第Ⅰ4節
ここで占領下の日本社会の状況を見つめる五味川の視座が窺われる叙述を引用しておきたい。これらは文学作品における時代の証言とも言えるだろう。
「街路には、ところどころに女が立っていた。どうしてか、車道と歩道の境目に立っているのと、建物の壁にやもりのように貼りついているのと二通りあった。だから、歩道を往き来する男たちは、両側から、油を塗ったようにヌラヌラと光る女の眼で物色されることになる。(略)ときどき、あたり憚らぬ黄色い声がした。そういうところでは、必ず、外国の兵隊が女とふざけていた。女の声が外国の兵隊を相手にするときだけ法外に大きいのは、彼女らだけが占領者と互角に渡り合えることを誇示しているのかもしれなかった。」(第二部6章)「朋子の前を、アメリカの兵隊と日本の女が縺れ合って歩いていた。その女はアメリカ兵の脇の下に完全に入ってしまっていた。そのくせ、声だけは男の二倍も大きかった。挑みかかるようにあたりを見廻しては、通行人の視線にぶつかると、ことさらに声を大きくしているようであった。ひどい米語である。それでも会話は成立するから、女は得意のようであった。朋子には、その女が、どうやら、小さくなっている日本人の中で、自分たちだけが進駐軍の兵隊と堂々とつき合えることを誇っているらしく見えた。(略)確かに、日本人は小さくなっているのである。これは、あの小さな船で祖国に上陸した瞬間から味わわされたことであった。僅かに、特殊な女たちだけが、その取引の性質上、対等らしく見えるようであった。」(第六部1章)
これは「パンパン」と呼ばれた米兵相手の売春婦の描写だ。敗戦国日本を象徴する光景である。二箇所引用したが、別の場面での叙述だ。しかし五味川は共通する「パンパン」像を描いている。それは米兵相手に大声で「ひどい米語」を話す姿であり、「彼女らだけが占領者と互角に渡り合えることを誇示している」ように見える姿だ。それは周囲の日本人がどれだけ「小さくなっている」かを逆に照らし出しているし、そんな日本人から蔑視されていた彼女達が、逆に周囲の日本人に「挑みかかる」ような気持で自分を支えようとしている姿でもあった。屈辱感をバネにして、開き直って生きていこうとする彼女達の姿を五味川は捉えているのだ。
塩沢の言葉には戦後状況への鋭い読みがあるが、そこにも五味川の見方が込められていよう。
「私は連中の欲望を利用して、せっせと回収してやろうと思うのですよ。日本人全体ということを優先的に考えるのは、そういう資格も情熱も私にはありません。進歩的な人たちは、アメリカ人相手の営利行為は売国行為のように白眼視するのですがね。その人たちが、ついせんだってまで、アメリカは解放の恩人だと信じていたんじゃないでしょうか。もう一年になりますが、ゼネスト禁止令が出されて、ようやく的はずれだったことに気がついたわけでしょう。最初から恩人なんかじゃありませんでしたよ。恩を着せて捲き上げるというやり方でね。」(第二部4章)「社会党内閣は案の定、潰れたでしょう。今度は芦田さんの連立内閣ですか。早急ってわけにも行かんだろうが、統制は弛む方向へ必ず行く。食えない人間も多勢いるが、贅沢をしたがる人間も多勢いる。見ていてごらんなさい。アメリカさんが贅沢を持ち込んで来て、日本人は総いかれになってしまうから。大根の尻尾をかじっても、派手な恰好をするようになる。いまにパンパンだかお嬢さんだかわからなくなる。」「いまに、何もかもアメリカ式になる。政府は早くそうなってほしいんだね。日本人の考え方や感じ方までそうならなくちゃ、アメ公が資本を入れてくれないからね。」(第六部4章)
この観察は占領期を越え、戦後日本を貫く一つの大きな傾向を見通している。三国人の尹の見方もなかなかシニカルだが、五味川の戦後日本への視点が反映していると思われる。「渡り鳥は北から南へ行ったり、南から北へ飛んだり、どっちが棲家ということもありません。千石さんは、こっちが暖かいと思って財産を持ってきた。寒かったらどうしますか?あんたは日本をよく知らないでしょう。たいへんな国ですね。私には面白い国です。鬼畜米英と云っていた人たちが、マッカーサー崇拝者になりました。私たちを虫ケラみたいに扱っていた人たちが、私たちに尻尾を振るんですよ。革命家も沢山できました。この人たちは天皇を攻撃しますが、マッカーサーを攻撃できませんね。攻撃したくても力がないでしょう。国民は赤い旗より星条旗の方を尊敬していますからね。片山内閣よりももっと親米的な内閣ができた方がいいと思っています。片山内閣は貧乏内閣で、アメリカは貧乏人に金を貸しませんからね。日本の人たちは、金を貸してもらって、どんなに高い金利を取られても、貸してもらっただけ楽になると思っています。」(第一部35章)「ところでね、千石さん、アメリカが日本に持って来たもののうちで一番大きいのは、偽善なんです。もう少し世間をお歩きになると、いまによくわかりますよ」「千石さん、あなたが私と同じように、いや失礼、あなたが精神なんてものを捨ててしまうだろうと私が申上げるのはですね、お国の人たちがその偽善に総いかれになってるとこを、あなたが早晩ごらんになるからです。いかれてるのは、右も左もありませんよ、全部です」「あなたが、また向うに帰りたくなるということです。これはいつかも申上げたことですが。私は尹だったり、趙だったり、西だったりするような、無国籍の三国人ですからね、偽善が多ければ多いほど、住みよいわけですが、あなたは日本人です。それもですよ、あなた御自身でおっしゃった、かなりまじめな、ね。とてもたまらなくなるだろうと思いますよ」(第二部9章)
ここにも戦後の日本を覆うアメリカの巨大な影が捉えられている。米国の対日政策に対する五味川の醒めた眼が感じられる。
この小説には以上のような戦後の日本の社会状況についての幅広い観察や評価が各処にある。小説はそうした大状況を視野に収めながら進行していく。
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