第Ⅰ3節

   3  「生簀」の中で


 「三十年の生命の歴史を、国と国との関係いかんで抹殺されてはたまらなかった。彼は彼の意志で住み、去るにしても彼の意志で去るのでなければ、承知できない」千石は、「自分の意志と手段で」満洲を出ていく。劉猶棟から買った焼玉エンジン・二気筒・五十馬力の船に、思惑で稼いだ金で買い集めた和服や綿糸など八百万円相当の荷物を積んで。乗船者は、千石、朋子、志摩、それに石川という馬発財とは別派の中国人が経営する百貨店の支配人格の男、そして乗組員だ。千石の計画では三日間七十二時間で日本に到着するはずだった。密入国である。ところがエンジンの故障で漂流し、十六日目にようやく五島列島らしき島にたどりつく。最初に近づいてきた漁船に乗っていた男は、千石から純綿を買った後、警察署に密航者を通報した。千石達の身柄は、駐在所から本署、そして密出入国者の収容所、さらに米軍の調査機関の指令下におかれた。昭和二十二年十月下旬の事だ。当時の日本は米軍の占領下にある。

 この千石の行動は作者の五味川自身が行ったことだ。「著作集」の「月報17」で、前出の有井尚武氏が五味川と博多で再会した時のことを、「闇市のある街角で彼から呼びとめられ、話をきいてびっくりした。彼はなんと大連から焼玉エンジンの小船で物資を積んで密航してきたというのだ。税関と米軍につかまり、物資を押収されたので、今から東京に返還交渉に行く、そして再び大連に引返すという」と書いている。千石が色濃く五味川の分身であり、この小説が作者の体験を下敷きにしていることの徴憑の一つだ。

 千石達は密航者として米軍のカマボコ兵舎内に抑留され、尋問を受ける。米軍は「共産主義の国から来た」千石をスパイではないかと疑い、執拗に追及する。一行のなかに中共とつながる志摩がいることがその疑いを強める。「密航の動機と目的」を言えといわれた千石は、単なる帰国であり、「日本人が日本人の財産を持って、日本に帰ってきた。何故あなた方に尋問されなければならないのか」と反問するが、「日本はわれわれによって占領されておるのだ! 」と米軍将校は拳で机を叩く。

 兄の千石達也が面会に来る。達也は戦地で米軍の捕虜になり、内地に送還され、東京で「闇成金」になっていた。彼は研介が運んできた荷物を手に入れるために来たのだ。積荷が没収されると知った達也は、自分が荷物を回収して、半分は研介にやるから安心しろと言う。達也は妻の朋子と研介の間に肉体関係があると思いこんでいる。彼は朋子に引き揚げ船でなぜ帰らなかったかと問い、「向うがよほどよかったらしいな」と皮肉を言う。研介に対しても同様に問い、「たぶん、少しばかり向うの方が自由が多いと思ったんだろう」と答えた研介に、「錯覚も自由のうちだからな。いや、大きに自由があったろうさ。兄貴の女房を情婦にしてな」と言う。

 朋子が達也の不在の間に、いつしか研介を慕うようになっていたのは事実であり、そのために引き揚げ船にも乗ろうとしなかったのだが、研介も受身ではあるが、朋子を嫌ってはいなかった。しかし日本上陸まで二人の間に肉体関係はなかった。  

 この小説のなかで、千石の兄嫁である朋子はヴェラに次ぐヒロインである。朋子の千石への慕情は、千石とヴェラとの恋愛と並行する小説の一つの柱だ。ヴェラを陽とすれば、朋子は日本的な陰の女性だ。朋子という女性の雰囲気を印象的に伝える箇所を一つだけ引用しておこう。

「千石はアカシアの枝を見上げて、白くなりかけている蕾の房をみつけると、それを一度で取れるかどうかで前途がきまりでもするかのように、狙いをつけ、下肢の筋肉に充分な用意を命じて、跳躍した。/占いは吉と出たようである。蕾の房は千石の掌に移って、なよなよと横たわった。千石は壊れ物に触れるように、そっと顔を近づけた。やがては路面に芳香を降りそそぐ花が、まだ、匂いらしい匂いを持っていなかった。黙って、ひとりで匂い出る日まで忍従しているような、哀しい匂いしかしなかった。千石はそこから顔を離すまでの間に、朋子のことで、ふいに、切なくなった。全く、いまのいままで、意識になかったことである。朋子が、いつも、それほど哀れっぽく匂っていたというのではなかった。朋子の匂いはヴェラほど強烈ではないにしても、いつも衰えることなく千石の身辺で漂っていた。朋子がその蕾の房のようになよなよとしているのでもなかった。朋子はその蕾が開いたときのように白く、それよりももっと大輪に、いつも咲いているのである。それでいて、千石がいま、ヴェラを想わずに朋子を偲ぶのは、やはり、蕾の匂いのはかなさからであった。」(第五部21章)

 四十日間の勾留の後、千石は釈放される。米軍の将校は千石に、「君は良心的なマーチャントで、君の思想的及び政治的な立場は、われわれにとって好ましくないあるいは有害な特殊なものではないようだ」と言い、「君が密航して来た目的」も「特殊な、好ましくない政治的立場からなされたものではなくて、個人的な行為であった」と認められると言う。しかし米軍は釈放後も千石の監視を続ける。千石も「釈放して泳がせるつもりだな」と感じ、「泳がねばなるまい。ある意味で、日本じゅうが生簀である。好きなときに掴み出されて、料理される」と思う。積荷については、没収物件に関する決定は日本当局の権限内のことだから、米軍は日本の税関に返却を命じることはできないと言う。しかしその積荷も既に無傷ではなかった。「検査」に来た四人の米兵が、てんでに和服をつまんでは広げ、値の張りそうなものを、ジープの後ろに牽いてきた車に放り込んだ。十組のゴルフ道具、亡父の一平が愛した光淋の文函なども持っていかれた。それは金額にして積荷のほぼ半分に相当した。

 釈放された千石は没収された積荷の回収に奔走する。税関支所に出向き交渉するが、「密入国の密輸入として処分」すると役人は言う。千石は、自分は政治的スパイでも、密輸入業者でもなく、引揚者として釈放され、合法の範囲内に入っているのに、品物だけは別なのか、と主張する。相手は困惑して、大蔵省と交渉した方がよくはないかと言う。地方は中央へ、中央は地方へ責任をなすりつけ、二言目には進駐軍が、と言う日本の役所では埒が明かないと思った千石は、進駐軍に掛合いに行く。対応した少佐は、爪を磨きながら、「君は訪問先を間違えたのではないかね? 」「ここは日本の官庁の出店ではないよ」と言う。千石は、「日本の役所は、私が占領軍から調べられた事実があるので、私に属する財産の処分に関しても、占領軍の意向がわからないうちはどうにもできないのだそうです」と答え、「しかし、君は釈放されたんだろう? 」「そうです」「君を調べた占領軍の調査官は、財産を没収すると云ったか? 」「云いませんでした」「それなら、何が問題だ? 」という問答となる。少佐は磨きあげた爪を見ながら、「日本人には不思議な民族性がある。何故、日本人は、一日に何回食事をしたらいいかというようなことまで聞きに来るのかね、君だけではないが」と皮肉を言う。この辺りには、敗戦によって主体性を失い、アメリカに対する卑屈な事大主義に陥っている当時の日本人の精神状況が抉られている。

 千石は役人を動かすため、官僚畑に顔の効く山口に会い、働きかけを頼む。C市から引揚げた山口は神戸の高級住宅地に屋敷を構えていた。会ってみると、「満洲情報」に詳しい山口は千石の失敗を既に知っていて、「うまく行かなかったそうじゃないですか」「上手の手から水が漏れるのたとえですな」と面白そうに笑う。積荷の回収に成功した場合、その金額の一割を山口に支払う条件で話はまとまるが、「何やら明朗でない関係が発生しそう」な嫌な後味が千石には残った。

 さらに千石は東京に行って達也に会い、積荷から手を引くように言う。達也も積荷の回収に動いていて、税関では二本の線への対応をうるさがっていた。研介は達也に、「あんたは半分を取る資格があると思っているらしいが、俺が持って来たのは千石の遺産ではないよ。千石の財産は、戦後、全部吐き出した…」と言う。達也は皮肉に笑って、「日本の大商人で、うわべのおべっかではなしに、心底から中国に尻尾を振ったのはお前だけだったそうな」と応ずる。研介は、「ともかく、俺が持って来たのは、戦後俺が作ったものだ。というより、中国が俺に作らせてくれたものだ。いろんないざこざのあげくにね。あんたは全然ノータッチだ。もっとも、千石の暖簾があったから俺が働けたというのも事実だろうから、そういう意味で暖簾の残骸を分けろというんなら、わからんこともない。半分寄越せなら、それもいい…」と言う。しかし、「あんたが半分取るからには、朋ちゃんを迎え入れるか、はっきり離婚して、然るべき型をつけてやる必要」があると言う。達也は、「俺がはっきり離婚して、お前がはっきり結婚してだな、俺が朋子にしてやる分を、お前が頂戴しようという寸法だな」と返す。そして結局、積荷から手を引くことも、朋子と離婚することも拒否する。研介は、積荷の回収は抜け駆けの競争になるが、どちらが勝っても文句なしにしようと言って別れる。

 朋子は釈放された後、一つだけ携行を許された行李の中の着物を売って生活の資を得る。彼女は勾留中の千石に、「いまは表記の家の三畳を借りていますが、借りるまでがたいへんでした。私が引揚者だと云うと、ほとんど何処の家でも相手にしてくれませんの。狭い日本になんだってのこのこ帰って来やがったと云わんばかりの眼つきです。その人たちも生きるために血眼になっているのですから、仕方がないのでしょうけれど、物乞いか何かみたいに玄関払いを食わされたときには、口惜しさと情なさで、泣くまいと思っても涙がこぼれました。だって、そうした家には、ちゃんと貸間の貼紙がしてあるのですもの」という手紙を送る。この後に朋子が「大きな門構えの家」に着物を売りに行く場面が続くが、当時引き揚げ者が祖国にどのように迎えられたか、その一端が鋭く印象的に切り取られている。

 朋子は生活のため間もなくダンスホールのダンサーになる。その店の常連客である塩沢という男が朋子に目をつけ、毎晩現れて、ほとんど朋子としか踊らないようになる。そのダンスホールには進駐軍の客が多くて、ある日、朋子は米軍兵士数人の間をタライ廻しにされかかる。その時塩沢が他の女を連れてきて、「代ってもらえるとありがたいんだが」「私は私のパートナーを他の人に取られるのを好まない」と兵士に言い、朋子とその女を代らせ、朋子を救う。それが二人をより近づけることになる。塩沢は外人相手のみやげもの屋を経営しているが、ある夜、朋子に、「ここをやめて、僕を手伝ってくれませんか」「僕があんたにお願いしたいのは、みやげもの屋の方を僕に代ってやってもらいたいということです」と言う。朋子は断るが、塩沢は日を変えてまた懇請する。「僕は無一物の復員者でね、街じゅうをほっつき歩いて、巾着切りみたいに闇で稼いだ男です…」「儲けにかけてはあくどい代りに、抜けたところもあるんです。あくせくしたから、あくせくするのが厭でね。なんて云いますか、ふわっとした夢みたいなものでね。自分の眼鏡であんたを選んだんなら、それで店がどうなったって悔みはしない。気楽にやって下さいよ」と言う。朋子は心を動かされながらも、千石に相談しなければならないと言う。釈放後、没収された積荷の回収の目鼻がつき次第行くという便りが一度あっただけの千石を朋子は待つ。やがて、ダンスホールに現れた千石は、塩沢と会い、世相や商売について話を交わした後、朋子の前で、「あなたは、奥さんは? 」と塩沢に訊き、「…おります」と答えた塩沢に、「二人必要だとお考えになるわけですか? 」と痛烈な皮肉を言う。塩沢は「とんでもない! 」と顔を赤くし、「あなたともあろう人が、また通俗的な解釈をなさるじゃありませんか! 私はファンなのですよ。讃美者なのですよ。共通の利害の上で讃美し続けたいと願っているのですよ。私がどう思うにしたところで、こちらの中には、あなたという人が住んでいるじゃありませんか。知っていますよ、私は。それを私はどうにもできないでしょう? 」と答える。「三十代のプラトニック・ラブですか。前代未聞です」と千石は応ずるが、塩沢の言葉に嘘はなかった。千石は朋子に「あんたは塩沢氏のチャンスを試してみるつもりだろう? 」「やってごらんよ」と言う。千石の同意を得て、朋子は塩沢の申し出を受け入れる。

 積荷の方は、千石の東奔西走と山口の顔の効き目で、払い下げを受けるという名目で買い戻す線までこぎつける。税関は、一度没収したものはどんな理由があってもそのまま返すことはできないというのだ。しかし千石には買い戻す金がない。山口から金を借りれば、まるごと持っていかれる恐れがある。衣料品業者にも当ってみたが、どこと組んでも商品に対する千石の支配権は低下する。千石は釈放後一度会ったきりで気になっていた朋子に会いに、朋子が任された店に顔を出す。朋子は店に住みこんでいた。千石は朋子の部屋で一晩を過ごすが、その時二人は初めて肉体的に結ばれる。翌日、朋子は千石に塩沢が切った四十万の小切手を差し出す。それは前夜千石が洩らした必要とする金額だった。千石は塩沢の下風に立ちたくない気持から受取らない。

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