マチバリとイロメガネ

乙訓書蔵 Otokuni Kakuzoh

Disk 01 Track 01 複製厳禁/昼寝厳禁


 コロコロと花を散らす桜並木が葉に変わり構内のメインストリートを初々しい学生達が次限の講義が開かれる建物を探し彷徨う。ある者は上級生に揶揄われ、ある者は学友とおしゃべりしつつ、またある者は生協から買ったと思しき山盛りのテキストをカゴに入れた自転車をふらつかせ移動する。


 新入生のパレードは絶え間ない。つい一月前まで高校生だった彼らは皆、大学のロゴが入った分厚いバインダーを重そうに抱える。流れは文学部棟から大講堂に向かう。学部別ガイダンスが開かれるのだろう。……あのくっそ重いバインダーもバインダーに記された事しか朗読しないガイダンスも要らない。無駄。だのに単位に響く出欠だけはとるんだよね。めんどーい。しんどーい。


 ああしんどい、しんどい。


 あの流れに逆らって歩くの面倒。チビだから飲み込まれそう。


 三限から来れば良かった。健康診断とテキストの注文で一限から来たのが失敗。春にしても秋にしても学期の始まりはみんな忙しい。生協って昼休みは混むんだよね。一年だった去年は注文するだけで二時間並んだ。学部が多いマンモス大学って割と不便。


 でもニャコ待たせちゃうし我慢するしかないか。学科が違うニャコと講義を合わせたい相談したいって私の我が儘で来て貰ってるんだもの。


 流れに必死に逆らい文学部棟へ向かうとチャイムが響いた。驚いた新入生達は足を早めるので流れは激しく変わる。チビな私は飲み込まれそうにもなりつつも激流を登る。まるで鯉の滝登り。鯉はいいよねでっかくて勇ましい龍になれるんだもの。成長期を無駄に過ごした私の背はもう伸びない。


 青息吐息で文学部棟へたどり着く。ここの植え込みの主たる立派なボタザクラはメインストリートの桜と違って今が盛り。コロコロ散りゆくソメイヨシノも可愛いけど私はこっちのボタザクラが好き。花が散るのではなくて落ちるから。ツバキみたいにボタっと。刀で跳ねた首のように潔く。


 息を整えていると根本に人がいるのに気付いた。赤い長髪を靡かせアビエイターのグラスを掛けた背の高そうなメンズ。座しているだけでも高い。学生にしては歳を食ってる。男の子っていうより男。寝ているようでこっくりこっくりヘドバンしてる。揺れる度に首から下がる赤いガラスのペンダントも揺れる。服装や雰囲気……いや姿そのものが弟のツキが愛する有名バンドのボーカルに似てる。なんだっけ?


『ロウじゃん。ロウが寝てるぅ』『かわいー』『イケメンだよね』『本人?』『まさか。完コピでしょ』『ってか学生?』『だったらウケる』


 通りがかりの女の子達が彼を眺めてクスクス笑む。


 あ。ロウか。シニストラのロウ。


 まさかご本人降臨の訳ないし。


 疑問が解消したので先を急いだ。





 開店したばかりのカフェテリアにはニャコがいた。今日も真っ赤なチェックのパンクファッションが眩しい。音楽が大好きでお洒落も大好きな自慢の親友です。


「ごめん。お待たせ」テーブルにバッグを乗せると対面に座す。


 窓際で日向ぼっこしていたニャコは瞼を開けるとヘラっと笑う。


「ハナー。おはよ」


「はよ」


 伸びするニャコを他所に履修計画表を取り出す。


「ロウが居たね。女の子達が騒いでる」


「ローウ?」ニャコは呑気に欠伸を浮かべる。のんびり屋なのは中学の頃から変わらない。


「ほら。シニストラのボーカル。アビエイター……サングラス掛けてる方」


「あー……おっさんじゃん? ニャコ、洋パンしか聴かないから興味ない」


「あー、ね」


 ニャコはまた欠伸を浮かべた。何処まで行ってもマイペース。お世辞も世間話も興味ない事は絶対にしない。ニャコはそんな子。


 気を取り直して履修計画表を差し出す。するとニャコは目前で手を合わせた。


「ごめん。今期は一緒に受けられない」


 残酷な一言に絶句する。あーん。どうしよう。だったら松澤の講義、一人で受けなきゃいけない。一人は怖い。一人は嫌。ねっとりと絡みつく視線、さりげなく触れようとする脂気のない太い指、脅迫まがいの猫撫で声……怖気が立つ。口を手で覆っているとニャコは続きを紡ぐ。


「あんね、彼氏がね、同じ学科なんだけど、一緒に取ろうって」


「あー、ね」ニャコには『一緒に取ろう』って理由を言ってない。言わない方がいいと思ってるしこれからも言うつもりはない。


「ホントごめん」


「仲良くね? 応援してる」


 笑顔を作るとニャコは安心してヘラっと笑う。


「んー」


「泣かされたら慰めてあげる」


「んー?」


「おめでとう。幸せになってよ?」


「ん!」


 親友に初めて彼氏が出来たんだもの。気持ちを切り替えて祝わなきゃ。洋裁サークル辞めた上に学科でも付き合いが悪いから頼みの綱はニャコだけだった。話す人がいなくて一人ぽっちになっちゃうけどぐっと我慢。でも……いいな。ちょっと羨ましい。好きな人が自分の事好きだなんてなかなかないじゃん。楽しそう。


 気恥ずかしそうに微笑むニャコを揶揄っていると『京子みやこ』と呼ぶ声がした。


「リョーマ!」ニャコは瞬時にしてアーモンド色の瞳をさざめかせる。彼女の視線の先を見遣ると顔中ピアスだらけの男の子が佇んでいた。バイト代を全て顔に穴を開ける為に使ってるんじゃないのかな? 耳たぶのゲージやばそう。耳たぶじゃなくてもう穴じゃん。めちゃくちゃハイ。痛みに強い男だなー。


 彼氏を紹介され、惚気を見せつけられていると胸焼けが起きた。そうだよね。ハツカレハツカノだったらぶっちゃぶちゃにマヨ掛けたテリヤキバーガー並みにベッタベタだよね。正直辟易。ゲップが出そう。


 ちょっと早いランチを始めるニャコとリョーマと別れ文学部棟を出る。嫉妬とか下らない感情は起きないけどアレと一緒に居るのはまともな神経だと辛い(見てるこっちが赤面しちゃう)。語学棟の売店でパンでも買おうかな。


 植え込みの前を通りかかるとボタザクラの根本ではロウのコピーがまだ寝ていた。ちょっと寝過ぎでしょ。春とは言え雲に日差しを遮られると肌寒い。……しかし再現率高いね。服とかサングラスとかロウ愛用のブランドそのものじゃん。アレ、Tシャツだけで六万円ふっと飛ぶって聞いたもの。金持ちだなー。まじまじ眺めていると大学のロゴが入ったバインダーが小さなお尻に敷かれてるのに気が付いた。


 え。これ持ってるって……新入生? 他人の物を尻に敷く大馬鹿じゃないだろうし。早速サボるの? 学生証のコードをリーダーに通して出欠取るから出ないと心証悪くするよ? 今から出ても大目玉だけど。


 ……我ながらとてもお節介だと思う。でもマイペースのニャコの世話や家族の面倒見るのに慣れちゃったから手を出さずにいられない。


 大目玉の方がマシだよね。悪く思うなよ?


 マーメイドラインのスカートの裾が汚れないよう気をつけて屈むとロウのコピーの肩を揺さぶる。


「起きて」


 強く揺さぶっても起きない。静かな寝息を立て、老竹色のアビエイターの奥で柔らかな瞼を閉じている。縁側で日向ぼっこしてうたた寝するおばあちゃんのように安らか。


「もう、起きろー」


 人差し指を柔らかそうな頬に突き立てる。意外にも頬は固かった。


 想像だにしなかった感触に戸惑っているとロウのコピーは体を跳ね上げ、覚醒する。咄嗟に指を引っ込めた。


「……わ。ビックリした」呑気に欠伸を一つ浮かべたロウのコピーはアビエイターを外すと目を擦る。ロウとそっくりな切れ長で涼やかな眼窩が現れる。


「あなた新入生でしょ? ガイダンス始まってるよ」


 なんで分かったの、とばかりにロウのコピーが眼を見開くので『聴講生は持ってないもの』と尻に敷いたバインダーを指差す。彼は納得したみたい。頭を掻くと『ヤバいなぁ。夜勤入れなきゃ良かったー。どうしよう』と間延びしたテノールで独りごちた。


「折角起こしたんだから今からでも行ってよ」


「……やっぱり君が起こしてくれたの? ありがとう」ロウのコピーはフニャッと笑う。整った顔立ちがクシャッといい感じで崩れて可愛い。……これ絶対に女誑しでしょ。逃げろー。


「ありがたいと思うなら大講堂に行って」


「んー……でも今から入ったら迷惑じゃない?」


「勉強は学生の本分。頭下げれば一度は許されると思うよ?」


「叱られたらヤだな」


「叱られるよそりゃ」


「んー……」


 ロウのコピーは頭を抱える。この春で二十歳になった私より年上だろうに(それどころかに三〇に手が届きそうな風貌)お小言を心配するなんて。ウケる。


「一緒に行って頭下げてあげるから」


 彼は一転、ヘラっと笑む。『ありがとう。嬉しいな』と尻をあげると分厚いバインダーを片手で掴む。


 うわ。思った通り。背、高い……ってか高過ぎでしょ。一八〇センチ超のパパとタメ張りそう。見上げると首が痛くなる。弟のツキ(シニストラの大ファン)が点けた音楽番組のトークで聞いたけどロウもそれくらいあるらしい。隣に並んだら一五〇センチちょっとしかない自分のちんちくりんさが目立つ。公開処刑になるから並びたくないな。お尻はちっちゃいし手脚は長いし体型は逆三角形だし……やっぱり断りたいな。


 眉間に皺を寄せているとロウのコピーは微笑む。


「大講堂行った事がないんだ。道案内お願いします」





 手脚が長いと一歩の距離が広い。置いていかれるか心配したけど彼がのんびり屋の所為か歩調は合った。置いていかれたら道案内にならない。


 人通りがまばらなメインストリートを歩きつつ様々な話をした。


 彼は私より七つ上で小太郎さんと言うらしい。同じ学科の新入生で、高校在学時に家の事情で進学を諦めバイトでコツコツお金を貯めて今年漸く入学したらしい。立派だよね。でも引っかかる。


「それにしては服が派手だよね。Nummerの服でしょ。ティーだけで六万は軽く飛ぶやつ。モデルもしてるの? お金持ちそう。豪邸に住んでるの?」


 小太郎さんは黙していたが腑に落ちたらしく、モノクロの花柄のシャツを摘む。


「あー。Nummerって言うんだこのブランド。ノーマルとかノーブルだと思ってた。俺はボロアパート住まいだよ」


 ボロアパートの住人はそんな服着られないよ。得体知れなくて怖いな、この人。危険な奴に世話焼いちゃったな。


 小さな溜息を吐くと小太郎さんが私のスカートを指差す。


「お花みたいに可愛いの着てるし、髪型も日本のお姫様みたいで可愛いしファッション、好きでしょ? 男のマニアックなブランド知ってるって凄いな」


「褒めても誤魔化されないよ。何か悪い事して稼いでるんでしょ? 学費ってめちゃくちゃ高いもの」


 睨めつけていると苦笑いを浮かべた小太郎さんは頭を掻く。


「……参ったな。昭和の硬派刑事並に食いつきが半端ない。誤魔化せないか」


「人をスッポンみたいに言わないで」


 くすり、と笑んだ小太郎さんは背を丸めると『アニキのお下がり』と耳打ちした。


「……悪い人じゃなくて良かった」


 胸を撫でると小太郎さんはクスクス笑う。もう、馬鹿にしないでよ。


「アニキって……小太郎さんのお兄さん?」


「コタローでいいよ。君の方が先輩だし。色々世話焼いてくれるから」


「……まさかお兄さん、ロウって事ないよね?」


 冗談まじりに腕を突つくとコタローは唇の前に人差し指を立てた。


 えー。マジか!


「マジ?」


「マジ。どうかご内密に。ハナ刑事」


「うん。すっごく似てるし納得いったから黙っておく。……しつこくしてごめんね?」


『ハナちゃんは兄弟いるの?』と問われた所で大講堂の前に着いた。一カ所しかないドアの前には当番職員が控えてる。門番を説得しなければならない。


 厳しい職員じゃないといいんだけどな。


 きょろきょろと辺りを見回すコタローを引っ張り、ドアへ連れて行く。ありがたい事に今日は聖母たる水城先生が書類を読みつつ控えていた。やーん。ラッキー! ってか水城先生忙しいのにお手伝いするって優しすぎ!


 眉を下げ、申し訳ない表情を作ると声をかける。


「あの……水城先生」


「あら、山田さん。こんな所まで。どうなさったの?」私に気付いた水城先生は唇に微笑を湛える。


 背後に佇むコタローを前に出るよう促すと共に頭を下げた。


「ごめんなさい。大遅刻だって分かってますが入れて貰えませんでしょうか? 彼、場所が分からなくて迷子になってたんです」


 コタローもバックアップする。


「迷っていた所をハナ先輩が助けて下さりました、その上頭まで一緒に下げて貰うなんて……遅刻して本当にすみません。不甲斐ないです」


 頭を上げて下さい、と水城先生の声が響いた。暫く下げ続けていたが躊躇うように顔を上げた。目前の水城先生は眉を下げて微笑んでいた。


「山田さんは優しいですね。構内が広いと大変ですよね。私も慣れるまでは遅刻しました。さあ学生証を出して。静かに入って下さいね」


 おっしゃ。流石は聖母水城だぜ。


 コタローは『ありがとう御座います』ともう一度頭を下げると学生証をリーダーに通す。そして私に手を振ると足音を殺して講堂へと姿を消した。

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