第5節
千石が逮捕された背後には剣持第四郎と中国人馬発財の画策があった。
剣持第四郎はこの小説のなかで千石が最も明確に敵対者として意識する人物だ。その経歴を引用しよう。「彼は青年時代に『四・一六』に連座して、二年ほど獄中生活をしていたという経歴の持主だが、終戦時には一つの商社の経営主に納まっていた。人々は、彼のことを頭の冴えたよく切れる男だと云うのである。(略)彼は人並みはずれた自負心と、アジテーションで鍛えた雄弁の持主である。けれども、商社の主人であった彼が、終戦後革命家として再出発して、忽ち同志を領導する立場に立つようになるためには、自尊心と理論と雄弁だけでは足りない。(略)本来ならば、それは能力と人徳から出た指導力であるべきだろうが、えてして俗に云うハッタリとか、特殊な演技力が取って替ることがある。」剣持は、「C市は中国の土地であり、中ソ両国の共産主義勢力に確実に掌握されている限りは、その道を選ぶことが賢明であると判断」し、中国人の新しい指導者たちに、「誰でも真似のでき」ない「努力と情熱」で接近した。彼は接近する相手に「深甚な」「革命敬礼」を払い、「舶来物の腕時計とか万年筆を献上した。」「それが、恐れ入ったり、かしこまったりしてするのではなくて、革命の後輩が先輩に同志的愛情をもってするかのように堂々と振舞うから、相手も受け易いのである。」彼は「高位の人物と見ると、誰にでも接触を保った」ので、「他の誰もあずかれなかった新幹部たちの知遇を受けることができたし、誰も知ることのできなかった情報を、正確不正確を問わずに手に入れることができた。そのことが、日本人同志の間で、彼の比重をどれほど大きなものにしたかしれないのである。」(第一部25章)剣持はこうしてC市における日本人活動家の中で指導的地位に立つようになった。「剣持は中国の権威筋からの信頼を獲得するのに寧日なしです。ロシア革命は終ってしまったから、いまさら参加してもしようがないが、中国革命はこれからですからね。参加して、献身ぶりを認めさせて、勝利の闘争経歴という箔をつけて日本に帰れば、代々木じゃ光った存在になることは請け合いでしょう。彼は、そこんとこを周到に計算してますから、革命が完了するまでは何年でも中国に残って働くつもりですよ。彼にはこういうロマンチシズムがあるんです。革命が完了して、日本に帰ってね、日本と中国の交流の段階になったら、日本から剣持が中国へ行けば、他のどんな日本人同志が渡るよりも中国側から信頼されるはずだという、ね。そうすりゃ、こと中国に関する限り、剣持は日本の第一人者になるわけです。そうでもしなけりゃ、日本で牢屋に入ってた人たちには絶対に頭が上らんわけだから。彼は頭をあげたいんですよ」(第三部12章)という野心を剣持は抱いていた。つまり、剣持は時流に迎合して、栄達のために「共産主義者」になった人物として描かれている。このような剣持に対して千石は、「剣持のような男が、日本人革命家たちを代表し得るということが、納得がゆかないのだ。さまざまなひずみや歪みは、後日訂正されるかもしれなくても、そして千石自身がそのひずみか歪みの一部分であるかもしれないとしても、自分の眼に歪んで見えるもののために打ち負かされることを、容認はできない」(第三部28章)という意識を抱いている。前に引用した石堂清倫氏の「解説」によれば、剣持のモデルとなる人物が実在していた。
剣持のタイプの日本人「共産主義者」がこの小説の中には何人か登場する。剣持とは対照的に専らソ連筋に取り入っている立花女史もその一人だし、白禄寿の件で千石を厳しく論難した組合の支部長の柏木もそうだ。柏木と剣持は繋がっており、「君のところにいる千石な、あれぐらいを料理できなきゃ、君はまだまだ地区委員になる資格なしだ」という剣持の言葉を柏木は思い浮かべて千石を論難したのだ。柏木は敗戦までは大会社の平社員で、戦後、組合の活動家になり、その「でけえツラ」が引き揚げ船のなかで吊し上げられ、縄で縛られ海に入れられそうになって、「赤の仕事はもうしません」と土下座して謝る。内地に帰ってからはアメリカの貿易業の代理店で働くようになる男だ。
引き揚げ船のなかで、柏木と並べられて吊し上げられる野依春江も形の上ではこうした「共産主義者」の部類に入ることになろうが、彼女については少し異なるところがあり、後述する。群衆の前に置かれた木箱の上に立たされた柏木は、「こいつは、商人や俺たち街の人間を目の仇にしやがって、大衆のためだと云っちゃァ、俺たちから金を倦き上げやがった。その金を何に使ったと思う?こいつは馬糧高粱を俺たちに売りつけて、てめえは白米をくいやがった。俺は嘘は云わねえ。この眼で見たんだ!こいつが威張りくさってた支部の事務所じゃ、よく焼餃子の匂いがぷんぷんしていたもんだ」「その金は,誰の物だ?みんな俺たちから倦き上げた金だ!こいつは、幹部は白米を食う資格があるってなツラをしてやがった。そんなのはまだいい方だ。こいつは、俺たちの金で女を作って、そのアマにも白米を食わせやがったんだぞ。俺たちが知らんと思ってたのかよ!こいつの女を引っぱり出せ!」というぐあいに吊し上げられるが、引っぱり出されたのが野依春江だ。「この女だ!よく見ろ!事務所に俺たちが行きゃ、偉そうな口をききやがって。蔭じゃべったり支部長さんにくっつきやがる。何が民主化運動だよ!」春江は売春婦達からも罵られる。「その娘ッ子があたしたちに教育したんだとさ!労働しなさいだと!何だい!口紅なんか塗りやがって、事務所の男をおなかに乗せてさ、口移しにおそわったのが労働なのかい!あたしたちは好きで商売したんじゃないんだよ!」
野依春江は引き揚げる前、父母とともに千石のもとへ挨拶に来たが、「船の中では問題が起こるらしいから、注意しなさいよ」と千石が言ったのに対して、「あたしたちの船は大丈夫よ。柏木さんが団長で乗るんだもの。組織の力が強いから、反動分子なんか手が出せないわ。(略)向うでは、赤旗をまっ先に立てて出迎えてくれるんだってさ!素敵だわ!あたしたち、インターを歌って上陸しようと云ってるのよ。反動のテロなんて、へっちゃらだわ」と言っていたのだ。
この野依春江の場合には栄達のために共産主義を標榜するということ以前の問題が感じられる。彼女は侵略の贖罪として店と財産を中国人に譲った千石を非難し、住宅調整にも反対したのだが、組合の活動家になると、一転して社会主義的言辞を吐くようになる。しかし彼女自身が思想的に変革されたわけではない。ただ組合に入ったことと柏木の存在によって社会主義的文句の受け売りをしているに過ぎない。彼女の千石に対する敵意は一貫しているが、それは千石が常に、心情的なものも含めて、彼女が属する集団の圏外にいる人間だからだ。春江は自分の属する集団に主体性を預け、その圏外にいる人間に対しては理解を拒否し、否定や排除の態度を取る。所属する狭い集団内の価値基準を自分の立場として絶対化し、それ以外の価値観や考え方を拒否するから、独善的で偏狭な態度となる。また、属する集団が変わればその主張も変わることになる。これは戦前の、と言いたいところだが、現在もなお日本人によく見られるタイプだ。五味川は野依春江を否定的に形象化している。本作には作者の日本人論=日本人批判が散見されるが、それが人物として形象化されたのが日本人の一典型とも言える野依春江であろう。
柏木は、「貴様らは、日本民族の団結を図ろうとした同胞有志を摘発して、ロシアと中共に売り渡した。いまもなお、獄中にある同胞がいる。貴様らは、ソヴエートの教育をわれわれ日本人に強制した。われわれを日本に帰さないように、帰りたがる者は反動分子だと宣伝した。貴様は、この船に乗って、どこへ行くか?貴様の祖国は日本ではないぞ。ロシアだろう。それとも延安か。ここから泳いで帰れ!」「海に叩き込め!」と叫ばれてすっかり度を失い、弁解もできず、春江は「柏木と何べん関係したか、云ってみろ!恥かしがる柄かよ!」と迫られて泣き出す。しかし五味川はここで別のタイプの共産主義者を描くことを忘れない。
その男も群衆の前に突き出され、論告ぶりがすっかり板についた軍人上がりらしい男から、「共産主義の宣伝」をした「罪状」の告白を迫られる。男は「罪状はありません」と答える。男は「共産主義の宣伝」をしたこと、そのなかで天皇制に触れ、「天皇は、人民の敵どもの切札だ」と言ったことを認めたが、「頭のまだ固まらない青年たちにそういう思想を吹き込んで、国家観念を誤らせたのが罪ではないと云うのか!」と言われると、「罪とは思いません」と答える。「その男が弱々しそうでいて、存外肚の据った抵抗をしそう」なことに人々が鳴りを鎮めたのを見て、軍人風の論告者は、「問答無用だ!」と叫び、「こういう男が国を滅ぼしたのだ。民族の団結を内部から崩壊させたのだ。こういう男が、敗戦を準備し、赤軍の手引きをし、われわれに汚辱をもたらしたのだ。われわれは、いまや、日本へ帰国しつつある。何のためと思うか?われわれの分に応じて、祖国を再建するためではないのか?祖国の再建にこういう男が必要であるか?われわれは、こういう男を同胞から抹殺しなければ、民族独立の誇りを保つことは不可能である。」と言う。私は現在「自由主義史観」なるものを鼓吹する者の主張に、この論告者の言葉に通い合う響きを感じるのだが、「そのとおり!」「そいつもロスケの犬だよ!」「そいつをシベリヤへ追い返せ!」「日本へ上陸させるな!」という賛同の声が上がる。この男も柏木の二の舞かと思われたとき、「いくらか震えをおびた声で」男がしゃべり始める。「…私はみなさんの手の中にあります。逃げようとも弁解しようとも思いません。しかし、私にも云い分はあります。組合が引揚遂行の必要に迫られてとった行動に、不当な点があったとすれば、明らかに私たち組合員の責任です。私たちの行動に多くの欠点があったことは、いま私たちを責めた人々の言葉によってではなく、さっきは柏木君が、いまは私がこうして立たされていることで、厭でも認めなければならないのです。しかし、二十万人の破綻と犠牲を最小限に食いとめるためには、非常の措置が必要でありました。方法に不備な点が多くあったとしても、十五万人を超える困窮者貧困者を、とにかく日本へ帰る日まで支え得たことで、私たちは同胞のために尽したと考えています」誰かが「云いわけなんぞ聞く必要はねえんだぞ」と叫んで空気を乱そうとしたのに対し、「云いわけではありません」と男はきっぱり言い切る。「…もし私たちが日本人の立場を離れていたとしたら、私たちには何の苦しみもなかったはずです。私たちが日本人を売り渡すことは、あの混乱が起きた当初に、たったひとことで足りたでしょう。日本人を打倒せよ。日本人から奪え。私たちは、無論、そんなことを云うはずもありませんし、中国やソ連の当局も、そんな煽動は誰にも許しませんでした。その結果が、あの街の日本人には一人の虐殺の被害者もなく、救援活動がはじまってからは、一人の餓死者もなく、こうして日本へ帰ることができるようになれたのでした。もう一つ云わせて頂きたいことがあります。今度は私自身のことですけれども、組合の欠陥に関しては、私も分に応じて責めを負う覚悟はつけておりますが、私の思想が悪いと云われても、私は承服できません。私は、この思想を信じ、この思想を持って日本へ帰ります。私たちは、過去に投獄され、将来もまたあるいはそうされるかもしれません。けれども、私はやはりこの思想を捨てません。日本は生れ変りつつあります。形式的にもせよ、言論思想の自由を認める国になっているはずです。ですから、私は、みなさんと全く同じ権利と義務を持った日本人として、日本へ帰って行きます。みなさんは私を海へ叩き込むことはできても、私がいま申し上げた事実を否定することはできません」これは、さわやかな弁舌でもなく、声も慄えていたが、人々を傾聴させ、「幾百とないうなずきと、囁き交す声」を生む。告発側の男が睨み廻しても人々の心に芽生えかけた一種の同感を睨み殺すことはできなかった。人々は一度同情的な気分が伝わり始めると、それまでの狂熱を恥じ始めたようだ。群衆の雰囲気の変化を読み取った軍人風の論告人は、「ようし、貴様は男だ!許してやる」と言う。芝居がかった歯切れよい文句で形勢の悪くなった自分の立場を救ったのだ。そして船艙内の「裁判」も中止となる。名を与えられていない男だが、作者は重い意義を与えて描いている。確かにこうしたタイプの男もいたはずだ。この男の言葉には敗戦した日本が孕む希望も語られている。
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