偽モノ

オオムラ ハルキ

ショハン

 今、僕の前で人が倒れた。女の人。若い、女の人。まわりに他の人はいなくて、女の人はもう動かなくて、僕の足も、アスファルトに刺さってしまったのかというぐらいに動かない。息を大きく吸ってゆっくり吐く。心臓がドクドクするのがわかる。目を瞑る、そしてまた開ける。女の人はそのまま。地べたに寝転んだまま。いやな汗が出てきた。心臓の鼓動がさっきよりも激しくなった。やっぱりまわりには誰もいない。僕と、その女の人以外誰も。声が出ない。喉が渇いた。目を瞑る、そしてまた開ける。僕は何も見ていない。何も、、、何も。


 最近よくこの手の夢を見る。じっとりと悪い汗が滲み出るような嫌な夢を。彼女が息をしているかしていないかもわからないけど、一つだけわかるのは彼女がずっと笑顔だった事だ。倒れてもなお。臭いものには蓋を理論が染み付いた僕の脳ミソがその夢をいつもそこまでしか明かさない。だから、その後の展開は謎だ。夢の中の女の人は飛び抜けて綺麗とか超弩級のブサイクとかではなくどこにでもいそうな普通の人。なのにどうして毎晩僕の前で同じ顔をして笑いながら倒れ死ぬのだろう。なんで幸せそうなんだろう。なんて幸せそうなんだろう。そして、どうして毎度リアルなんだろう。


 シンとした空気感、女の人が倒れる音、止まらない冷や汗、強ばる表情筋。全てが本モノのようだ。


 少しその夢に慣れた頃、夢の続きが始まった。僕は家に帰ってきている。見慣れた姿見に僕の姿がうつる。ほとんど、96%ぐらいはいつもの僕、残り4%は幸せと不幸せ、両方の感情を孕んだ僕。黒いシャツに丸いシミがポツポツと付いていた。シャワーを浴び、服を洗濯する。手洗いしてから洗濯機へ入れた。そのままベッドで眠る。夢の中で夢は見ない。ただ暗闇に同化することに集中する。今夢を見てしまったらそれもまた現実になってしまいそうだと思った。闇は全てを包み込んで還元してくれる。一瞬、忘却という名の幸せを噛み締めた。


 部屋のデジタル時計が午前3時15分をさしていた。はっと目を覚ます。足元に違和感を感じた。少し硬い固形物。きっとあの人だと直感した。その違和感は足元からどんどん体内へと伝染していって、僕の身体をがんじがらめにする。水が飲みたい。息を大きく吸ってゆっくり吐く。目を瞑る、そしてまた開ける。更に強ばる身体。落ち着け、落ち着くんだ。そこには何も無い。”僕のせいじゃない。”目を瞑る、そしてまた開ける。ベッドから起き上がり、冷蔵庫まで足を動かす。重い足取り。何かを引きずっているかのような重い、足取り。中身の簡素な冷蔵庫を開け、ペットボトルの飲料水を一口。僕は息をしている。僕はまだ生きている。あれは偽モノだ。こんなところにいるわけがない。”だって、ちゃんとあの人が言うところにしっかり、あの人が持ってきたナイフを刺したんだから。”潜るように闇に縋り、静かに眠る。目を瞑る。ナイフが身体に食い込む感触を思い出した。僕は今、不幸せだ。

 




 あぁ、なんて幸せなのかしら。あたしを怯えた目で見るあの子。あの、少年。まるで黒髭危機一髪で遊んでいるような感覚で私の身体にナイフを突き刺すの。次はここ、次はここって刺す場所を指示して、あの子にあたしの中を知ってもらうの。気持ちいいわ。そう、その目よ。ゾクゾクするの。あの作り物のような死んだ目。もっと、もっと気持ち良くして。あたしを感じて。一度知ってしまった快感は忘れられないでしょう?忘れようとしてもダメよ。あたしが直々にあなたに人を殺める感覚を教え込んでいるんだから。

 

 あたしはたくさんの人の命を奪ってきた。どうせ多くの恨みを買っているのだから死期は近いわよ。でも、それを逆手にとってあたしの死にたいように死ねば良いじゃない。あたし海も山も嫌いだからさ。純粋さと闇のハーフハーフの少年に、あたしをアスファルトに沈めて欲しいな。しかも、人を殺めたことのない少年で、人を殺めるセンスを持つ少年なら尚良いわ。そんな子滅多にいないけどあたしが普通の子をそう育てあげれば良いだけの話。それが叶ったらあたしはとても、とても幸せ。その少年が不幸せになることなんてないの。一度こちら側の世界を知ってしまったらもう戻れないのよ。死は不幸せな事じゃない。あたしにとっては幸せな事なの。だってあの子がいるから。きっと、あなたもすぐにそうなるわ。また、別の人で遊んできなさいな。楽しいわよ。もしかしたら、一人、二人と経験が増える度に、本モノの感覚が消えてって偽モノを切っている感覚になるかもしれない。でもね、そういう時はあたしを忘れないで。はじめての感覚を忘れないで。あなたも笑っていたのよ。楽しそうだったわ、とても、とても…

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