守り石

一帆

第1話


 桜の開花宣言をテレビで見ていて、桜子の名前をふと思い出し、連絡をとったのは1週間前。桜子も私に話があるらしく、二人で会うことになった。二人の共通の友人の話や、お互いの近況の話をしてしまって、ちょっとだけ気まずい雰囲気が流れ始める。

 

 何度か口を開いたり閉じたりして話すことをためらっていた桜子が、冷めたコーヒーを一口すすって、顔を曇らせて話し始めた。


「ねえ。あなた、って信じる?」

「?」

「私の友達の凛子のことなんだけどね……」






 凛子が石に出会ったのは、何度目かの海外旅行先のこと。ある村をぶらぶら歩きながら写真を撮っていると、ファインダー越しにやせ細った老婆が凛子を手招きする。チップでも要求するのかと思って、凛子が近づくと、老婆はとても困った顔をして、小さな石を凛子に差し出した。


『石がお前さんを呼んでいる』


 現地語を理解できないはずなのに、その時の老婆の言葉ははっきりと理解できた。一瞬不思議なこともあるものだと思ったが、聞き違いかもしれない。怪奇現象を信じない現実主義の凛子はそう思うことにした。

 石は濁った灰色をしていた。どう見ても宝石のような輝きもない。価値もなさそうに見える。老婆は単に売りつけたいだけかもしれない。凛子はそう思うと、ポケットに入っている小銭を取り出して、老婆に渡した。老婆は嬉しそうに小銭を受け取って笑った。


 ―― やっぱり、小銭目当てだったんだわ。


 凛子は慈善行為だと思えばいいか、そんな軽い気持ちで石をうけとるとカバンに無造作に入れた。それだけのはずだった……。


 ホテルに向かう道を歩いていると、急にカバンが熱くなった。凛子は何だろうと立ち止まって、カバンを開けてみると、老婆に貰った石が赤色に輝いている。


 と、その時だった。


 すごい音と共に、凛子のすぐ隣を大型バスが横転しながら突っ込んできた。


 ―― もし、そのまま歩いていたら事故に巻き込まれて下敷きになっていたに違いない。でも、こんなことってあるの?


 凛子はカバンの中の石を握りしめた。


 ―― 論理的に説明できないけれど、確かに石の色が変わったし、私は助かった。

 ―― この石には助けられたのかもしれない。


石の不思議な能力に感謝しつつ、騒然とする現場をあとにした。





「その石が守ってくれたんじゃない?」

「ま、そう思うよね。凛子も半信半疑だったけれど、なんとなくその石をペンダントトップにして持ち歩くようになったの」

「ふーん」


 私は、コーヒーとティラミスの追加を店員さんに頼みながら相槌をうった。胸やけを押えるには糖分とコーヒーが必要だ。桜子は相変わらず冷めたコーヒーをすすっている。顔色が少し悪いようにも見える。「デザートは?」と言う私の問いにも小さく首をふるだけだった。


「ねえ。渋谷の爆発事故、覚えている?」

「渋谷の?」


 桜子の唐突な質問を受けて、少し斜め上を見ながら、記憶を探る。三年ほどの前の事故だ。渋谷にある喫茶店で爆発があって、店内にいた人たちが巻き込まれて……、確か死者もでた事故だ。


「思いだした。確か、死者もでたって……」

「それよ。その時も、凛子、事故を回避できたんだって」

「?」

「あの時、元カレと別れ話を喫茶店でしていたんだ。それで、もつれにもつれてケンカになって、……凛子、怒ってお店を出た。そしたら……ドーンってね」

「また危機一髪助かったの? よかったじゃん」

「……凛子もその時は、石がまた守ってくれたって思ったんだ」


 桜子は、歯切れ悪く返事をした。


「で、その時も色が変わったの?」

「そうなの」

「それにしても事故が起こると色が変わるなんて不思議な石だね」

「そうなの。事故に遭遇する直前に真っ赤になって……しばらくの間は赤いままなのだけど、次第にもとの濁った灰色にもどるの。だからね、凛子は石の色が変わると何かが起こるってことに気づいたの」


 桜子は僅かに視線をそらせると眉を顰めながら答えた。なにかに怒っているようだ。コーヒーカップを握る手に力が入っている。


「ふーん。それじゃあ、守り石さまさまじゃない? 色が変われば自分に危険が迫っているってわかるんでしょ?」

「そう思う? …… 全然、そんなんじゃなかったわ……」


 コーヒーカップを乱暴にテーブルに置くと、桜子はさっきの凛子の話の続きを話し始めた。


 


 渋谷の事故の後、しばらくして、凛子は守り石を持ってから事故を見ることが多くなったことに気がついた。小さな交通事故から新聞の一面に載るような大事故まで、事故の規模はいろいろだったけれど、必ず数名の死者がでた。


 ―― この石は私を事故から守っているのではなくて、事故を引き寄せてる?


 そう思うと、怖くて家から出られなくなった。いくら自分が事故を目の前で回避できても、事故現場の騒然とした空気は忘れられない。飛び交う怒声と悲鳴。泣き叫ぶ人たち。ガソリンの匂い。むわっとする血の匂い。やけにぎらぎらした太陽。道路を染める血。スマホ片手ににやにやしながら動画をとるやじ馬たちの忍び笑い。自分だけ避けることができたという優越感と罪悪感。


 凛子は、カーテンを閉め、部屋に閉じこもるようになった。


「凛子、たまには外で食事でも」と友人に誘われても、もしかしたら事故が起こって私だけ助かるかもしれないと思うと、簡単に返事が出来ない。部屋に閉じこもれば閉じこもるほど、体と心が蝕まれていく……。


 ある時、凛子のことを心配して両親が訪ねてきた。そこで、見た凛子は、やつれはてまるで老婆のような姿をしていたという。







…………。


 「そして、わかったのよ。この石は、人の魂を必要としているって。私を守っているのではなくて、私は人の魂のある場所に連れて行く移動方法にすぎないってね」


 そう言って、桜子は、胸から赤く輝く石を取り出した。私はやっとさっきから感じているむかむかとした胸やけの理由がわかった……。


                           おしまい


 

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守り石 一帆 @kazuho21

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