第9話 歩き始めた道、その道すがら

 ウォーキングを習慣として始めてから、変わったことが幾つかある。


 一つは、僕自身の体調についてだ。薬は相変わらず服用しているものの、叫ぶことや発声という症状は、かなり抑えられていた。何処にも行き場のない衝動を上手く発散することが出来ているのか、ウォーキングを始める前後で症状の発生頻度は大きく下がっていたのだ。その影響があるのか、気分が悪くなるという事についても、日に日に症状は軽くなっていった。


 二つ目は、行動範囲だ。それまで、家に籠ってばかりだった僕は、人目も触れない家の中を行ったり来たりする事しかしていなかった。しかし、ウォーキングをするようになってからは、その行動範囲は近所の公園からスーパーマーケット、ショッピングセンターまで広がって行った。これも、ヘッドホンをしながらも外に出歩き始めたゆえの効果だろう。次第に、人目も気にならなくなっていった。


「最近は外に出てくれているから、安心というかホッとするね。このまま、上手く治ってくれればいいんだけれどね」


 そう母は言った。僕はそれに対し、


「……」


 何も言えなかった。と言うのも、僕自身、本当にうつ病が治る兆しがあるのか疑問を抱いているからだった。


 家に籠っていた時にネットで拾った知識で真実か否かは定かではないが、そもそも『うつ病』というのは、完治しないらしい。『寛解かんかい』と言って、症状が良くなって普通の生活が送れるようになるが、うつ病は再発する可能性のある病気なのだ。だからこそ、僕はそれが怖い。回復してもまた何かのはずみでそれが悪化し、またうつ病になって苦しむ。それがどうしようもなく不安なのだ。


 まだ治ってもいないのにこのような事を考えるというのはいささか時期尚早かもしれないが、どうしてもそんな思考が頭を過ぎってしまうのだった。


 病院でもそうだ。


「最近の体調はどうだい?」


 という質問から始まり、気付けば、


「大丈夫、治るからね。君みたいに苦しんでる人もこのクリニックには割といるんだ。だから、大丈夫。今はゆっくり休もう」


 という言葉を多く投げ掛けられる。


 一時的には落ち着くが、時間が経てば、


「何時まで僕は、ゆっくりしていればいいんだろう?僕は、本当にゆっくり休んでいていいのだろうか?」


 という疑問に苛まれる。一体、何時まで自分はこの場所に停滞し続けているんだろう、というような思いが止まらなくなる。そんな時が多くなった。


 そうしてまた、体調を崩すのだ。


 自分でも嫌な性分だとは分かっている。しかし、どうにも止められないのだ。


 溢れだす感情が、ふと胸の中に浮かび上がる衝動が、僕をそうさせるのだった。

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