第5節


 次に大岡昇平の『俘虜記』『野火』を検討してみよう。先ず、『俘虜記』から始めると、この作品の主人公は「私」だ。この「私」は「大岡」と呼ばれており、作者自身と重なる部分が多いと思われる。「私」の主体性は次のような叙述に端的に表れている。

 「私はすでに日本の勝利を信じていなかった。私は祖国をこんな絶望的な戦いに引きずりこんだ軍部をにくんでいたが、私がこれまで彼らを阻止すべく何事も賭さなかった以上、彼らによって与えられた運命に抗議する権利はないと思われた」「未来には死があるばかりであるが、われわれがそれについて表象し得るものは完全な虚無であり、そこに移るのも、今私がいやおうなく輸送船に乗せられたと同じ推移をもってすることができるならば、私に何の思いわずらうことがあろう。私はくりかえしこう自分に言いきかせた。しかし死の観念はたえず戻って、生活のあらゆる瞬間に私をおそった。私はついにいかにも死とは何者でもない、ただ確実な死をひかえて今私が生きている、それが問題なのだということを了解した」、さらに「米軍がかくも優勢である以上、僚友はいずれ死なねばならぬ。そして私も。〔傍点、作者〕 この考えが依然として私の万能の口実であった」。

 「私」はこのように諦念を抱いて死と直面し、死を覚悟している。しかし生きたいという欲望は消えていない。実際「私」は、「こんな戦場で死んじゃつまらない」と考えるのだ。だが彼はその欲望を正面から追求しない。自分が遠からず死ぬことを「口実」にする形で生き延びようとする。「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」という日本軍の教育が、部隊が壊滅して一人で草原を彷徨する兵士から、生の欲望を追求する自由をなお奪っていたとも言えるだろう。この「戦陣訓」が強要する日本軍兵士としての規範と、実際に主人公を衝き動かしている生の欲望との葛藤が、自殺に失敗する場面にも窺われる。それは作者も考察している通りで、手榴弾によろうと銃によろうと、もう一歩というところで行為を止まっているところに表れている。

 ただし「私」は、日本軍兵士としての規範意識の抑圧によって、自己の生の欲望に気づいていない、あるいはそれを意識表層から無意識に排除しているように思われる。それは「私」が遭遇した米兵を射たなかった理由をあれこれ考察する部分に表れている。そこでは「人間の血に対する嫌悪」や、若い米兵に対する「父親の感情」などがその理由として詳述されているが、「私」が置かれている状況を考えればすぐ思い浮かぶことは、米兵を射てば自分が殺されるということだ。銃声は敵兵を「私」の前に引き寄せることになるだろうし、そこに戦友の死体を見つけた米兵達は「私」を捕虜とはせず、射殺するだろう。つまり「私」は自分が生きたいために米兵を殺さなかったのだ。それが最も主要な理由と思われるのに、考察のなかでは、「もし私が戦闘意識にもえた精兵であったとして、はたしてこの優勢な相手(私の認知しただけでも一対三である)を射とうとしたであろうか。〔傍点作者〕 この瞬間の米兵の映像から私の記憶に残った一種の『きびしさ』は、私の抑制が私の心から出たものではなく、その対象の結果であった証拠のように思われる。それは私を押しつぶそうとする厖大な暴力の一端であり、対するにきわめて慎重を要する相手であった。このときの私の抑制がたんなる逡巡にすぎなかったのではないかと私は疑っている」と、かなりぼかした表現で記述されているに過ぎない。八千字近い考察のなかでこれだけでは付け足しでしかない。こうした叙述が作者の自己美化の意図によるものではなく、主人公の「私」の意識状況の表現とするならば、「私」が自らの生の欲望に無自覚だった証左となろう。

 以上のように、『俘虜記』の主人公の主体性の状況は、自分を死へ追い込んでいく戦争や軍隊というものを、それまでの自己の無抵抗の報いという諦念によって受入れ、それに対する批判や抵抗を放棄し、死に直面して生の欲望は抑圧され、潜在させられているということができる。

 「野火」に移ろう。

 主人公は精神病院に入院中で、この作品は医師の勧めによって書き始められた手記という設定になっており、『俘虜記』よりも虚構性は強い。表現もより修辞的になっている印象を与える。

 主人公の田村一等兵は肺病を患っており、所属部隊からは、「お前みてえな肺病やみを、飼っとく余裕はねえ」と「病院」へ追放された兵士だ。「敗北した軍隊から弾じき出された不要物」なのだ。「病院」も食料を持たない兵士は入れてくれず、行き場のない田村のような兵士達は民家を接収した「病院」の前に座りこんでいた。

 田村は「戦うために海を越えて運ばれながら」、「少しも戦う意志がない」兵士だ。ここには厭戦気分が出ているが、この気分のその後の展開はない。彼の前途に常に死があるのは『俘虜記』の主人公と同様だ。

 「病院」が砲撃されて炎上し、田村の彷徨が始まる。彷徨を始めて十日ほど経った頃、芋や豆が生える畠のある山中の「楽園」にいた田村は、見渡す景色のなかに見える十字架に引かれて山を降り、教会に向かう。辿り着いた教会で田村が眠っていると、フィリピン人の若い男女が入ってくる。田村が姿をあらわすと、突然現れた日本兵を見て女が叫び声を上げ、田村は女を射殺してしまう。男は逃げた。 

 この事件に対する田村の反応に彼の人間性が覗かれる。田村は当初、悲しみを感じながらも、戦場における偶然の事故だとこの事件を考える。しかし、その後、米軍への投降を決意した彼の視界に、フィリピン人の女ゲリラ兵士が現れた時、この事件は彼の心に甦る。「私は忘れていた。私は一人の無辜の人を殺した身体であった。(略)私はたとえ助かっても、私にはあの世界で生きることは禁じられていたはずであった。の状況も行為も私には禁じられていた。私自身のの行為によって、一つの生命の生きるを奪った私にとって、今後私の生活はすべて必然の上に立たねばならないはずであった。そして私にとって、その必然とは死へ向っての生活でなければならなかった。〔傍点作者〕」。こう考えた田村は投降をやめる。ここには良心の呵責があり、田村の人間らしさが示されている。    

 次にこの物語の重要な内容である人肉食に対する田村の対応を見てみよう。該当箇所を引くと、「(人肉食という行為に対して)私が憶えているのは、私が躊躇し、延期したことだけである。」「その時(屍体の肉を切り取ろうとした時)変なことが起った。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである。この奇妙な運動は、以来私の左手の習慣と化している。私が食べてはいけないものを食べたいと思うと、その食物が目の前に出される前から、私の左手は自然に動いて、私の匙を持つ方の手、つまり右手の手首を、上から握るのである。」「まだあたたかい桜色の肉を前に、私はただ吐いていた。空の胃から黄色い液だけが出た」「私は怒りを感じた。もし人間がその飢えの果てに、互いに食い合うのが必然であるならば、この世は神の怒りの跡に過ぎない。そしてもし、この時、私が吐き怒ることができるとすれば、私はもう人間ではない。天使である。私は神の怒りを代行しなければならぬ」。ここにも田村の良心が出ている。彼は人肉は食べなかった。彼は人肉食を行っていた永松という兵隊を射殺した。

 田村はインテリのようであるが、どういう過去をもった人物なのかははっきりしない。女達との交渉や少年時を回想する部分があるが抽象的だ。彼は少年時、キリスト教を信じていた人物と設定されている。これは小説の展開に必要な設定だ。

 田村は人間としての良心は失っていないが、その良心を傷つける戦争に対する批判は見られない。これは『俘虜記』の主人公と同様だ。

 田村が「不要物」として部隊から捨てられた状況や、登場する安田、永松、伍長などの日本兵の人間的荒廃の描写に、作者の戦争や軍隊への批判が出ている。それは『俘虜記』よりも前進している。人肉食という題材が戦争への批判になっているのはもちろんだ。

 梅崎春生の『桜島』に移ろう。

 主人公は海軍の村上兵曹だ。彼の主体の状況は次のような叙述に表れている。

 「確かに、私は苛立っている。連日の睡眠不足のせいもあった。が、それだけではなかった。一言で言えば、私は、私の宿命が信じ切れなかったのだ。何故私が、小学校の地理では習ったけれども、訪れる用事があろうとも思えなかった此の南の島にやって来て、そして此処で滅亡しなければならないのか。この事が私に合点が行かなかったのだ。合点が行かなかったというより、納得しようと思わなかったのだ。納得出来るわけのものでなかった。」。

 「私の兄は、陸軍で、比島にいる。おそらくは、生きて居まい。弟はすでに、蒙古で戦死した。俄かに荒々しいものが、疾風のように私の心を満した。此のような犠牲を払って、日本という国が一体何をなしとげたのだろう。徒労と言うにはーもしこれが徒労であるならば、私は誰にむかって怒りの叫びをあげたら良いのか? 」。

 「死ぬのは恐くない。いや、恐くないことはない。はっきりと言えば、死ぬことは、いやだ。しかし、どの道死ななければならぬなら、私は納得して死にたいのだ。ーこのまま此の島で、此処にいる虫のような男達と一緒に、捨てられた猫のように死んで行く、それではあまりにも惨めではないか。」。

 死に直面しているのは『俘虜記』『野火』の主人公と同じだが、この主人公にはその運命の不条理を告発するところがあるのが違っている。しかし、その不条理の告発は、例えば、「不当に取扱われていると言う反発が、寝覚めのなまなましい気持を荒々しくゆすっていた。私はひとりで腹を立てていた。誰に、と言うことはなかった。(略)私を此のような破目に追いこんだ何者かに、私は烈しい怒りを感じた。突然するどい哀感が、胸に湧き上った。何もかも、徒労ではないか。」というように、彼を「不思議な悲哀感」に導き、「言葉以前の悲しみを、私は誰かに知って貰いたかったのだ。(このことが、感傷の業と呼ばれようとも、その間だけでも救われるならそれでいいではないか)」という刹那的な感情に流れ込んでしまう。従って、彼に不条理な死を強要する戦争に対する具体的な批判や考察は見られない。

 途中に、「私は海軍に入って初めて、情緒というものを持たない人間を見つけて、ほんとに驚きましたよ。情緒、と言うものを持たない。彼等は、自分では人間だと思っている。人間ではないですね。何か、人間が内部に持っていなくてはならないもの、それが海軍生活をしているうち、すっかり退化してしまって、蟻かなにか、そんな意志もない情緒もない動物みたいになっているのですよ」という軍隊批判や、「特攻隊、あれはひどいですね(略)木曽義仲、あれが牛に松明つけて敵陣に放したでしょう。あの牛、特攻隊があれですね。それを思うと、私はほんとうに特攻隊の若者が可哀そうですよ。何にも知らずに死んでいくー」という人間の生命を爆弾と同一視する特攻戦術への批判がある。いずれも主人公の言葉ではなく、主人公と会話を交す見張所の男の言葉だが。軍隊が人格を歪にする問題については、吉良兵曹長がその例として描かれている。作品中に見られる状況に対する具体的批判はそれくらいに止まる。 

 この作者には『桜島』の一年後に書かれた『日の果て』という小説がある。この作品の主人公の宇治中尉は、任務に便乗して全滅間近な部隊から脱走する。敵前逃亡の重罪だが、生きたいという欲望を、現実の行動で実現しようとするところが、『桜島』の村上兵曹よりも意志的だ。村上兵曹は自己の運命の不条理に苛立ちながら、具体的行動としては何もしない。

 以上、戦後派と呼ばれる作家の戦争・軍隊に材を取った作品を検討してきたが、主人公達の主体性の状況で共通していることは、戦争に対する批判、抵抗の精神が脱落していることだ。これは軍国主義ファシズムが、作家主体も含めて、いかに国民の主体的な自由を奪っていたかの証でもある。


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