第三章 邪魔、諦め、コンティニュー
3-1
掴んだ証拠をどうするか――風呂の中でも布団の中でもトイレの中でも考えて、真は自分の中から「ゲーム機を買ってもらう」という選択肢が優先度を下げていたことに気づいた。父親の不倫を探ったのは何故か。当初はスリリングなスパイ気分を味わうことが目的だったが、それはもう果たした。次にやるべき事は決まっている。彼らの間違いを突き付けて、思う存分になじって、自分たち子どもへの謝罪を要求することだ。絶対に勝ち逃げなどさせるものか。
とは言え選択肢は他にもあるし、一緒に頑張った理緒と話し合わなければ、自分一人で事を進めるわけにもいかないだろう。第一、証拠写真は理緒のスマホの中にしかない。ネットで調べたらスマホ写真はコンビニでも印刷できるらしいから、次に会えたときに提案してみよう。
月曜日の朝。ラジオ体操に向かう前に、勉強机に向かって思いついたアイデアをメモ帳に書き留めていく。真はさならが軍師気分だった。
意気揚々と塾へ向かったその日、不運なことに真は理緒に会えなかった。彼女と同じクラスの原木に聞けば、理緒は塾を休んだのだと言う。念のために自習室を覗いたが、理緒の残した合図はなかった。密会を見た翌日に塾を休むなんて――。まあそういうこともあるかと、なるべくあまり深く考えないことにして、もうホテル前の張り込みはせず真っ直ぐ帰宅した。
その翌日に真は図書館で不倫について少しネットで調べて、ついでにパワーポイントで資料を作って印刷した。なんだか自分が出来る男のようだった。
三時頃に塾へ行くと、自習室に理緒の姿を発見した。最近は毎日のように会っているというのに、何だか久しぶりに会えた気がして真は知らず上機嫌になる。
「やあやあ、佐生くん。よく来たね。ふふふ」
気取った歩き方で隣に座ると、理緒はものすごく怪訝な目をした。
「え、何? 不気味なんだけど」
「プレゼンです! しかも今日はパワーポイントを使っての本格的な奴!」
「ぱわ……へ、まじ? 意外と本格的なのね」
「まあな。図書館で職員さんが使い方教えてくれたんだ。――あ、もちろん内容は見られてないから安心しろよ」
リュックサックからファイルを取り出し、真は印刷したばかりのパワーポイントの資料を広げた。胡散臭く咳払いする。
「えー、おほん。……証拠をどうするか、って話なんだけど」
理緒が問題集を閉じ、真顔になった。それを話を始めて良いと言う合図と受け取り、真は小声で指折り説明する。
「俺が考えたアイデアは三つ。その一、奴らに証拠をつきつけて不倫をやめるように説得する。メリットは俺たちの家族のビミョーな空気をどうにかできるかもしれないこと。デメリットは、説得が無駄かもしれないってこと。あと俺達が家族と……なんかちょっと気まずい雰囲気になるかも」
紙芝居のように二枚目の紙を取り出す。
「そのニ、不倫は止めないけど証拠をネタに強請る。メリットは親を言いなりにして憂さ晴らしができること。デメリットは、親が不倫をやめない限りは家族のビミョーな空気はこのままだってこと」
最後になる三枚目の紙を見せた。
「その三――俺としてはこれが一番ないなって思う選択肢なんだけど――証拠は俺たちの胸の内にとどめて、何もしないこと。メリットはこれから何もせずに済むこと。後、気まずい思いをしなくてすむことかな。デメリットは、俺たちの苦労が何の意味もなくなるし、何も解決しないってこと。……どう? 初心者にしてはすごい出来じゃね?」
「……そうだね。すごいと思うよ、鷺岡くんプレゼンの才能あるかもね」
えへへと真は頬をかいた。しかし理緒は浮かない顔をしたまま、心底気まずそうに言葉を継いだ。
「私も、今日はあんたに言いたいことがあったんだ。今のプレゼンに対する返事と同じ内容だよ」
理緒は身体ごと向き合うと、怒っているような顔で真を見つめた。睨まれているのかと間違えそうになるが、そうではなさそうだ。何かあったのか? 真は不安に眉尻を下げる。
月曜日に理緒が塾を休んだと聞いて感じた不穏な予感が、今まさに現実として訪れた。
「さっき出してくれたアイデアの中で、残念だけど三番しか選べなくなった。……証拠はなくなった。ごめん。スマホ、使えなくなっちゃったの」
言い終えるとすぐに、剣呑な目つきが泣き出しそうなそれに変わる。背筋がぞっと震えた。それって、と真は呟く。
「使えなくなったって、どういうことだよ。没収されたとか?」
「ううん。昨日ね、塾に行く直前に、お母さんがテーブルにあっつい紅茶をこぼしちゃったの。ちょうど同じテーブルの上にあった私のスマホは、見事に水没して壊れちゃった。ごめんね、って謝って、お母さんはすぐにケータイショップに連れてってくれたけど……」
プリーツスカートのポケットから、理緒が全く可愛らしくないスマートフォンを取りだした。年季の入った代替機だ。
「修理に一週間はかかる。それまでこれを使うようにって言われたの。アプリどころか、もう最低限の連絡先しか残ってない。だからごめん。せっかく撮った写真、もう消えちゃったかもしれない……」
堪えていたのであろう黒目から、とうとう涙がぼろりと溢れた。
「やっぱり叔父さんが、告げ口したんじゃないかな……っ」
悪い予感が妄想から現実になってしまったというのか――。
今にもしゃくりあげそうな理緒を見て、真はいてもたってもいられなくなり、ファイルをリュックに押し込んで理緒の手を引いて立ち上がった。
「なら、それを逆に利用できねえかな」
「利用……?」
「そうだよ。本当のことは分かんねえけど、もし佐生の母さんが叔父さんからの告げ口でスマホぶっ壊したんだとしたら、あっちは今、証拠を完全に消し去ったと思ってんだろ? だから大人には俺達がもうあきらめたって思わせといて、こっちはこっちでこっそり調査を続けるんだ。証拠は他にも必ず出てくるはずだし、その写真だって、もしかしたら復元できるかも。最近の機種は防水が当たり前だろ?」
なるほど、と呟いて理緒が立ち上がった。泣き顔から思案顔にすっかり変わって話を続けた。
「つまり裏をかくってわけね。油断を誘って他の証拠を……でも他に私たちが入手できる証拠なんてある? あの写真だって苦労してやっと撮ったものなのに。それに私、機械詳しくないから水没したスマホから写真を復元するなんてできないよ。第一、スマホはもうケータイショップにあるわけだし……」
「それなら大丈夫、俺にあてがある。詳しい人を知ってるから紹介して貰おう」
理緒を連れて真は塾を探し回った。原木を探すためだ。彼が真の言う“詳しい人”なのかと理緒が訊ね、真は首を振った。
「原木には仙人を紹介してもらうんだ」
「仙人?」
「隣のクラスに仙田って男子がいてさ。パソコンとか機械とかすげえ詳しいらしいんだ。壊れたゲーム持っていくと直してくれるんだって。そいつ賢いし妙に大人っぽいしゃべり方するしで、“仙人”ってあだ名がついてる。――俺は一回も同じクラスになったことないし全然話したこともないんだけど、原木がそこそこ仲良いらしいから、ダメもとで原木に仙人を紹介してもらおう」
理緒を廊下で待たせると、真は滅多に訪れない設備の新しい方の自習室へ顔を出した。エアコンの涼しさを新鮮に思いながら、運よく原木を見つけて真はホッとする。原木がここにいなければ家を訪ねるところだった。
機械のことで困ってるんだ、と原木の前で打ちひしがれて見せ、今度マンガを貸し出すことを条件にすれば、原木は「しゃあねえなあー」と二つ返事で仙田を紹介してくれることになった。
原木を連れて廊下に出ると、理緒は女子友達を見つけて話し込んでいた。原木を見つけると理緒はすぐ目を逸らし、こちらへは一切近づいてこなかった。何となく察していたが、理緒は人見知りが結構激しいタイプらしい。
原木が自分のスマホから仙田の家に電話をかける。「もしもし仙人? サギオがお前と話したがってるから代わるな」何とも雑な取り次ぎだ。それで彼に嫌われたらどうしてくれる――。スマホを寄越され、真はひやひやしながら声を出した。
「ああ、もしもし初めまして。俺、原木の友達で隣のクラスの鷺岡真って言います。急に申し訳ないんだけどさ、ちょっと相談乗ってくんねえかな? 仙田くん、機械関係詳しいんだよな。俺、今スマホが水没してすごく困ってて……」
『初めまして鷺岡君。すごく気の毒だと思うけど、それは大人に相談した方が良いんじゃない? 残念だけどわたしはプロじゃない』
自分のことを「わたし」だなんて言う男子小学生をこいつ意外に真は知らない。思った以上に落ち着いた声音と口調に、真は気圧されかけてなんとか踏ん張り、声を継いだ。
「そこを頼むよ、大人に相談できないことなんだ。原木から仙田君は口が堅いし頭が良いし、すっごく信頼できる奴だって聞いてさ。もう君くらいしか頼れそうな奴を知らないんだ。できれば会って話したいんだけど、嫌ならこのまま電話で相談を聞いてもらうだけでも良いから。なあ、だめ?」
『あざとい褒め方をするね。うーん……』少しの間を置いて、電話口からふふと笑う声が聞こえた。『まあ、いいでしょう。わたしも鷺岡君のことは原木君から聞いてるしね。見た目に騙されると後悔するタイプの奴だって』
「なっ、それどういう意味――」
「今、家にいるけど来る? 場所教えるよ」
真は顔を輝かせた。ガッツポーズをする。
「っ! 行く行く! そうだえっと、俺の他にもう一人友達連れてって良いかな? 違う学校の女子なんだけど」
『女子? まあ……汚い家だけどそれで良ければ。学校の北にあるオノっていう駄菓子屋分かる? 看板に青い字でオー・エヌ・オーって書いてるお店。うちはそこの裏にあるアパートだよ。コーポ青山ってとこの、三○二号室』
「オノね、了解。ありがと! これからすぐ行くな」
『お待ちしてるよ』
電話を切って原木にスマホを返す。それを受け取ると原木は妙にでかい声で言った。
「仙人どうだった?」
「会ってくれるって。マジでありがとな原木。すげえ助かった」
「まあな。おれで良けりゃいつでも力になるぜ、親友?」
真の肩に腕を置き、原木はわざとらしくニヒルに笑った。原木にしては気取った言い方に首を傾げ、真はその視線を辿って、ああ、と頷いた。理緒と談笑しているのがポニーテールの女子がだったからだ。きっと原木は憧れの女の子の視界の端で、クールで友達思いな男を演じたいのだろう。
「ちょっと待ってな」真は原木の腕を肩から下ろすと理緒におもむろに近づいて行って「終わったぜ」と声をかけ、ついでに耳打ちする。
「あいつ原木って言うんだけど、多分その子のこと好き」
「あーなるほど……」
理緒が訳知り顔で頷き、ポニーテールの肩を叩く。「彼は鷺岡くんで、あっちが原木くん。府渡小の五年生だって」ぱちりと大きなどんぐり目を瞬かせて、その子は真の次に原木を見た。急にキュートな視線が向けられた原木は背筋を伸ばした。
「鷺岡君と原木君? ええっと、私は中村です。中村紗理奈。原木君は確か同じクラスだったよね。よろしくね」
いかにも明るくて可愛らしい声をしていた。憧れの美少女に微笑みかけられて、原木は真っ赤になって破裂寸前だった。「じゃあな原木」「またね紗理奈」理緒と一緒に手を振って塾を出る。仲介の報酬としてはお釣りがくるレベルだろう。
仙田との電話内容を理緒に話すと、「オノ?」と首を傾げられた。確かに他の学校の子は知らない店かもしれない。「駄菓子屋だよ。ついでだしお土産買っていこうぜ」理緒を先導して歩き出した。
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