一人、風呂場、静寂・・・・・・その先にあるのは……

さばりん

夏のある日の家の中でのお話

 俺、加賀美遼かがみりょうは、どこにでもいる普通の高校生。

 今日も部活を終えて、いつものように自宅へと帰宅した。


「ただいまー」

「おかえり遼」


 玄関の左手にあるリビングの方から現れたのは、ダウンコートに身を包んだ母さんだった。


「今から仕事?」

「そうなの。田花たばなさんが熱を出しちゃったらしくてね、いつもより早く出なきゃいけないのよ」


 そう言って、母は俺と入れ替わりで玄関で靴を履く。


「ご飯は作ってテーブルの上に置いてあるから、もし冷めてるようだったらレンジで温めて食べて頂戴」

「分かった」


 母を見送った後、俺は玄関の右手にある六畳間の和室へと入る。

 和室の正面には、昔ながらの黒い仏壇が置いてあり、燭台の裏には亡き父の写真が飾られていた。

 俺は仏壇の前にある座布団に腰掛け、香炉へ線香を立てて立てて鈴を二回鳴らして手を合わせる。


 俺が中学に上がる前、父は交通事故で帰らぬ人となってしまった。

 それからというもの、母はこの一軒家のローン返済に追われ、今は夜勤の仕事をしながらなんとか生計をやりくりしている。


 俺も部活を辞めて、アルバイトで家計を助けようとしたものの、『せっかくのチャンスなんだから』と言われて、母に止められてしまった。

 確かに俺は今、名門校のサッカー部に所属しており、二年生ながらレギュラーの座を掴みとっている。

 県選抜にも選ばれるほどの実績を持ち合わせ、このまま続ければ、スポーツ推薦で大学進学やプロチームへの入団も夢ではないかもしれないのだ。

 母も俺の実力を知っていたからこそ、宝の持ち腐れをしてはいけないと考えたのだろう。

 そのおかげで、今の俺は、プロの世界で活躍して、母へ恩返しをしていきたいと考えていた。


「父さん。母さんのことは任せてくれ」


 父に語り掛けるように言って、俺は座布団から立ち上がり、踵を返して洗面所へと向かう。

 練習で汚れてしまった部活着を、そのまま洗濯機の中へと放り込む。

 今日は熱帯夜ということもあり、帰りに随分と汗を掻いてしまった。

 夕食を食べる前に、先に風呂に入ってしまうことにする。

 制服のシャツを脱ぎ、練習着と同じく洗濯機へとぶち込む。

 裸になった俺は、そのまま風呂のドアを開けて中へと入った。


 汗や練習で汚れた身体を綺麗にしていく。

 ボディーソープを泡立てて、身体全体をしっかりと擦って洗い、シャンプーで頭をゴシゴシと掻いて、最後にまとめてシャワーで洗い流す。


 浴槽には既に湯が張られており、俺はそのまま飛び込んだ。


「ふぅ……」


 ザァッと、水しぶきの音が鳴り響いた後、辺りは静寂に包まれる。

 ポタポタと水滴の音が時々聞こえるだけで、他に音は聞こえない。

 そんな時、俺はふと背中に寒気を覚えた。


 怖くなってバッと後ろを振り返る。

 しかし、後方を見渡しても、ただ風呂の壁面が見えるだけで、何か不審な点は見当たらない。

 一抹の不安を覚えつつ、俺は首を前に戻す。

 すると、湯船の正面にある鏡に、俺の背後に映る、長い黒髪を下ろした、白衣装に身を纏った女の姿が見えたような気がした。

 俺はバッと顔を上げて鏡を見る。

 けれど、鏡には自分だけが映っており、長い黒髪の女は見当たらない。


「な、なんだ……自分の姿を見間違えただけか」


 心を落ち着かせるために、ふぅっとため息を吐いたその時――。


 ひゅーっと風呂場の換気扇から、冷たい隙間風のような音が聞こえてきた。

 俺は視線を上に上げて、音が鳴り止むまで見つめる。

 音が鳴り止み、再び静寂な時間が生まれた。

 気味が悪くなった俺は、慌てて浴槽から出る。

 怖かったので、カランでお湯を出して、音が途切れないように出し続けながら、ハンドタオルで身体に付着した水滴を拭いていく。


 カランを締めて、俺はすぐさま風呂場の扉を開けて、脱衣所へと出た。

 その時だった……。







 正面の薄暗い廊下に、長い黒髪の女の姿が――





「うわぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」


 バっと目を開けて起き上がると、俺は自室の布団に眠っていた。

 頭が混乱する中で、辺りを見渡す。

 何の変哲もない代わり映えの無い自室。

 さらにはカーテンの隙間から、朝の日射しが差し込んできている。


「な、なんだ……夢か……」


 なんとも不気味な夢を見たなと思い、ほっと胸を撫で下ろす。

 嫌な汗を掻いてしまったので、タオルを取り出して寝汗を拭きとる。

 俺は制服に着替え、部屋から出て階段を降りる。

 一階のダイニングへと向かうと、夜勤から帰ってきた母がキッチンで朝食を作っているところだった。


「おはよう」

「おはよう」

「何か手伝う?」

「トースト焼いてくれる?」

「分かった」


 何も変わり映えの無い日常。

 母の言われた通り、スーパーで買った六枚切りのトーストをトースターの網の上に載せて、タイマーを回して5分にセットする。


「そう言えばあんた。昨日は体調でも悪かったの?」


 すると、母が唐突にそんなことを尋ねてきた。


「えっ、なんで?」

「なんでって」


 母はこちらを振り向くと、呆れたような表情で語りだす。


「夕食もラップしたまま一口も食べた様子なかったし。洗濯も掛かってなければお風呂のお湯張りもスイッチ切ってなかったから」

「えっ……」


 俺は思わず、自身の昨日の行動を思い出す。

 昨日は、母が熱を出してしまった同僚の人の代わりに早番で出て行って、その後俺は汚れた身体を洗い流すために風呂に入って――


「……」


 恐怖が再び芽生え、全身に鳥肌が立つ。

 心なしか、身体がすくんで身体が震えている気がする。


「どうしたの?」

「いやっ……何でもない……」


 そう言って、俺はテーブルの椅子に腰かける。

 俺の変な様子を見て、母は頭の上にはてなマークを浮かべていた。


 それ以降、俺は母が夜勤に出かける前に風呂を済ませて洗濯を掛けるようにして、家に一人でいる時は眠るまでずっと何かしらの音を立て続けて生活しましたとさ。



























「………………………ふふっ」










 END

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