新聞部員の章――Ⅳ
華月からの上り坂をトボトボ一人歩いていると、いきなり肩を叩かれた。前からすれ違おうとした人である。え、なんだ、と猜疑心を持ちながら振り向くと、小さな身体付きの見知った女子がいた。
「あ、三原」
「え、気付かなかった? あたしのこと」
正直に、こくりと首を動かした。あたりが暗いだけの問題じゃないと思うけど、華月の制服を着ているんだから普通なら目に付くはずだ。どうしたんだろう。調子悪いのかな。
「もう終わったの? なんか用事あったぽいけど」
「うん、そうね」
歯切れ悪く返す。何か問題があったのかな。
「江田。この後、用ある?」
「うーん……切迫される仕事はないかな。明日の新聞は書かなきゃいけないけど。でも急ぎじゃない」
「そう……」
じゃあさ、と目を脇に寄せた。上り坂のてっぺんに建つ、学生御用達のハンバーガー専門店『マイケルマクドバーガー』である。腹は減っている。漂う匂いに感覚が惑わされた。
「……食べてかない?」
「いいけど」
「ありがと」
三原は微笑んだ。無垢なものだった。一生、彼女は子どものままの表情を保つんだろうか、と変な疑念を考える羽目になった。
〇
照り焼きバーガーとチキンナゲット。今日の晩飯となった。
二階に上がり、窓際の空いている席へと落ちる。すぐ後に、三原が隣へと腰を落ち着かせた。
「そっちのバーガーは安いものかな」
「……そうだけど」
あまり良い感想じゃなかったな。邪険な視線を横に流して、「いただきます!」と手を合わせる。
「待って」
「ん! ああ」
口を閉じ、サングラスをかけ直した。
「話が先にってことかな」
「うん」
「いいよ」
僕に何を訊くのだろうか。午後の『セントラル』の件といい、ちょっと気にかかるところがある。
「江田は……その、暴行事件を調べているんだよね」
「そうだよ。新聞部全体でね」
「隠すことじゃないからいっちゃうけど、実はあたしもそれを調べているのよ」
これはまた。
僕は結露で纏ったコーラのカップを手に取り、口に含む。
「正確には、福山が調べているのをあたしが手伝ってるってだけなんだけど。福山涼亮……って覚えてるよね?」
「忘れるもんか」
小さく笑う。「目立つべくして目立った男だからね。本人は不本意だろうけどさ」
「そういう変に目立っちゃう頭のおかげで、あたしも巻き込まれてるんだけどね」
「まあ、いいさ。で、僕は二人のどう役に立てればいいのかな?」
三原も馬鹿じゃない。僕の性格と守秘義務は分かっているはずだ。思考を整理しているのか、視線を横に逸らしてから口を開く。
「福山は、生徒会を疑いそうなのよ」
「なるほど」
「江田から見て、どうなの? 生徒会長が犯人じゃないかって」
「会長? 分かんない」
あっさりした回答に、ちょっと苛立ったようだ。
「……もうちょっとないの。理由付けとか」
「理由もなにも、証拠がないんだ。新聞部の『真実・客観・エゴ排除』に
期待外れだと否めない、静かなため息が襲った。ごめんな、三原。さらにコーラを、ストローで吸う。
「逆に、福山はどうして生徒会を疑っているんだい?」
「それがね……」
一旦、言葉を閉ざした後、思い切ってその名前を胸に投じた。
「忍ちゃんが……いるからって」
安芸津ね。うん、予想通りだよ。
今日はずいぶんと打ちのめされた。あの彼に。テンションが自然と下がる。安芸津のあの余裕ぶり……。いやになるな、思い出しても。忘れよう。まあでも、会話の流れとして避けられない人物と化しているけど。
「三原は、安芸津が犯人じゃないと思ってるの?」
「どうだろ……」
何かをいったら、すべてを認めてしまう。その怖さだろう。こうなったらしょうがない。三原が何を信じようとも信じたくないとも、僕らが行くべき方向は変わらないんだから。
「……冷めるから、食べるけど」
「あ、ごめん」
お互いに眼前のバーガーへとかぶりついた。味そのものよりも、窓から広がる文京の暗がりが、心を満たしてくれた。
しばらく無言で物を胃に収めていると、「部活、楽しい?」と三原が訊いてきた。いっぱいになった口を手で押さえながら、「楽しいよ」と返す。
「あたし、他の二人と会ったことないんだよね。新聞部の。あ、正確には金髪のコは廊下でよく見る」
「ああ。あいつはまあ、一度は誰かを驚かせる奴だろうけど」
「あと、あの……綺麗な人。名前なんだっけ」
「宮島律さん」
そうだった、と三原は一人頷く。なんか、不遜だ。女子の名前をこう他人に口走るなんて。あまりやるもんじゃないな。
噛み砕いた物をすべて食道の下に落とし、落ち着いてしゃべり出す。
「三原はアニ研だっけ?」
「うん。『漫画・アニメ研究部』なんだけど、みんな『アニ研』って呼ぶよね。あたし的には、『漫研』のほうがいいんだけど」
ある程度の自負を持ってるほど、漫画に打ち込んでいるみたいだ。思えば、中学の頃、絵画のコンクールで何度か賞をもらってたな。絵が上手いからっていって漫画を描ける、みたいな先入観は排除しているつもりだけど、でも元々の才能があるんだろう。
それを部活っていう小さなコミュティで収まっちまうのは、何かもったいない気がする。今はインターネットもあるし。どんどん外へ飛び出していけばいい時代だ。
「江田はさ」
気まずさを孕んだ問い方だった。
「なんで……新聞なの? ――悪い意味じゃないよ。単純に気になっただけ。わざわざ新しく部を作ったぐらいなんだから、思い入れは大きいはずだよなあって」
なぜか。5W1HのWhyを問われてるだけの話だが、僕にはそれが深く重いものを包含しているようだった。
「難しいことじゃないよ」
「うん」
「僕は……こんな見た目じゃない」
なるべく軽く、自分のサングラスを指さした。
「コンプレックスがあったからね。自分に。だから、他人の内側を掘ることで自分の醜さを忘れたかったのかも」
神妙に三原は頷いた。まあ、あまり盛り上がる話でもない。ここいらで切り上げるのがグッドタイミングだろう。
チキンナゲットを一口、放り込んだ。ネオンは、まだ光を帯びていた。
〇
小六だったか。夏休みの自由研究にグループ課題があって、生活の中の不思議を解き明かす! みたいなテーマだっと思うけど、とにかく何人かで集まって取材し、新聞を作り、みんなの前で発表するという宿題があった。
僕らが選んだテーマは『ホコリはなんでできるの?』だったはず。正確には覚えていない。でも、僕らは周りの大人に相談して、インターネットでも調べて、毎日議論し合ったのは記憶にある。
理科的な議題だったから、正解を一つの方向へと進めていける点で分かりやすかっただろう。その時に感じた「真実を突き詰めて解明する」という快感をいまも忘れないでいる。それが新聞作りの根源になったに違いない。
〇
華月に新聞部がないのは意外だった。なんでも、数年前までは存在していたらしいく、部員減少のため廃部になったとか。政治とマスコミは切っても切れない関係だし、千人もいる大所帯で再興を図る者が数年間いなかったのも、不思議だ。ともかく、入学早々に僕は「新聞部」を作ることを決意した。
廿日市勇生は、同じクラスの中でもとりわけ目立っていた。僕ほどじゃない。話しかけて自然と馬が合ったのは、お互いに背負うものがあったからだろう。後々、それぞれの因縁について知ることとなるが、まだ「見た目が変な奴」ぐらいの認識でしなかった。実際、話してみると気が合うところが多数見つかった。やっぱり、人を見た目で判断しちゃいけない。
廿日市は、新聞部にすぐ興味を示した。
「お前が、作るのか」
「そうだよ。だけどまあ、他の部員がいないんだ」
ふん、と顎に手を当てる廿日市。昼休み休憩中、人気の少ないベンチでの会話だった。
「いいじゃん。やるか」
「えええ!」
断られる気で満々だった。手に持っていた缶コーヒーを落としかけたが、寸前で指に力を加えて踏みとどまった。
「誘った身から訊くのもアレなんだけどさ……」
「理由? まあ、あまり深くは考えてないけど。直観」
「えー……いや……」
「そんな嫌そうな顔すんなよ。初心者歓迎じゃないのか?」
「ああ、いや、ぜひお願いします!」
深々と頭を下げ、僕らの部活動としての繋がりがはじまった。
そのすぐ後、部活動発足の手続きをする経過で壁にぶち当たった。
各部活動に必要な最低人員は三名、そして十名以下の部活はゴールデンウィーク後の生徒会及び職員会議を通して、将来性の見込めない部活は強制解散されるという。つまり、期限までになんらかの完成品を上のお方に披露しない限り、部としての活動はお取り潰しになるってことだ。
部員の問題は考えていなかった。文麗中学校からの知り合いもいるし、頼めば一人ぐらい名前を書いてくれる人はいるだろう。それよりも、自分の取材能力を大っぴらにし、他から批評される場がこんなに早く設けられるのかと考えると、俄然やる気が湧いてきた。
テーマは、やっぱり文京の学生運動体制を取り上げようと考えていた。今日ほどじゃないが、華月の中で生活していればすぐにその熱気に取り込まれた。反体制、護憲、プロパガンダ――そんな一つ一つの単語だけじゃない。実際に関わっている、運動を指揮している人の姿を肌で感じるのはやっぱり外からとは違っていた。
僕のやるべき道はすぐに決定した。まずは、人脈を広げよう。とりあえず、穏健といわれている中道派の政治系部活から名前を売っていき、だんだんと周りを侵食していく感じで……。
そう手始めの段階で頭を働かせていると、廿日市の「ちょっといい?」という声で現実に引き戻された。
「ん? どした」
「仮入部したい人がいるんだけど、俺に知り合いで」
「へぇ。またまた……」
そうして、長身の後ろから現れた女子を見据えた瞬間、僕の「タガ」が外れた。
あ、これは――と。
「宮島です。えっと……」
困惑しながら、廿日市を見上げる彼女。
僕は見惚れていた。
〇
チキンナゲットの袋が空になる。そちらの席を見ると、三原もすべて平らげたようだ。さすがに夜だけあって、客の出入りも激しい。長話をしてこの場に留まるのは社会的にまずい行為となるのだが。
「守秘義務を全うしたいなら無理とはいわないけど、『セントラル』のことを訊いたのはなんで?」
「あー……一応、ノーコメントで。ごめん」
恥ずかしげに人差し指でバッテンをつくった後、「福山に、何いわれるかわかんないから」と付け加えた。
「彼は、相変わらず?」
「うん。相変わらず野暮ったい。ボケッとしてるし。それでも、あいつのほうが頭いい高校行ってるのマジムカつく」
不機嫌にストローから液体をちゅうちゅう吸ってるのは、なんとも絵になっている光景だった。
「僕もてっきり華月に来ると思ってたのに」
「ほんと、ね。てっきりあいつも華月に行く体で話していたら、『俺、違うから』とか言い出してきて。あの時は、忍ちゃんの顔も凍ってたけど」
僕は愉快に笑った。あの安芸津が呆然とする表情をすることがあるのだろうか。現世で二度も見れない神秘的現象かも。
「安芸津と張り合えるのは、福山しかいないかもね」
「なんだかんだ仲いいっぽいし」
「どうやって、福山の心を開けたんだろう。彼はとてもガードが固い人だからね」
人の壁を取っ払う方法。コミュニケーション能力の面で参考にもしたいし、個人的な興味もある。安芸津本人に問うても、絶対教えてくれなさそうだし。
「中二であたしたち、同じクラスになったんだよね。忍ちゃんと福山と……あとしゅうたもね」
分かるでしょ? とばかりに三原が目を向ける。静かに頷いて、先を促す。
「まず……忍ちゃんと福山が話し始めて……あたしは福山経由で忍ちゃんと話すようになって……そこから、しゅうたが入ってきてって感じかな」
「『四天王』の集合だね」
「やめてよ、それ」
笑っていたけど、強い口調で否定される。僕は「ごめんごめん」といって誤魔化す。
「だからさ……その四人がいるなかで、徐々に福山は口を開くようになったんじゃないかな。別に、誰かがーってわけじゃなくて」
「なるほどね」
福山は話せば分かるタイプだ。基本的に面倒くさがり屋なのだろう。コミュニケーションでさえ煩わしさを覚えてるぐらいなんだろうし。
まあ、僕から見れば彼も悩みを抱えるごく普通の生徒なんだけど。
プレートに上に転がった、ハンバーガーの包み紙とナゲットの袋。折り目がくしゃくしゃに付けられ、しおれた老人のようだった。
「片づけるよ」
思い出話は、あとどれくらいするものなんだろう。年をとったら、ずっと今のことを語っているんだろうか。将来のことを考えなくて、死は怖くないんだろうか。
変に考えてしまうな。不安だらけだ。
僕は紙っきれを、ぎゅうと潰した。
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