探偵たちの章――Ⅶ
有楽町線江戸川橋駅を使って、俺は豊浜千夏子の家へと赴いた。自転車でいけばさほど時間はかからないが、後々邪魔になるだろうからと地下鉄を使ってここまできた。無駄な電車賃はまあ百歩譲って許すとしても、遠回りしなきゃいけない不便さにいいようもない怒りを覚えた。なんだよ、同じ文京だろうが。区内でわざわざ電車を使う外道はどこの誰だって話だが。
でかい首都高速の陸橋は、神田川を跨いでいる。駅前は道路沿いにビルやら店やらが騒がしいが、川を越えたら静かな住宅街だ。下町ってほどの古ぼけた建物はあまり見当たらないのも、なんだか面白みがない。新渡戸稲造の旧居とか呼ばれる場所はただの一軒家だったし。観光客を失望させたいのだろうか。
ひとまず坂を上り切り、高台の公園を過ぎると、突然わさわさと人影が見えてきた。全員、紺色のブレザーを身に着けている。華月の人間で間違いない。
怪しまれる筋合いはない。ちょうど近くにいた人に、警備のリーダーを呼んでくれと頼んだ。訝しがりながらも、その人は道の奥へと消えていった。一軒家を囲むようにして、何十人もの生徒が警護しているのがよく分かる。華月の生徒会としての威信もあるのだろうなと思った。
ちょっとして、体格のよさげな男が俺の前に現れた。一目見るだけで相手を圧倒し、喧嘩にすら持ち込ませない威圧がある。視覚的恐怖を敵に植え付けられそうだ。
「どちらさん?」
俺の予想とは裏腹に、意外とマイルドな声だった。
「福山といいます。青沼先輩に頼まれて、この家の警備に来たのですが……」
「福山――そんな名前聞いたかな」
おっと。話が通ってないとは。部外者として邪険にされるのは正直辛い。
「青沼先輩から聞いていませんでしたか。三原探偵事務所の者です」
「あー、探偵の人か……。そういや瀬戸内がなんかいってたな」
会長のことか。呼び捨てとは、いいご身分で。
「生憎だが、俺はなんも聞いていないんだ。たぶん勝手に青沼が決めたことだと思うから……」
段々と歯切れを悪くして、口を閉ざした。別にあんたの責任でもないのに。まあ、お呼ばれされてないならしょうがないかと諦めの感情に入った時、そのでかい男の背後からまた別の人が向かってきた。
「どうしんですか、高梁君」
「ああ、瀬戸内……」
なんと、こんなところで大将のお出ましとは。整った顔に神経質さが窺わせている。俺は反射的に目を潜めるのを避けられなかった。
高梁とかいう男から説明を受けた華月の統率者は、「ああ、君が」とこちらは話が通っていたそうだ。ひとまず安堵する。一口でも俺の存在を知ってくれたなら、多少は動きやすくなる。
「豊浜さんは、今のところは?」
「心配ないですよ」
それを聞いて、俺は頷いた。そちら側に異常があったらいろいろと問題である。
と、その時俺のポケットから振動が伝わった。断りを入れて、電話に出る。
呼び出しの名前は、「竹原」となっていた。
「福山だ。しゅうたか」
「どうも」
溌剌なしゅうたの挨拶が耳を揺さぶった。「見つけたよ」
「ありがたい。すごく助かった」
「いいさ。福山の目的が叶えれたのなら」
「礼はまた今度」
「今度かあ……」
しゅうたの言葉が途切れる。電波の調子か? いや、これは相手の電話口が黙ってる。どうしたんだ……。
「その日が来ると、いいよね」
やっぱり、しゅうたも分かっていやがった。
俺らに「今度」もくそもないってことを。
「ああ、願ってるよ」
「うん。写真はメールで送っておいたから」
「重ねて感謝する」
「じゃ」
「ああ」
プツン、と遮断された音が耳障りにも残る。
俺のため息は、ひどく不快だっただろう。添付されたメールを確認した。目的の人物がいくらか、画質は悪いが写されている。
が――。
どこかで、見たことあるような顔だ。どこだ?
モヤモヤが張れぬまま、俺は携帯電話をしまう。
このタイミングで、瀬戸内は声をかけた。
「――福山君にも、聞いてもらいましょうか。いずれ分かることですし」
俺は首を傾げた。高梁は「どうしたんだ」と話を先へと促す。
瀬戸内はあたりを見回して、俺らを路地の脇へと移動させる。スマートフォンを操作する手は不自然に急いでいた。やがて開いた動画を、俺らの前に突き出した。
これは。
「おい瀬戸内。これ……」
「ええ、華月高校に違いないです」
「……どうしてまた、こんな大多数集まってるんだ!」
高梁の怒りを孕んだ疑問は、宙に投げられたままだった。
華月の校門前には、並々ならぬ人。人。人。動画から漏れ出す音声には、怒号と悲鳴のようなものも混じっていた。
そしてなによりも、色とりどりのイメージカラー。青もいる。赤もいる。緑もいる。旗を持っていたり弾幕を掲げていたりメガホンで叫んでいたり――。間違いない。政治系部活動の大集結だ。
「私の決定に、彼らは怒りを募らせているのでしょう」
たびたび流れてくる単語として、「部活動中止」「生徒会」「撤回」「自由」などという単語が耳に入ってきて、大体の内容を俺は悟った。
「私はこれの対処に向かいます。この場は高梁君に任せます」
「何いってんだよ」
高梁は会長を足止めした。
「だったら俺も行く。お前は今、狙われる身だ。一人にさせるわけにはいかない」
瀬戸内は口を開きかけたが、高梁の説得に反論しかねたのだろう。致し方がない、といった表情で首肯した。
「分かりました。こっからは……歩きで行きましょうか」
「うっす」
さて俺はどうするか――と悩むまでもなく、「君は自由にしていいですよ」と瀬戸内の去り際にいわれた。
自由といわれたからには何かしなければ。どう時間を潰そうかと思い始めた瞬間、再び携帯電話が鳴った。
来た。
「俺だ」
「僕だよ」
「どうだ、そっちは」
「全貌が見えた」
江田の喜ばしい報告が伝えられた。ただ、その声に焦燥感が含まれていた。
「三原はいるか」
「それが、お姉さんが家に置いてきちゃったらしくて……」
電話口の背後から、軽率な謝罪が聞こえてきた。小さく舌打ちをする。どうしようもない姉妹だ。車なら時間はかからないだろうが、電車だと……。しょうがない。
「三原は諦めよう。後で合流してもらう。それと、俺のほうもなんとかなりそうだ」
「福山。君は今どこにいるんだ?」
「豊浜の自宅前だが」
江田は一呼吸おいて、「お前、豊浜は三人目じゃないぞ」といった。
口が横に伸びる。俺も舐められたものだ。
「ああ。そうらしいな」
「おま……知っていたのか!」
「ついさっき気付いた」
俺は自然と、歩きはじめる。「たぶん、江田とは違う手段でな」
「……そうでなきゃおかしいだろうがよ。なんでだ! なぜあの人が。『ABC』の『C』でもないのに――」
来た道を戻る。足が不思議と速くなった。
「いや、法則通りだ」
「はあ?」
「『ABC』ってのはな――」
坂を下っていく。目の前には、手を挙げてる男が待っていた。最高のタイミング。いや、すでに最悪の事態が起きているかもしれない。
「福山?」
「悪い。また後で」
「え、ちょっ、おま」
プツン、と遮断した。申し訳ない。人命がかかっているんだ。
足に硬さのある違和感が走った。目を落とすと、靴の裏で携帯電話を踏んづけていた。
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