「自由との契約」論
第1節
1 はじめに
「自由との契約」は「人間の條件」に次ぐ五味川純平の第二作である。この小説は書き下ろしの形で、三一書房から三一新書として刊行された。第一部(一九五八年十一月二十日第一版発行)から第六部(一九六〇年十二月八日第一版発行)まで六冊出ている。「人間の條件」と同じく四百字詰め原稿用紙で三千枚を越える長編だ。
登場人物は主人公の千石研介を始め、名を与えられ、小説展開において何らかの役割を与えられている者だけでも三十人を越える。小説の舞台は旧満洲のC市(モデルは大連市)からF(福岡)、神戸、東京にまたがる。小説の時間は日本が敗戦した昭和二十年の秋から昭和二十三年の夏まで。小説に関係する民族・国家は日本、中国、朝鮮、ソ連、米国の五つだ。スケールの大きな長編小説と言える。
この大部の小説を論じるには、作品に踏み込んでいくルートを予め選定する必要がある。その際、そのルートは作品の主題や内容の中核を明らかにするものでなければならない。そうした観点から私は、この小説の主題を孕む主人公千石研介の生きざま、並びにそれと伴走する形で展開される研介とロシア人女性、ヴェラ・カチャーエワとの恋愛、この二つの軌跡をたどることをルートとして選び、論を進めていこうと思う。
2 「自由」を求めて
この小説の主人公である千石研介の履歴を簡単に紹介しよう。彼は「『日露戦争』の終りごろに渡満し」て、「文字通り裸一貫から巨万の富を作り上げた」千石一平の次男である。一平は雑貨問屋として出発し、のちには燃料、繊維、金物、食糧と手広く進出して、「千石商事」を築き上げ、C市の長者番付では十指のうちに数えられる存在となった。一平の長男、つまり研介の兄が達也で、一平が死ぬと達也が後を継ぐ。達也は「非情な機械のような正確さと逞しさ」で千石商事を更に発展させたが、突然応召し、研介が三代目となる。研介は北満のロシア語の専門学校を卒業して内地の大学に進み、「商業にはあまり必要とも思われない学問を積んだ」が、卒業すると兄の意見に従って専門学校時代の三年間を過ごした北満の街に支店を開いた。達也の応召で、研介は主人として本店に移る。彼には「最も困難な時期を経験しようがために、経営の一切と、兄の若く美しい妻が委ねられ」た。(第一部27章)
以上が敗戦に至るまでの千石研介の履歴だ。小説は敗戦後を内容としているので、以後の研介の行動と思いを辿るなかで小説のテーマについて考えていきたい。
千石(以下、小説の表記に従って研介を千石と記す)が敗戦後先ず行ったことは「千石商事」の解散と、店の経営権と在庫品のほとんどを中国人の宗に譲ることだった。宗は一平の代に茶汲み小僧として雇われ、以来三十年以上にわたって叩きあげてきた男だ。当時店を中国人の名義にするとか中国人に譲るということは、財産を温存するために多くの日本人経営者がしていたことだが、千石の場合はそういう裏のない処置で、本当に宗に譲ったのだ。千石の処置に日本人従業員は反発し、宗も戸惑う。千石は日本人従業員に退職金として相当額の在庫品を現品で与えた。店員達は在庫品は全部日本人の間で分配されると思っていたが、千石は退職金に当てた分以外は店ぐるみ宗に譲り渡した。「どういうお考えなんですか。満人風情にくれてやるというのは」と最古参の野依という男が顔色を変える。野依は最古参だが席順は必ずしも最上位ではなかった。「教育がなかったからそうだったのではなく、手腕があまりなかったからそうなっていたのだが、本人は教育程度が低いからバカにされていると信じていた。」野依の娘の春江は、店で働いていたが、「父親の愚痴ばかり聞かされていたかして、千石を恨みに思っていたらし」く、「社長さん、お聞きしますけど、残った財産を宗さんに譲るというのは、そういう恰好にしないと社長さんの取り分が少なくなるからと思ってらっしゃるんじゃありませんか?」「宗さんの名義にしておいて、あとで適当に処置しようってんじゃないでしょうね?」と突っ掛かってくる。三沢という主任は、「私たちは千石商事のおかげで安穏に暮して来ました。ご恩返しの意味もあるし、また私たちがそうありたいとも希望しているわけですが、いずれは内地へ帰ることになりましょうから、千石商事の財産を分散して、内地へ持って帰ってですね、大阪でなり東京でなり、千石商事を再建するというふうにはお考え願えませんか?」と言う。それらに対して千石は次のように答える。「あんたたちは時の変化を甘く考えているようだ」「千石の財産は、おやじ以下あなた方の努力で出来た。あなた方はそう信じきっている。だけど、絶対にそうは思わない人が何十万もいるんだよ。内地で再建する。そりゃいい考えだ。僕の方からお願いしたいくらいだ。それをするならね、いっぺんゼロに戻って、この土地でやり直して、この土地の承認の上で、はじめて許されることだろうね。そういう承認が与えられるかどうかさえ、いまの僕には疑問なんだ。」「あなた方は不満だろうが、僕は僕流に、誰からも強制されないうちに、僕のできる範囲で民族的な贖罪という意味をはっきりさせておきます。」((第一部28章)ここには敗戦を迎えた千石が、新たにどういう出発をしようとしていたかが示されている。この時期の千石の考えが出ている箇所をさらにいくつか引用しよう。「僕はおやじが裸で渡って来たときと同じ場所に立ってみるよ。全然違った条件の下でね。」「『裸になって、それからこの手で掴むんだ。誰にも文句は云わせないぞってね』/商人らしくないと父からも云われていた千石が、このときは、商人の土性骨を見せてやろうと思ったものだ。誰もまだ経験したことのない新しい社会は、きっと新しい商人を要求するだろう。新しい商人は、古い商人を撲滅してしまったところからは、決して生れないだろう。千石はそう考えたし、そこに生きる途を見出そうとしていたようである。」(第一部27・29章)千石研介は日本の中国侵略を自覚し、侵略民族の一員として、その贖罪を果した上で、商人としての再出発を図ろうとしているのだ。ここで「新しい社会」とは「パール(八路)」の勝利による中国革命が切り開く新社会を意味する。千石は共産主義思想に共感を持ち、中国革命の進展に期待を寄せる人物として描かれている。
千石が次に行ったのは東北民主連軍という革命軍との合作連携である。「千石商事」は解散後、「平安公司」と改名して宗が主人となっていたが、その宗に東北民主連軍の朝鮮人の経済工作隊が合作経営を申し入れてくる。合作すれば店も建物も中国政府機関から接収されず、千石たちも今のまま自由に居住することを保証すると言う。宗は千石に相談し、千石は申し入れを受けるよう宗に勧める。宗はやがて国民党軍がC市に入ってくることを懸念している。革命軍と合作した場合、国民党軍からの報復を恐れているのだ。千石は店を譲ると言われて宗がためらった時と同じように、中共の勝利と蒋介石軍の敗北を説いて宗の決断を促す。合作を勧める千石の気持には、相手が朝鮮人なら日本語が通じるから兄嫁の朋子も不自由しないだろうし、また解放を自ら勝ち取ったわけではない朝鮮人には、ソ連や中共に感じるような絶対的権威を感じなくてすむという心理的打算もあった。
工作隊の責任者は李応万という美青年だった。合作条件の話し合いでは、損益は折半、ポストは経理(社長)が李、副経理が宗となった。千石は李に尋ねられたが、何の役職にも就かず、報酬も要求しなかった。千石の考えは、「僕は彼たちの使用人でもなし、仲間というのでもない。仲間として扱ってもらいたくてもだよ。はっきりしてることは、僕たちはかっても日本人だったし、いまも日本人だってことだ。しかも千石てのは不労所得で栄えた日本人ブルジョアで、人民じゃないと来る。うまく行ってるときはいいが、何か問題が起きたら、連中は必ずそう来るよ」「連中と対等にものを云える根拠は、残念だが、痩せ我慢してビタ一文ももらわないってことしかない、いまのところはね」(第二部12章)ということだった。
合作会社の仕事の手始めは電線の買付けだった。千石は「活発に動いた。活発以上であったかも知れない。」千石は大口の買いは自分のところだけと知っていたから強気で買った。それまで目立った動きのなかった電線に急に相場が出た。日本人ブローカーたちは、「千石て奴は、ありゃ中国人か朝鮮人の走狗に堕落しやがった。なんで日本人を買い叩くような真似をしやがるんだ!」と陰口をたたきながらも、いくらでも買いに出てくる千石には、食っていくために売らずにはいられなかった。日本人ブローカーの言い分はこうだ。「千石さんにかかっちゃ、全くたまりませんよ。われわれの生皮をひん剥くことなんか、平気なんだから。私らはね、千石さん、内地へ帰るまでなんとか生きて行こうとしてるんですよ。この街にあった物資は、みんな日本の物だったんですからね。チャンさんが自前で作った物が一つだってありますか。それをわれわれは、連中に、雀の涙ほどのブローカーレージで取りもっているていたらくでしょう。それだのに、千石さんは、とことんまで私らを買い叩くんだ。一体、そんなにまでして、誰がうまい汁を吸うんですか?中国人やロシア人や朝鮮人でしょうが。日本人がお互いに儲けさせ合って、米の一合も余計に買えるようにしてくれたらどんなもんですかねえ!」千石は別に買い叩いているつもりはなかった。「あなた方が掛値を吹っかけて来るから、僕の方で用心するだけなんだ。あなた方は常習的にノコギリをひくでしょう。それも、どうせ引揚げるまでのことだから、取れるだけ取った方が得だというやり方でね。僕を責めるほどあんたが正しいんなら、正直に倉出し値段を云ってごらんなさい。そうすりゃ、僕の方でブローカーレージをみようじゃないですか」と千石が言うと、相手は間の悪そうな顔をして黙る。実際、たった一度だけだが、正直に倉出し値段を言った上で手数料を要求してきたブローカーには、千石はその人の言い値で買い取った。
千石は何とか値を上げようとする日本人ブローカーに、「考え方の違いですね」とか「商売ですからね」と冷ややかに答えて要求に応じない。しかし、その千石の「気持は必ずしも澄んでいなかった。(略)千石は高く買っても安く買っても、一文にもならないのである。それでは、誰が儲けたのか?革命の利益に奉仕したなどということは、千石の心を少しも慰めはしない。彼は、李でも、誰でも、日本人以外の者にとやかく云わせないようにしているだけである。」しかし、「日本人であることを意識しすぎて、却って日本人にとって不都合な存在になっているのかもしれなかった。」こうして「日本人ブローカーの仲間では、千石の評判は段々悪くなったが、朝鮮人や中国人商人の間では、誠実な日本人商人として好意的な眼で迎えられるようになった。」(第二部13章)
そんな折、千石はC市の資産家の一人である山口の訪問を受ける。山口は彼が計画している事業に千石の参加を求めにきたのだ。日本人は敗戦で貧乏になったとはいえ、なお資産を持っている。しかしC市で居食いを続けていれば、資産を難民救済にかこつけて組合に倦き上げられるか、中国人に吸い取られるだけだ。近い将来、引き揚げがあるとしても、各個に資産を内地に持ち帰ることは覚つかない。そこで、内地に帰還した折には三割なり五割なりの換算率で返済する契約で、有志から金を集めて事業を起こそうというのが山口の計画だった。返済金は、こちらで稼いだ金を貴金属などに替えて仲間が携帯して引き揚げ船で内地へ持ち帰るか、集めた金で内地での換金率のよさそうな品物を選んで買い、それを積んだ船をC市から次々と出し、内地で捌くという密輸出によってつくるという。山口はC市からの出港をC市を管理下におく中共の市政府に認めさせる方策も考えていた。長引く国共内戦で資材が不足する中共は日本から物資を運んでくる船は歓迎するはずであり、C市を出港した船が中共が欲しがるような物資を積んで帰ってくるようにすればよいというのだ。中共に渡りをつけるにはもちろん工作が必要だが、山口には十分に成算があるようだった。
山口がこの計画の一番の障害と考えているのが日本人の労働組合だった。この労働組合はC市に進駐したソ連赤軍当局が、在留日本人の唯一の公共機関として設立を許可したもので、名称は労働組合だが、実質は居留民会のようなものだった。満洲奥地から続々とC市に流入してくる日本人難民、及び難民化するC市自体の下級勤労者達の救済、そしてC市在住の二十万の日本人の渡航帰国の完遂が組合に課せられた責務だった。
この組合は歴史的には大連日本人労働組合として実在した。組合は消費組合を作り、市内二十数ケ所に食糧の分配所や配給所を設け、消費生活を通じて日本人の大部分を組織した。日本人の引き揚げに当たっては全市に引き揚げのための地区協議会を組織し、引き揚げ順位の相談、引き揚げ団の編成などを行った。引き揚げ者は検疫・通関などの手続きのため、一週間前後収容所生活を送らなければならない。引き揚げ船一艘の定員は七、八百名、二十万人を帰還させる間、全員が無収入の収容所生活を繰り返すことになる。その間の生活費用を組合が支弁した。組合は必要な費用を募金によって集める方針を決め、経済力に応じて各人に額を割り当てた。以上は「五味川純平著作集」(三一書房刊、以下「著作集」と略記)第六巻の石堂清倫「解説」による。
組合はC市の資産家に餓死線上にある難民救済のため二千万円の醵金を要求し、赤軍の権威を背景に個々の資産家毎に割り当て額を決めた。千石の割り当て額は三十万だったが、千石はそれを完納していた。山口は四十万だが未納だった。山口は、資産家から金を倦き上げたくてしかたのない組合が、その資産家から金を集めて事業を起こすという計画は容認すまいと考えた。それで組合の心証のよい千石に、この計画を組合に伝え、肚(はら)を打診してくれと頼む。千石は山口の計画に、大衆を利用して私利を図ると同時に、組合を経済的に窒息させようとする意図を感じて、「私は、組合を相手に喧嘩するつもりはないんです」と言い、山口の申し出をきっぱり断った。
一方で革命軍の朝鮮人と合作連携し、他方で自分と同じ階層である日本人資産家の勧誘を断る。ここに敗戦を迎えた千石が商人としてどういう方向に進もうとしていたかが行為として明確に示されている。
その後、千石は白祿寿という朝鮮人と会う。白の仲間が大阪で兄の達也と会ったということが会うきっかけだった。しかし会ってみると達也の件は千石の気を引く材料に過ぎず、達也についての詳しい情報は白は知らなかった。白は千石に会った目的である、自分が考えている仕事のプランについて語る。それは日本人なら誰でも二、三本は持っているネクタイを、衣料品が欠乏している朝鮮で売るという考えだ。千石は白の話を聞いて一つの構想を立てる。日本人組合の支部組織を動かして、一般日本人から商品たり得る衣料品を集荷し、それを白祿寿が朝鮮に運んで売り、朝鮮で食糧を買い付けてくる。日本人出資者には、出資評価額と利益の折半額に等しいだけの食糧を与えるという構想だ。朝鮮では独立を迎えて人々の気持が大きくなり、いい恰好をしたいと思って居るのに、長い間配給で締められていたため衣料品が欠乏しており、一方C市では食糧不足で餓死者が出る状況だった。千石の構想は両民族にプラスとなるものであり、白の話ではC市ではほとんど死物化しているネクタイが、朝鮮では百円にも百五十円にもなるというのだから、千石の胸算用では日本人出資者には出資額の数倍の利益をもたらすはずであった。千石は実行者の白祿寿に対する朝鮮人民主連合会の保証を取り付けた。李応万がその仲介をした。しかし組織の保証では千石は満足せず、最後的には千石と李応万の個人的契約として両者が責任をとることを李に認めさせる。それから千石は日本人労働組合の生産部の責任者である仁礼に会い、計画を説明して承諾を得る。こうして千石の構想は実行に移されることになる。
この計画に関する千石の思いは次のようだ。「私は、ただ、実験してみたかったまでです」「しいて云えば、私にもどの辺までのことができるかということになりますかね。能力を云うのではありません。何かを私がやる、それが私にとってどういうことになるか、知りたいわけです。何をやるにしても情熱の出どころがあるわけですが、それが何によって満されるかと云ってもいいでしょう。営利では通らない時勢になりました。革命とか真理とかに、突然私が眼覚めて行動するんだと云えば、お笑いぐさにしかなりませんね。けれども、私も何かをしないわけには行かない。何かをしているうちには、私も変って行くでしょうから。」「あなた方(組合の活動家である仁礼や志摩ー筆者注)は中国人に対しても、朝鮮人に対しても、同志的な関係を持てるでしょう。その意味では、あなた方は国際人であり得るわけだが、私どもは敗戦国民で、私は侵略の手先を勤めた一族の代表者で、要するに、何処へ行っても、あいつは日本人だ、です。日本人同士の間で云うと、あなた方には錦の御旗…変なたとえですが、あるわけですね。私の方は、私は決して賊軍とは思いませんが、賊軍扱いでしょう…」(第二部22章)「この仕事は、李さん、商売人の私が自分の利益を図ってしたことではないんですからね。日本人の組合が、白祿寿個人を信用してではなしに、朝鮮人民主連合会と同志的に利益を分ち合うというのが、この仕事の骨組みだったのではないですか。」「この仕事は、僕にとっては、自分の将来の立場を賭けるという意味があった。日本人だろうと朝鮮人だろうと、要するに新しい時代の人たちといっしょにやって行けるようにね。」(第二部30章)
千石はこの仕事を契機として自己を変革し、朝鮮人や中国人と真に協働できる立場に自分を置こうとしていたと言える。それは革命権力の施政下にあるC市で、まさに戦後の新しい時代を迎えている商人千石の再生を賭けた「実験」だった。
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