第6節
剣持に代表されるような栄達志向、利益追求型の「共産主義者」に対して、この男に示されるような誠実な共産主義者も登場する。主要人物としては仁礼と志摩がいる。
仁礼は剣持が日本人活動家の中で唯一苦手意識を持ち、どうしても軽視できない人物である。剣持より年上で闘争経歴も古い。人柄は剣持と対照的だ。「脂ぎって」「俗臭ふんぷんたる」剣持に対して、仁礼は「枯淡」で、「質素な身なり」をし、「端正な紳士」と見えた。「誇張した熱弁を振るう」剣持に反して仁礼の話しぶりは、「煽動には適当でないが、内容は豊富で、理路整然としていて、少しも凝滞するところがない」「淡々として自己宣伝を決してしない」のだ。剣持は「仁礼の実力とその支持勢力」に不安を覚え、それだけ逆に、「仁礼を下風に立たせようと腐心していた」「剣持のような権謀術策を弄する男と協働する場合には、仁礼のような品のよさは、却って弱点」となり、剣持が日本人共産主義者の「同盟の最高指導者の地位を掌握」することになる。(第一部25章)仁礼の形象は小説の展開に一つの役割を果たすキャラクターとしては彫りが浅い。彼がどういう経歴で現在の地位に至ったのか、などの叙述が全くない。この小説の登場人物としては珍しく、人間的臭みに欠ける形象になっている。そのことが、作者はこの人物を共産主義者の一つの理想像として描いたという印象を強める。「仁礼」という名前はレーニンを思わせるし、漢字の意味を考えても理想像の名にふさわしいようだ。虚偽の共産主義者である剣持と対比させる作者の意図が明確に感じられる。ただし、この仁礼にもモデルがいる。石堂氏が前記「解説」で述べている自分の活動と、仁礼の動きには重なる部分が多く、どうやら石堂清倫その人が仁礼のモデルのようだ。
志摩の形象は仁礼に比べればはるかによく彫られている。志摩は敗戦後、中国奥地の国共交戦区で、中共の地方政権に協力して活動していたが、国民党軍が入城してきたので、慌てて逃げた。日本人活動家は撤収する革命政権から置き去りにされたのだ。国民党に捕まると中共に協力した日本人の命はまずない。志摩は道中の危険を思って、妻を残したまま脱出した。三ケ月後、妻から人を介して、帰って来てくれという手紙が届く。妻は心細さのあまりそんな手紙を出したのだろうが、帰れば志摩の命は危ない。友人は志摩を止めるが、彼は帰る決意をする。汽車は杜絶しているから荷馬車に便乗しようと予約するが、出発の朝になって後難を恐れる中国人の馭者から断られる。彼は遂に妻に会えないことになる。志摩は中共に一度裏切られて命を落としそうな羽目になり、また妻と生き別れになりながら、今もなおC市において、戦後の生活難にあえぐ日本人の救済と、贖罪としての中国再建への協力を義務として行っている男だ。
五味川は志摩の前身に当たる人物を主人公にして、本作執筆と重なる時期に小説「歴史の実験」(中央公論社一九五九年刊)を書いている。そこには中共の市政府に協力しながら、その市政府に疑われ、国民党の入城に際して置き去りにされる日本人活動家が描かれている。「著作集」の「月報17」所載の有井尚武氏の文章によれば、これは五味川自身が経験したことだ。場所は五味川が勤めた昭和製鋼所があった鞍山で、そこにできた中共の市政府に協力したのだ。日本人協力者は「文化解放連盟」を名乗り、市政府の援助で「民主新聞」を発行した。五味川はその新聞の論説を引き受け、「説得力ある理論と鋭い観察力」で連盟をリードしていたようだ。昭和二十一年に入り、日本人の間に国民党来襲が噂され、国民党待望論に乗って一部の中国人と組んで暗躍する者や、逆に市政府に取り入って戦犯摘発に名を借り、私腹を肥やす者も出てきた。連盟はその両者に与せず、「無実または無実に近い容疑で逮捕された人達の救出運動をはじめた」が、それが市政府の文化解放連盟に対する評価を低下させ、「三月に入って国民党軍が目前に迫り、市街戦が始まろうとした前夜、」中共は「一斉に撤退を開始したが私達には何の連絡もなかった。」「国民党軍が入ってくれば、摘発され死をまぬがれないだろう。私達は家族を残して中共軍を追尾し合流した。」と有井氏は書いている。ただし、五味川は有井氏らと行を共にせず、「生まれ故郷である大連へ脱出する決心をしていた」という。
上記のようであれば、志摩も千石と同じく作者の分身としての要素を強く持っていると言える。この志摩が小説の中で、ヴェラを除いて、千石と最も心情的に触れ合う人物となっている理由の一つだろう。
志摩が、立売りするための着物を中国人から奪われそうになった日本人の女を救う場面がある。活動家としての志摩の思い、当時の日本人の状況が活写されていて、印象的な場面だ。
剣持の事務所を出た志摩は「隣の百貨店隆華社を廻って行く方が組合へは近いのに、わざわざ反対の方へ歩きだした。」それは「隆華社が陽ざしをさえぎっている側では、いつも歩道をいっぱいに埋めた日本人が手に手に衣服を広げて立売りしているからである。」志摩がそこを避けたのは、「自分たち『活動家』と呼ばれる者の活動が、立売りをしなければ食って行けない人々の未来を、ほとんど何一つ保証できないことを感じずにそこを通ることはできない」からだ。敗戦後、中国に在住する日本人の状況に対する日本人活動家としての無力や、奥地に残して来た妻のことを考えながら歩いていた志摩は一つの事件に遭遇する。風呂敷包みを胸に抱えた日本人の中年の女が志摩の方へ歩いて来ていたが、建物の壁際にいた中国人の男がいきなりその風呂敷包みに手をかけたのだ。男が力ずくで強引に風呂敷包みを引き寄せると女は死に物狂いの抵抗を示した。「着物だろ。見せろよ」「駄目です!あっちへ持って行くんです」「見せるんだ!」「俺が買ってやる」「これはあっちで売るんです。堪忍してちょうだい」「買ってやると云ってるんだ!」というやり取りがある。志摩が中国人の男を制止すれば、その男と争いになるのは明らかだった。相手が暴力を振るうかも知れず、それは志摩の忍耐を破るかも知れなかった。中国人と日本人が暴力を交換すれば、問題は風呂敷包みの次元を越える。力ずくでも説明してもだめと分った女は、風呂敷包みにしがみついたまま、男の足元へ跪こうとした。ずっと先に保安隊員の姿を認めた志摩は賭に出る。その保安隊員が志摩とその男の争いをどう捌くかに賭けたのだ。保安隊員の所まで走って行って急を告げることも考えたが、そのために「何十秒かを失うことは、志摩が妻を置き去りにしてまで希っていたことのすべてが失われることのようであった。」志摩は「よさないか!」と男の手首を握る。男は「貴様はなんだ!」「買ってやると云ってるんだぞ!」と怒鳴って志摩の胸を突いた。「喧嘩売る気だな!」とまた突く。志摩は女に「ぼやぼやしてないで早く行きなさい!」と怒鳴る。男が「俺がどうした?見せろと云っただけだぞ。なぜこの女は見せないんだ!どうせ売るもんだろ。俺には売れないってのか!」ともう一つ突いてくる。志摩は二、三歩後退しながら、もう一発やられたら自分がどうするか分らなくなる。その時、「何事だ!」と人垣の後ろから保安隊員が出てくる。「どうしたんだ?」と訊く保安隊員に志摩は、「私は説明しない。見ていた人があるはずです。きいて下さい」と言う。相手の男は自分の正当性をまくしたてるが、保安隊員はそれを押しとめて、見物人達を見回す。見物人達が喋っている間、志摩は「賭はなされたのだ」という思いで保安隊員を見守る。二、三人の見物人から話を聞いた保安隊員は、志摩を見た眼をゆっくり相手の男に動かし、「来い!」と低く命令し、志摩と女には「あんたたちは行きなさい」と言う。「志摩は聞いた。うなずいた。立っていた。動けなかった。女が幾度もおじぎをした。」志摩は自分にも礼を言い言いおじぎをする女を「けうとい眼つきで見下ろしていた。礼を云われるのは筋ちがいのようであった。女は、終戦までの逆の立場を、いまどう思い返しているのだろう?何も考えてはいないのではないか。風呂敷包が助かったことを感謝しているにすぎないのではないか。」中国人の所有物を日本人が奪おうとしていて、それを中国人が制止しようとした場合、終戦までであれば、その中国人の正当な制止行為は日本人の通行人によっても、日本人の警官によってもほとんど許されなかっただろうことを志摩は思うのだ。これは日中の懸け橋に事実上なろうとしている志摩だからこそ抱える思いだろう。志摩は出来事を見ていた荻原奈津子から「立派でしたわ」と声をかけられ、「慄えていました、僕は」と応じた後、「嬉しくてね…」「僕は女房を見捨てて来たけれど…」と眼の端に涙を溜めて言う。彼が救った日本人の女が、同じような境遇にある彼の妻と重なっているのだ。
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