生徒会役員の章――Ⅳ




 尿意を催したから、と高梁は公園の便所へと向かっていった。高台の上ににある小さなところらしく、見晴らしもきっと良いところだろう。私はおとなしく階段下で待つことにした。

 現状――私の身に迫っている危機が、この大集会だ。見たところ、華月に存在する政治系部活動のすべてが集結しているようだ。禁止令の不満が暴発し、普段穏健を保っていた政治系も行動に移したようだ。

 ここまでの多数の部活動が自発的に協力し、一堂に会したのは過去記憶がない。『日本プロテクト会』の面々が比較的多いように見えるのも、ネットを使って情報連携をし、ここまでの反対集会を起こせたのだろう。

 いや、それよりも、この動画である。

 無料動画サイトにアップロードされたものだが、校内からアングルを捉え、いまにも校門を突破しようとする政治系の連中に、突破させまいと教師陣や居残り組の警団委員が必死に抵抗している様子が映されている。

 校内から――? 今日は政治系だけでなくすべての部活を休止にしている。学校に用事がある人たちは、現場の士気向上のため繰り出された私を除く、生徒会執行部。

 私はすぐさまスマートフォンで連絡を取った。

 相手は30秒ほど待たせて、「はぁい」と疲れた声を漏れ出してきた。

「私です。新見副会長ですか」

「あー会長! 何してるの! 早くこっちに……もう人がすごい。会長を匿ってるんじゃないかって、もうあちこちからいわれてて……」

「分かった。分かりましたから、すぐそっちに」

 それと、と付け加えておくことも忘れずに。

「学校に安芸津はいますか?」

「え? そりゃいるでしょ。生徒会なんだし」

「そうですよね」

「でも、もう出ちゃったよ。学校。裏手から」

 そうか。驚く気力も残っていなかった。どこへ逃げたのかは、もう私には掴めないだろう。

 ぞんざいな礼で会話を打ち切り、どっと疲れが降りかかってきた。体力的な疲労じゃない。左脳が性格悪く身体をむしばんでいる気分だ。頭痛薬飲んでくるべきだったか。

 あの動画を撮ったのは間違いなく安芸津だ。

 何がしたい、お前は――何を望んでいるんだ。

 頭痛ですらない、気持ち悪くなってきた。必要なものは酔い止めだったか。あー疲れる、どこまで私を疲れさせるんだ――。

 またもや携帯電話が振動した。耳に触る。「うざい」と口に出すのを寸前で留め、画面を開いた。

「ん?」

 差出人は「高梁」となっていた。どうしたものか。だが、もう深く考える元気もない。前にかがみながら、耳に当てた。 

「私だ」

「……助け」

「は?」

「……助け、死ぬ! ――助けろ!」 

 そのすぐ後、耳をつんざくような叫び声が鼓膜を鳴らした。

 口の中に唾液が広がってくる。頬をつたる汗が一つ、また二つと流れてきた。携帯電話を持つ右手が故障した機械のように、小刻みを踏んでいた。

 なんでだ、なぜ高梁が。

 唇を噛んだ。

「くそおおおおおおおお!」

 足を階段に動かしていた。一歩、また一歩。一段飛ばしで上っていく。邪魔な携帯電話は、そのまま放り投げた。鈍い音が響く。もうなりふり構っていられない。恐れを感じ取る余裕もない。足も震えていたはずなのに。

 高台に上りきる。人はいない。

 どんどんどんどん、どんどんどんどん。

 悲劇的な命乞いが、私の耳に入った。音の行く先は、小さな便所。一人入るのでいっぱいな程度のものだった。

 音は鳴り響いていた。唾を飲み込み、一目散に走っていく。砂に靴の足跡がめりこむ。頭が痛いとかそんなもんじゃない、もうすべてが分からなくなっていた。なにが正しいのかも、なにをすべきなのかも――。

 扉の前に立つ。しん、と静寂に包まれていた。

 震える指先。見知らぬ恐怖が想像を膨らませる。見たら分かってしまう、すべての真実を。

 目はしっかりと開かれていた。

「高梁!」

 叫び声を紛れ込ませた。

 中にいるのは一人だった。 

 その人物が誰なのか、理解する間もなく、『そいつ』は私に飛び掛かってきた。

 首に強い締め付けがかかった。締まる――剥がれない。

「ごめんな、瀬戸内」

 武道を犯罪に使うとはな。

 高梁の力強い腕が、私の首を巻き付けていた。



         〇



 恨まれる覚悟はできていた。そうじゃなかったら高梁はよっぽどの聖人だったし、一生をかけて祈らなければいけない存在だっただろう。

 でも、高梁は人間だった。それでいい。そうしてもらったほうが、楽だったかもしれない。

 気が遠のいてきた。苦しい。息が。死ぬのか……。どうしようもなくなって、目を閉じた。

 その時だった。いきなり力が弱まった。私は引きはがされ、地面に叩きつけられた。身体の痛みよりも、喉の炎症がひどい。咳が……止まらない。

 おそるおそる目を開けると、二人がかりで高梁の剛健な身体を取り押さえていた。一人は白シャツのラフな格好で、もう一人は薄いジャンパー姿である。

「落ち着いて息をして」

 息を切らせながら、どこか見たことのあるジャンパーが声をかけてきた。いや、さっき視認ばっかりだ。まごうことない、福山である。

 そして、もう一人は……不自然にも、涙を流していた。

 はっとした。青沼であった。

「……桃弥、なんでお前! なんでだよ! なんで……くそおっ!」

 ああ、そうか。

 私たち三人はどうしようもないものを背負ったんだな。

「……分からないか、青沼」

 くごもった高梁の声。

「妹のこと、俺が綺麗さっぱり忘れたとでも?」

「え……」

「先にお前を」

 ははは、と力の抜けた笑いをした。「殺すべきだったかもな」

 

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