleフォトの、佐生さんのアカウントにアクセスしちゃえば良い。そうすれば写真のバックアップは取り出せる。どうする? 今試してみる?」

「パソコン、借りても良いの?」

「どうぞどうぞ」

 理緒と仙田が席を交代した。何て頼もしい奴だろう。真の隣にやってきた同学年の彼が、今では本当に老成した仙人に見えてくる。

 意気揚々とPCに向きあった理緒が、やがてあっけなくうなだれた。

「…………ごめん、パスワード忘れちゃった……」

「馬鹿っ! アホ! どーしてお前はそうなんだよ佐生!」真は腕を振り上げた。

「うっさい、仕方ないでしょいちいち覚えてられないんだから! て言うか別に忘れても大丈夫だし。ほーら、ご覧になって鷺岡くん? ここにパスワードを忘れた人用に、秘密の質問でパスワードを教えてもらえるシステムがあるんだから……」

 理緒が気取って言い返した。真は仙田と画面を覗きこむ。パスワードを忘れたときの救済措置として「好きなキャラは?」と“秘密の質問”が表示される。

「ジオ・ブランデー……っと」

 得意げに打ち込んだ理緒に、「答えが違います」と無情なポップアップが浮き出た。

「馬鹿っ! アホ! なんで塾行ってんのに物覚え悪いんだよ佐生!」真は腕を振り上げた。

「うっさい、物覚え悪いから塾行って補ってるんでしょーが! ええーマジでなんでだろ、ジオ様じゃないとしたら誰? 前の推しは誰だったっけ……」

「ジオが誰だか知らんけど同情しちゃうね。とっかえひっかえ好きなキャラ乗り換えて。きっと今にジオなんちゃらのことも、こうやって忘れちゃうんだぜ」

「なっ、そんなことないもん! ジオ様はずっと好き!」

「ジオってもしかして“ジャジャの珍妙な冒険”?」

 入ってきた仙田の声に理緒が顔を輝かせた。

「うそ、ジャジャ知ってるの? やったー知ってる人初めて会えたっ!」

「わたしもジオは好きだよ。でも一番好きなのはニギーかな」

「わかるかっこいいよね、猫なのに超ハードボイルドでさ!」

 理緒と仙田は共通の趣味を見つけて見る見る間に盛り上がっていった。話題の内容について行けず、真は一緒に放ったらかしにされた秘密の質問と見つめ合う。プログラムには心がないらしいけれど、真には心があるから疎外感を覚えてしまう。つまらない。「トイレ借りるぜ」仙田に断って向かったトイレは、扉に謎の掛け軸が飾ってあった。念入りに手を洗って帰ってくると、二人は今度は別のゲームの話で盛り上がっていた。のんきなことだ。

「――で、どーなの? 結局写真はだめなわけ?」

 自分でも分かる、水を差す言い方だった。気まずそうに静まり返る理緒の隣で、仙田が苦笑を浮かべて真を見上げた。

「そうみたいだね。……ねえ、差し支えなければだけどさ、どんな写真が消されそうになって困ってるの?」

 どんな写真か、だなんて。真は立ったまま、理緒は正座のままピシッと固まってしまった。良くない空気を察してか、仙田が両手を振って訂正する。

「おっとごめんよ。別に言いたくなければ全然言わなくてオッケー。なんだかただならぬ雰囲気だったからさ、ちょっとサスペンスっぽさを感じて、興味わいちゃったよ。下世話なことを申し訳ない」

 理緒と顔を見合わせる。こちらを向いた顔を見て、彼女は自分と同じことを考えていそうだと思った。それはもしかしたら、真の思い込みかもしれない。けれど真は壊れたバネのように、自分の口が開いていくのを止められなかった。

 親しい友人ではなく、当事者でもなく、会ったばかりのほぼ無関係と言える仙田にだからこそ、吐き出したかったのだ。

「ほんと、忘れてくれて構わ――」

「不倫現場の写真だよ。俺の親父と、佐生のお母さんがデートしてるとこ。俺たちが尾行して撮ったやつ」

 彼を体の良いはけ口にしようとしている自分に、真は悪寒のような自己嫌悪を感じる。

 気さくなはずの仙田が表情を消して黙り込んだ。網戸から風が入ってきて、レースのカーテンと風鈴を揺らす。ちりん、と澄んだ音がまるで夢のようだった。理緒が信じられないという目で真を見上げてから、グラスの麦茶を一気に飲み干して立ち上がった。

「今日はありがとう。お茶、ごちそうさま」

 怒りとも寂しさともつかない声で理緒が告げるのを聞きながら、ああそうだ、と真は思った。理緒は人見知りだけれど、どんな場面でも反論だけはハキハキとする奴なのだ。初めて会ったとき、真は理緒にきっぱりと協力を断られた。しかしそれは今、状況の改善に何の関係もない気づきだ。


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