第4節
私はこの作品を、野間宏『真空地帯』、大岡昇平『俘虜記』『野火』、梅崎春生『桜島』など、戦争・軍隊を描いた小説として戦後文学史に名高い作品と比較した。そして野間ら戦後派と呼ばれる作家達の作品が、「概してスタティックな小世界における個人の心理を叙述しており、その心理は虚無意識や諦観などによって特殊に限定された思念の枠の中に閉ざされている。社会的な広がりや人間相互の有機的なダイナミズムに欠けていた」、さらに「戦後派の作品では、主人公や登場人物が、表れ方には違いがあっても、戦争や軍隊組織という巨悪の前に、既に抵抗精神を失って一種の諦念の内にいるため、この作品(『人間の條件』)のようなリアルな描出や告発ができないのだ」と書いた。そして『人間の條件』については、「梶という主人公の内面の苦悩をリアルに描写しながらも、それが閉塞状況に陥らず、彼を取り巻く社会的な諸状況、人間関係と有機的に連結されている」、「この主人公のような意志的な主人公は日本文学のなかでは珍しいのではないか。しかもその意志の方向が近代的ヒューマニズムにあるという例は。」、「思念の中ではなく、それを阻む社会的現実に向き合っての実際行動において人間的であろうとする主人公というのも、これまた日本文学のなかでは稀有な例だと思われる」と書いた。
その後、五味川が関東軍体験を『人間の條件』より虚構を少なくして書いたと思われる『虚構の大義ー関東軍私記』を読んでいて、五味川文学においては主人公の意志性、主体性の強さが際立つという印象を改めて抱いた。そこで『人間の條件』の主人公梶と、前記の戦後派の諸作の主人公の主体性の状況を、叙述に即して検討、比較してみようと思い立った。
先ず、野間宏の『真空地帯』から始めよう。
『真空地帯』の主人公は木谷上等兵だ。彼は落ちていた上級者の金入れを拾って、出来心でそれを着服したのだが、軍法会議の過程で、遊興費を得るために計画的に金入れを盗んだとされ、さらに軍の機密の漏洩、反軍思想を断罪され、陸軍刑務所に二年間服役した後、所属中隊に帰ってくる。ここでこの物語の骨格をなす木谷の事件の概要を記しておこう。
木谷は衛兵勤務中に金入れを拾った。中身は五十四円五十七銭と市電の切符、映画の優待券だった。木谷は届けようと思ったが、すぐその金が欲しくなり、金を取って、金入れは小川に捨てた。その金入れは衛兵の巡察に来ていた林中尉のものだった。林中尉はその時腹痛のため、近くの便所にいた。上衣を脱ぎ、便所の目隠し板に掛けていた。金入れがないことに気付いた林中尉は、兵隊を動員して一帯を捜させ、さらに兵士一人一人の身体検査、持物検査をして、遂に木谷の背曩の木枠から五十円を見付けだした。木谷は白状したが、林中尉は落ちていたのを拾ったというのは嘘で、上衣の内ポケットから取ったのだろうと言い出した。中隊の隊長、准尉は木谷を叱り付け、素直に白状するよう促したが、木谷は事実を述べるほかはなかった。中隊長としては事を表沙汰にせず、木谷の処置を中隊に任せてもらいたかったのだが、林中尉は巡察将校の立場として自分が十分に取調べてからと、その頼みを拒絶する。
翌日、部隊の経理室に勤務する金子伍長が木谷を訪ねて来る。彼は木谷に、どうして林中尉などに関わったのか、金がほしかったらなぜ俺のとこに言うてこんのかと言う。そして上司の中堀中尉も心配しており、自分から中堀中尉に話して、中堀中尉の力で事件が内輪で済むようにしてもらってやると言う。金子伍長は曹長室に監禁されている木谷に甘味品や熱いお茶も与える。翌々日には中堀中尉自身が金子伍長を伴って来て、経理室は規定の上では木谷の行動に何の責任もないが、以前経理室に勤めていた木谷を放っておけないと言い、さらに林中尉が経理室について何か言っていなかったかと尋ねる。中堀中尉や金子伍長は木谷の事件が表沙汰になって、経理室の不正が明るみに出ることを恐れて動いているのだが、木谷はそれが見抜けず、彼等の来訪を意外に思いながらも感謝の気持を抱く。
一方、林中尉は中堀中尉が動きだしたことを知って態度を硬化させた。林中尉も元経理委員として経理室に勤めていたのだが、中堀中尉らの中心勢力と対立し、経理委員を追われた経緯があるのだ。林中尉は事件の早期の収拾を図る中堀中尉の意図を見抜き、この事件を中堀中尉への仕返しに使おうと考える。彼はあくまで木谷が計画的に金入れを盗んだと主張し、遂に木谷を軍法会議にかけた。
木谷は軍法会議でも落ちていた金入れを拾ったと主張したが、取調べに当った岡本検察官は木谷の言い分を一切認めず、林中尉の主張を認めるよう促すばかりだった。木谷は林中尉が信用できない人物であることを言おうとして、彼が経理委員をしていた頃、物資の外部持ち出しなど、不正行為を行っていたことを話す。検察官は上官に対して兵隊が言うべきことではないと取り合わず、逆にそんなことを口にする木谷には反軍思想があるとし、その証拠として木谷の手帳と通信紙綴を出してきた。そこには、「穴だらけの蓮根野郎」「気狂いはよう死にやがれ」「家は新築、妾は五人、兵隊商売やめられない」など、隊長や林中尉、中堀中尉、その他の上官に対する悪口が書きつけてあった。しかしそれくらいのことは一般の兵士も陰で言っていることだった。検察官はさらに木谷が遊廓の女、花枝に出した検閲を経ていない手紙類を示して、その中に軍の機密に触れることが書いてあると断じた。その上、花枝が「もうお前とは縁切れするといっている」「いまではもうひどく後悔してお前という人間がおそろしくなったというておる」と木谷に告げ、花枝に恋着している木谷の心を挫く。検察官はこうして木谷を追い込み、金入れを盗んだことを認めさせようとしたが、木谷がそれに従わず、経理室全体の不正に言及すると、罪状を認めない限り、聴書も取れず、公判も開けず、放っておくほかはないと突き放す。一日中正座して、眉も動かすことのできない独居房での監禁生活に心身共に衰弱していた木谷には、もう検察官に抗う力は残されていなかった。早く既決囚になって作業をさせられる方がよいという心理で木谷は検察官の言う罪状を認める。公判が開かれ、裁判長は反軍思想の持主等と言う検察官の論告をそのまま採用し、被告には改悛の態度が全く見られず、情状酌量の余地はないとして二年三カ月という懲役刑を決定した。
しかし軍法会議の裏側でも中堀中尉らの揉消し工作は行われていた。部隊経理室を中心とする不正問題が明るみに出れば、師団にも波及する恐れがあると、それは副官や連隊長も動かし、師団法務部にまで及んでいたのだ。最初は木谷を不起訴処分にして事件を簡単に処理する方針だったが、岡本検察官はそのために必要な林中尉の同意と木谷の改悛のどちらも得ることができず、さらに木谷が経理室全般の不正を指摘する態度に出たので、彼を重罰に処する以外に方法がなくなったのだ。
木谷が林中尉の金を盗んだ動機は登楼代欲しさだった。木谷は娼妓の花枝に馴染み、外出日毎に登楼していたので金がなくなり、同輩から借金もしていた。経理室に勤務していた頃は物資を持出して金に換えたりしていたのでそれほど困らなかったのだ。木谷は検察官に、自分も悪いことをしていたが林中尉はもっと悪いことをしており、その他の上官達も同様の不正行為をしていたと述べようとしたのだ。
経理室は部隊で必要とする物資の購入、分配を担当しており、それを通じて各中隊に睨みをきかせることができた。中堀中尉、下瀬中尉ら経理室の幹部は、部隊長や副官、大隊長、高級軍医などの家に米・炭・薪・酒などを運んで自らの保身を図るとともに、出入りする御用商人と癒着して私腹も肥やしていた。下瀬中尉は大きな家を新築し、その家に御用商人たちが家具や什物、薪、炭などを公然と運びこむのを木谷は見ている。
以上が木谷の事件の概要だ。
窃盗で二年の刑務所入りは不相応な重刑だ。木谷は林中尉や岡本検察官に対する復讐心に燃えて帰隊してくる。帰隊の時点では、木谷は中堀中尉や金子軍曹(伍長から昇進)に対して自分を助けようとしてくれた人間として好意を抱いていた。しかし木谷の復讐心を知った金子軍曹が、木谷を除こうとして野戦行きの人選に木谷を加えるよう准尉に要求したことや、木谷を罪に陥れるために軍法会議の背後で動いていた中堀中尉たちの画策をやがて知らされることになる。
作者は木谷の事件を設定することで軍隊という組織の腐敗・不正を描き、それによって軍隊を批判しようとしている。それがこの作品の方法だ。しかしこのような腐敗や不正は軍隊に限らず見られることで、軍隊そのものを正面から批判するという点では弱いのではないか。
木谷はこうして設定された事件の必須の要素として創造されたキャラクターだ。だからその枠組みから切り離して木谷を論じることにはあまり意味がない。ただ主人公の主体性の状況を検討するという本稿の目的に限って言えば、作者が木谷に付与した主体性は復讐心だ。その復讐心はあくまで私怨に立つもので、軍隊や戦争の批判に向かうものではない。木谷は再会した林中尉を、「わかるかいよ。俺が監獄で殺したろおもてたことがわかるかいよ。え、分かるかー、こら、俺は毎日、お前を殺したろおもて布団の中で考えて、ねたんやぞ」と言いながら殴る。ここには木谷の主体の状況がよく出ている。木谷が初年兵に、「お前、軍隊がいややろが」と言う場面があるが、彼はその他には戦争や軍隊をそれとして批判する言葉を口にしない。木谷が呪うのは専ら林中尉であり、岡本検察官であり、花枝だ。 『真空地帯』にはもう一人、副主人公的な人物が存在する。それは曽田一等兵だ。この人物は狂言回し的な役割もしている。曽田は大学を出て教員となり、歴史学と経済学を勉強してきたインテリだ。三年兵だが、階級は一等兵。外地に出た経験もある。幹部候補生になる資格はあるが志願せず、軍隊で昇進する気はない。「共産党宣言」の文言を知っており、学生時代は左翼的な思想を抱いていたらしいことが推測される人物だ。
曽田の軍隊観は次のようだ。「兵営ハ條文ト柵ニトリマカレタ一丁四方ノ空間ニシテ、強力ナ圧力ニヨリツクラレタ抽象的社会デアル。人間ハコノナカニアツテ人間ノ要素ヲ取リ去ラレテ兵隊ニナル たしかに兵営には空気がないのだ。それは強力な力によってとりさられている。いやそれは真空管というよりも、むしろ真空管をこさえあげるところだ。真空地帯だ。ひとはそのなかで、ある一定の自然と社会とをうばいとられて、ついには兵隊になる」というものだ。この部分が小説の題名の由来だが、曽田は個人としての具体的、人間的要素を剥奪してしまう場所として軍隊を批判的に見ている。しかしその批判は表面的な言動としては表れない。幹候を志願せず、万年一等兵でいること、初年兵を殴ることを下士官から強要されても殴らないことくらいが彼のせめてもの抵抗のようだ。曽田の木谷への関心はそこに生まれる。
曽田は木谷の事件を調べて、彼が反軍思想の持主として断罪されていることを知る。また木谷の事件が木谷の罪というより、軍隊内の腐敗を真の原因とするものであり、木谷は復讐心を抱いて帰隊したことも理解する。そして、曽田の気持ちの中に、木谷こそ「真空地帯」を打ちこわしてくれる存在だという期待が生まれる。それは例えば次のように叙述される。「このような人工的な抽象的な社会を破壊するにはどういう方法があるかと考えて行ったとき、彼の頭にはっきり浮かび上がってくるのはやはり木谷一等兵のことであった」「『真空管』のおおいを破るということ、のこっていることといえばただそれだけのことである。それ以外のあらゆることは、いかなることであろうと何等その真空管の内部に変化をもたらすなどということはない…。そう考えるときまた曽田の前に、つきすすみ、せまってくるのは木谷の顔、その存在だ」。
曽田はこうした期待に基づく関心と好意で、林中尉に関する情報や、野戦行きの人選に木谷を加えるよう金子軍曹が要求していることなどを木谷に伝える。しかし一方で彼は、他の兵士と同じように「監獄がえり」の、つまり秩序をはみ出した者としての木谷を恐れている。自分の中にあるその意識を、曽田は木谷に殴られた後自覚する。
曽田の主体性の状況は、軍隊に批判的な考えは抱きながらも、不可抗力的なものとして自らは積極的な行動に出ず、その思いの幾許かの実現を木谷の行動力に託すという消極的、受動的なものと言い得る。その木谷は確かに上官に逆らい、脱走を図るという行動力を示すが、結局は失敗して戦地に送られるという結末を迎える。木谷の主体性については前述した通りだ。
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