探偵たちの章――Ⅳ




 紫葉の言葉がどうも引っかかっていた。

 そうだな。「安芸津」の名が出ないほうがおかしいもんな。そう納得させることで、無理に安心感を保っているのも、なかなか煩わしいものだ。

 不気味な人間――。どう捉えても、良識のある者ということは難しい。あいつが人の恨みを買うとなっても驚きはしないが。いくらか離れて生活していた分、感覚を取り戻すのに一手間かかった。

 三原は怒っていた。

「なんなのよ、あいつ! 忍ちゃんのこと悪口いって! しかも遠まわしに! ほんと腹立つ!」

 本心を尋ねたこともないし興味もないのだが、三原が安芸津を悪く思っていない、むしろ好印象であるというのは中学から見ていて気付いている。あの変色妖怪を、とは口が裂けてもいえないが、まあ蓼食う虫ともいうし。

 三原も安芸津の悪行については知っているはずだ。それを言及したことは一度もない。三原のことだ。どうせ裏で悩んでいるのだろう。そのくせ口には出さないのが、なんとも。歴史の授業で習った、増税の荷物を背負って苦しんでる庶民のイラスト。まさにピッタリだった。

 それでも安芸津と仲を続けているのは、女心の不明瞭な点である。



         〇



赤松満祐あかまつみつすけって知っているかい?」

 出会ってから、まだいくらも経っていなかったかと思う。安芸津の質問に、俺はかぶりを振った。

「知らんな」

「室町将軍を暗殺した人間さ。播磨の人間でね、武家の家系に生まれた子どもなんだ。身長が小さいのをずいぶん気にしていたらしく、それが原因で幕府に反抗したらしいよ」

「ふうん」

 俺は、相手方の背丈と様相をしげしげと観察した。

「僕の身体にゴミでも付いてるの?」

「自虐じゃないのか」

「そんな趣味はないよ」

 安芸津は笑った。くだらない冗談だ。それでもどこか心地よいのは、安芸津の話術がけているからだろう。

 親友だとか、そんな気持ち悪い単語で俺らの仲を一括りにすることはできないし、いいたくもない。それでも、安芸津に対してはある程度、少なくとも赤の他人とは深い親しみを感じていたのは、事実だろう。

 あいつとのコミュニケーションは、俺にとっての日常となった。



         〇



 居間ででナイター観戦に勤しむ親父を尻目に、俺はベランダへと繰り出していく。巨人が攻撃中のようで、聴きなれた応援歌を耳に挟みつつ、サンダルを足につっかけた。

 なんの変わり映えもしない、文京の街が広がっている。

 マンションの七階でも、十分街を見渡せる。東京ドームは……文京区の南だが、こっからじゃ見えない。

 今日もこのどこかで、小競り合いが起きているのだろう。文京は、それを包み込んでくれるのか。覆い隠してくれるのか。いつもの通りに、同じ風景を俺に見せてくれるのだろうか――。

 ふうっと息を吐いた。梅雨に入りそうな季節。長袖の寝巻は、もうすでにロッカーの向こうへとしまい込んである。

 奴の電話番号へは、自分からは滅多にかけたことがない。俺は着信履歴から探し出して、発信のボタンを押す。

 緊張は、していなはずだった。

 だが、奴の「はい」という返事を聞いた瞬間、俺の言葉は喉から出かかった。落ち着け。咳ばらいを二回。ベランダの手すりに腕を乗せ、唇を舐めた。

「俺だ」

「……」

「おい」

「……騙されるほど、僕は年老いていたかな?」

「福山だ。お前の金に興味はない」

「冗談だよ」

 安芸津は電話口でクスクス笑う。「久しぶりじゃないか、涼亮。元気にしていたかい」

「ぼちぼちな」

「そうかい。前に話したときは、電車通学の弊害について散々文句を垂らしていたようだけど、その後はどう?」

「人間ってすごいな。諦観に回ってたら、ある程度の時間で慣れるもんだよ。ほんと、よくできてる」

「思考停止かい? よくないね。涼亮こそオレオレ詐欺に引っかかりそうだよ」

「戦略的な思考停止だ。問題はない」

 車の激しいクラクション音が鳴る。電話を構える右手から響いたので、安芸津のいる場所から送り出されたものだろう。

「今、帰りか」

「そうだね」

「遅いな。部活か」

「いいや。庭球倶楽部はそれほどハードな部活じゃない」

「お前の所属は西洋の羽根突きじゃなかったのか」

 俺の合わせた冗談に、忍び笑いをする。

「そっちは去年辞めたよ」

「鞍替えか」

「面白いものはなんでもやる。僕の性格を涼亮は知ってるよね?」

 煩わしいほどにな。奴の趣味と名乗っていい生業なりわいは枚挙にいとまがない。   

「ちなみに、これだけ遅くなったのは生徒会に顔出していたからだよ」

「そうか。大変だな」

「好きでやってるんだ。さして苦じゃないよ」

 書記とか会計とか、そのような役職にあいつは就いていなかったはず。生徒会全体としてそうなのか、はたまた安芸津オンリーの待遇なのか、どちらにしても甚だしい時間外労働だ。俺にはとても真似できない。

「なあ、安芸津」

 俺は携帯電話を握る手を、強めた。

「俺に協力する気はあるか」

 少しの沈黙。やがて、奴は答える。

「内容次第かな」

「華月の連中が起こした事件について、首を突っ込むことになった」俺は語気を強める。「『NGC』と『左閣』が殴り合いする件だ。知らんとは言わせないぞ」

 長い長い、ため息だった。聞いているこちらまでが、不快感を抱くような。

「……こりゃ、まいったね。涼亮が関わりをもってくるとは」

「成り行きでな。いっておくが、意図的ではない」

「どうかね――ということは、カナも介入してくるのかな?」

「ああ。一応、手伝ってもらってはいるが」

 困ったな、と安芸津は呟いた。こんな時まで、少し楽しさを孕ませているのは奴らしい言い方だった。

「訊いていいかい? 誰の差し金かな?」

「俺に頼みを働いてくる奴は、一人しかいないだろう」

「分かるよ。カナのお姉さんだろ。そうじゃなくて、依頼人のほうだ」

 腐っても、探偵の名代として動いている。むやみに情報を流すのは頂けない行為だが、安芸津のことだ。勘づくのは時間の問題だろう。

「『右側』の人間だ」

「なるほどね――それで、君まで僕らを疑うつもりかい?」

「先走るな」

 俺は、一つ息を吐く。「お前を犯人扱いする奴がいるとは、な」

「正確には、生徒会長を中心とした生徒会全体を疑ってたみたいだけどね」一拍置いて、「進平君も的外れなことをするよ」

 『進平』が江田や新聞部と繋がるまで、数秒の間を要した。

「奴らも動いているのか」

「そうみたいだね。警察、新聞部、そして探偵。まったく、犯人も針のむしろじゃないのかな」

 もちろん、と安芸津は付け加える。「君が一番に犯人を当てられると思うよ。名探偵」

「うるさい」

「ところでさ、こないだしゅうたと話したんだよ。久々にね」

「ああ、達者だったか」

「うん。ロボットのプログラミングを設計してるらしいね」

 中学の成績が体育以外オール5だったしゅうた――竹原啓仁たけはらけいにんのことだ。ロボットを作ったところで驚きもしない。「アインシュタイン」が切り落とされて縮まった「しゅうた」という渾名に恥じぬ、あらゆる分野に長けた才能を持っている。

「そうか。あいつにも、たまには会いたいものだ」

「そうそう。僕ら、『文麗四天王』だろ?」

 すぐそばの路上で、ささやかなサイレン音が聞こえてきた。



         〇



 どこの誰が提唱者なのかは、今となっては突き止めようもない。

 ある時期から、駄弁るためによく集まった四人――安芸津、三原、しゅうた、そして俺こと福山涼亮を指して集合体とみなした連中がいた。

 別に、学年順位が上から並んだ秀才集団というわけではない。いや、しゅうただけは毎回一位か二位を独占していたが、あとの三人は知れたものだった。

 それぞれが一匹狼というイメージでありながら、一堂に会したのは他から見ても浮いていたのだろう。しゅうたは学業をはじめとした諸々の才、三原はイラスト、安芸津は気持ち悪いほどの人脈と意思交換技術。そして、俺は――。

「思い出しても、感嘆するね。校内窃盗事件を見事解決に導いた探偵・福山涼亮の才能、卓越した推理能力を!」

 口を閉ざす。

 過去、文麗中で起こったちょっとした、思えばかわいい泥棒騒ぎを解決したことがある。安芸津にせかされて知恵を貸してやったばっかりに、校内と校外両方で長い間騒がれた。おかげで、平穏な日常生活に支障をきたすまでになったのは苦い記憶である。

「僕はね、君を買っているんだよ」

「なんだいきなり気持ち悪い」

「変な意味じゃないさ。洞察力と観察眼。まさに、名探偵といっていい資質を君は兼ね備えてる。自慢できる友達だよ。知り合い一人一人に紹介したいと思うぐらいに、ね」

 ナイター中継は、すでに終わっていた。巨人が勝ったのか、親父は満足気な顔をしている。俺はこの会話に終止符を打てられるのかが、ひたすらに不安だった。

「褒めてもらえて光栄だ」

 そして俺はいう。

「だが残念ながら、お前が第一容疑者だ」

 暗がりに灯る部屋の光が、一つ、また一つ消されていった。

 気付いていた。

 あの窃盗事件が、仕組まれたものであると。安芸津が、影で糸を引いていたことを。明確な証拠はない。だが、俺の「勘」がそう囁いていた。それは俺の中で肥大化し、やがて真実となった。

 安芸津に事実確認することもできた。ただ、中三という高校受験が迫っていた時期でもあって、結局うやむやになったまま高校を卒業した。今ではもう過去のことだから、さして恨みとかはない。

 しかし、俺は奴の本性を知ることとなった。奴はいった。「これは『下剋上』だ」と。基本、教室で一人縮こまっていた俺が有名になった。それが下剋上なのか? 俺の感情を無視してまで――。

「――まいったね」

 安芸津は笑った。誰もが釣られて笑ってしまうような、おかしい笑い方だった。

「証拠はあるのかい?」

「いや、ない」

「ない?」

 はっはっはっとまた笑い出す。腹を抱えて唸る安芸津の姿が容易に想像できた。行き違う人に、相当の変人だと思われていることだろうが。俺は知らないふりをする。

「……はー、あーあ、面白いことをいうねぇ。君は」

「いっておくが、今は誰にでも疑いをかけている状況だ。その中で、お前の査定が一番高かった。それだけだ」

「へぇ。プラス査定か。なかなか興味深い。で、どんな理由があって?」

 俺は、月も見えない雲の夜空を見上げる。

「小悪党のお前ならやりかねないってだけだ」

 経験による勘。俺の探偵業における生命線だ。いくらか役立ち、そして解決に導いてきた自負もある。

「さっきの言葉は撤回したほうがいいね」

 どこかで、狂ったのか。

 安芸津の声は、冷たかった。 

「今の君は『名探偵』といわれて思い上がった、ただの愚者でしかない。心底呆れたよ」

 分かってる。そんなの、はなから知っている。いや、知っていたはずだ。だけども、どうしても、いわずにはいわれなかった。

 安芸津に喧嘩を売りたかったのか?

「進平君のデータ主義のほうがよっぽどましだ。彼に見習うといいんじゃないかな」

 安芸津の声は、すでに耳から遠ざかっていた。

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