第6節
それでは『人間の條件』の主人公、梶の主体性の検討に入ろう。ここで検討の対象にするのは、梶が軍隊組織の中にいる期間を描いた部分、即ち第三部と第四部だ。
第三部の冒頭、梶が資格がありながら幹部候補生に志願しない理由を准尉から詰問される場面がある。幹候に志願しないのは『真空地帯』の曽田と同じだ。曽田の場合、その理由は明確にされていないが、梶の場合は打てば響くように五つの理由が並べられる。もちろん表だって口に出せることではなく、内心の本音としてだが。梶の主体性の有り様がよくわかるので引用する。「第一に、俺は老虎嶺の二の舞をやりたくはないのだ。老虎嶺での俺の立場こそは、完全に下級将校ではなかったか。第二に、俺は軍人が嫌いなんだ。将校という奴が一番嫌いなんだ。殺人命令の伝達機関に過ぎない月給取がだ。第三に、俺は帰りたいんだ。帰って俺自身の意志で生活したいんだ。第四に俺は仕事をしたいんだ。はじめからやり直して、やり抜いてみたいんだ。俺は憲兵隊でぶちのめされたが、それほど立派な仕事をしたわけじゃない。それを、今度こそは立派にやり了せたいんだ。第五に俺を要求しているのは軍隊じゃなくて、美千子なんだ。おわかりですか、日野准尉殿。俺はあんたの前では単なる一個の二等兵だ。(略)しかし美千子にとっては、お互いにかけ替えのない人間なんだ。」。(老虎嶺は梶が入隊前に働いていた鉱山のある場所。そこで梶は労務係をしていたが、監督下の中国人労務者の逃亡未遂事件が起き、憲兵隊によって中国人の斬首刑が行われた。)
この五つと重なる部分もあるが、以下、既述の四作品には見られない主人公梶と作品の特徴を挙げていこうと思う。
先ず第一に妻美千子の存在が挙げられるだろう。既述の作品には主人公の妻は出てこない。妻という限定を外せば、主人公と交渉をもつ女性として、木谷に対する花枝、曽田に対する時子、村上兵曹と一夜を過ごす片耳の娼妓などがいるが、それらの女性と美千子との間には、作品における役割、主人公との繋がり方において大きな相違がある。美千子は梶にとって例えば次のような存在だ。「梶は、この寒夜のきびしさを、美千子に書いてやろうと思った。随分古兵に殴られて、またその上をこの北風に斬りつけられているけれども、彼の心の中はまだ温かい。決して冷凍してはいない。生命の灯がともり続けて、愛することを求めている。美千子はそれを僅か数行の文面から感じとるだろう。そして、美千子もまた、生命の灯を高く掲げて、遠く、こちらへ合図を送ってくれるだろう」。
二人の繋がりは戦後派の作品で描かれる男女関係のように性欲処理を主とするものではなく、性愛を含めて全人格的な結合だ。この美千子との生きる喜びに満ちた平和な生活を妨げ、中断させ、二人を引裂いて、梶を死地に追いやったものこそが戦争であり、軍隊なのだ。この作品には戦争・軍隊に対する批判が貫かれているが、その根底にはこの二人の愛情がある。梶の心の中には美千子が棲んでおり、梶は決断に迷う時など、心の中で美千子に語りかける。「梶は真っ暗な虚空に、愛した女を見つめようとした。美千子よ、黒い怖ろしい夜だ。俺はいま、せせらぎのきわに立っている。答えてくれ。お前は俺にどう生きて欲しかったか? ここまで勝手に生きてきて、いまさらお前に答を求める、その無責任さを許してくれ。どう生きるべきであったか? 俺は戦うだろうか? 俺とお前は何を求めて生きたのだろうか? 」というように。
美千子への愛は当然性に関して梶を倫理的にする。例えば、動哨の途中、相棒の平田という兵長が、「アクを抜く」と称して満人の部落に女を犯しに行くのを容認した自分を、梶は次のように悔やむ。「平田を制めなかったことがしきりに悔まれた。自分が銃の威光を借りて部落の女を犯したような後味の悪さがあった。なんらかの程度には梶自身も共犯なのである。もしこんな話を美千子に聞かせたら、待ち焦れていた男の意外な不潔さに愛想が尽きるかもしれない。美千子は梶が魂の清潔さと正しさを守るためにこそ、軍隊の異常な苦しみの中に闘っていると信じているだろうから。そう、あの窓辺で、暁の光の中に全裸の肉体を惜しみなく与えたのは、こういう不潔さを許すためではなかったのだ」。
美千子のような主人公と内面的に繋がった他者の存在は戦後派の作品には見られない特徴だ。戦後派の作品の主人公達は皆内面的に孤立している。梶は美千子に限らず、他者に対して自分の本心を語ることを避けない。その結果、対立が生まれることもあるし、味方ができることもある。それが梶をめぐる人間関係を、人間の意思の通った有機的なものにしている。
第二の特徴は、作品全体として軍隊以前の生活に大きな比重が置かれていることだ。梶についてはそれは、第一の点とも関連して、中断された美千子との生活を早く復活させたいという希求として表れている。 例えば、「隊伍の中で、若い山口二等兵が云った。 『部隊長殿は梶の名前を憶えるだろうな』 憶えてくれないでいいから、早く俺を帰してくれ! 梶は瞬間、切なく燃えるような眸を宙に迷わせて、千五百キロの彼方を思った。そこには、まだ、生活と呼ぶものがあった。そこにはそこなりの、息づまる悩みと苦しみと迫害さえもありはしたけれども、人間が自分の意志で生きる試みをする場所があった」。
こうした入隊以前の生活に対する意欲と希求の強さは、戦後派の作品には見られないものだ。そもそもそれらの作品では主人公の入隊以前の生活自体がほとんど書かれていない。
『人間の條件』では主人公以外の人物についても入隊前の生活がしっかり書きこまれている。
小原二等兵は地方新聞の記者をしていて、映画や芝居の批評記事を書いていた男だが、折り合いの悪い妻と老母を残して召集された。彼が不在の家では妻が家を出ようとしており、小原は老母の行く末が心配で、安心して死ねない思いをしている。彼は小原の家にいなければならない人間だったのだ。小原は内務班の生活でも練兵でも失敗を続け、検閲の行軍でも脱落し、その度に古年兵から手ひどい制裁を受け、家庭問題の煩悶もあって遂に自殺してしまう。
田ノ上二等兵は満蒙開拓団の一員として内地から出てきた農民だ。荒地を
二人の兵士の例を上げたが、他の兵士達についても精粗の別はあるが、入隊前の生活が書きこまれている。これはこの小説が長編小説であるためと解するよりは、作者の方法として促えるべきだろう。五味川は軍隊を一般社会と断絶した特異な閉塞社会として描こうとはしていない。それがどんなに特殊でも、外界との連関の中にあるものとして描いている。『真空地帯』との違いだ。入隊前の生活が叙述されることで、その人物に存在感が加わるとともに、日本という社会の有り様も見え、その生活を中断させ、奪ったものとしての戦争・軍隊がより深部から批判されるという構造になっている。
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