人狼迷宮
八百十三
人狼迷宮
目が覚めたら、そこはコンクリート打ちっぱなしの殺風景な室内だった。
「……え?」
俺、タケルは状況を飲み込むのにしばらく時間をかける。
まず、俺は家に帰っている途中だったはずだ。こんな室内に覚えはない。
それにスーツを着ていたはずなのに、何故かいつの間にかスウェット上下に着替えさせられている。
ポケットに手を突っ込むが、何も入っていない。財布もスマホも時計もない。
「え、どこだ、ここ」
俺の口から飛び出したのは、気の抜けるようなそんな言葉だった。と、その時。
『目覚めましたか?』
「誰だ!?」
突然耳元でした誰かの声に、俺は小さく跳び上がった。耳元に手をやれば、そこに小型のワイヤレスイヤホンが入っているのが分かる。
俺の質問には答えることなく、男性とも女性とも付かない声は一方的に告げてくる。
『これより、皆さんにはあるゲームに参加していただきます』
「ゲーム?」
唐突に告げられた「ゲーム」という言葉。訳が分からない。そしてその状況に困惑しているのは他にもいた。イヤホンから複数人の男女の声が聞こえてくる。
『何だよゲームって!』
『ここから出しなさいよ!』
やいのやいのと騒ぐ他の参加者。それらの声にも一切耳を傾けず、謎の人物は話を続けた。
『皆さんは迷宮の中にいます。道具は一切ありません。
「生きて!?」
生きて、というところが妙に強調された発言。そのことに驚いたのは俺だけではなかったようだ。イヤホンから男性の恫喝する声が聞こえてくる。
『おい何だよ、死ぬことがあるのかよ!?』
『嘘でしょ……やだぁ……』
ほぼ同時に、泣きそうな女性の声が聞こえてきた。そしてこのゲームがデスゲームであることを裏付けるように、説明役の声が聞こえてくる。
『迷宮の中には、人喰いの人狼が徘徊しています。人狼に遭遇したら、喰われて死亡、ゲームオーバーです』
人狼という言葉に俺はますます震え上がる。喰われて死ぬだなんて冗談じゃない。他の参加者達もすくみあがっているようだ。
『人狼……!?』
『嘘、そんなバケモノが……』
男性の声と女性の声が、息を呑む音と共に聞こえる。先の見えない迷宮の中で、人間を食らう化け物と一緒だなんて、なんて悪趣味なゲームだ。と、一人の中年男性らしき声が声を荒げた。
『おいふざけるな! こんなゲームが許されると』
『皆さんの健闘に期待します』
『あっ、おい!?』
だが、無情にも声はぷつりと途切れる。怒りの矛先をなくした男性は、イライラした様子でこちらに声を届けてきた。
『くそっ、おい、他の参加者に声は聞こえているのか!?』
「き、聞こえてるぞ!」
『こ聞こえています!』
他の面々からも声がする。短く自己紹介をしあった結果、以下のことが分かった。
全員、仕事帰りや学校帰りに何者かによって連れてこられたこと。
所持品を一切失って、同じワイヤレスイヤホンを装着させられているということ。
マサオ、アキラ、リサ、コウジ、ハナコ、マチ、そして俺、タケル。以上の七名が参加者ということ。
状況が整理できたところで、マサオが声を上げる。
『よし、まずは――な、何だ!?』
『マサオさん?』
だが、唐突にマサオが声を上げた。コウジが呼びかけるも返事はない。それどころか、重いものを押し倒すような音が聞こえてきた。次の瞬間。
『やめろっ……うわぁぁぁぁ!?』
マサオの絶叫が響き渡る。同時に硬いものが砕ける音が全員に聞こえた。
「マサオさん!?」
『どうしたんですか!?』
俺も他の面々も必死でマサオに声をかける。返事がないどころか、柔らかい肉を引きちぎるような音と、液体が漏れ出すような音が聞こえてきた。
『こ、この音って……』
『もしかして、肉を……』
誰かがそう声を漏らした瞬間、脳裏にイメージが鮮明に浮かび上がった。人間の形をした狼が、中年男性の喉笛に食らいついて、肉を貪るシーン。
背筋に怖気が走る。
『うぇっ……』
『やだ……やだぁ!』
えずく声、泣き出す声が聞こえる。俺も胸の奥からこみ上げてくるものを抑えるので精一杯だった。そのまま状況を打開するべく声を上げる。
「とにかく、合流しましょう。一緒に行動したほうが危なくない」
『そうね……』
マチの同意する声が聞こえる。こうして俺達は自分の位置も分からない迷宮の中を歩き始めた。
『……う、うわ――』
だが、無情にもアキラの声は途切れて、そのまま彼は声を発さなくなり。
『いやっ、いや、イヤーッ!! かひゅっ』
ほぼ同時にマチの悲鳴が聞こえたかと思えば、彼女も何も喋らなくなった。
聞こえるのは荒い息遣いと、肉を貪り骨を砕く音。状況を見るに人狼は一匹ではないらしい。
「……嘘だろ。嘘だと言ってくれよ」
もう、俺も泣きたくてしょうがなかった。一人で迷宮の通路を歩きながらポツリと零す。
こんな状況に放り込まれるなんて。人が死ぬなんて。悪い夢なら覚めて欲しい。しかしコンクリートの壁を叩けば手が痛い。現実だと思い知らされる。
「……くそっ」
悪態をつきながら次の扉を開けと、部屋の中に誰かがいた。
「あっ……」
若い女性だ。同じデザインのスウェットを身に着けて、同じイヤホンを耳にはめている。明らかにこのゲームの参加者だ。先程の会話から記憶をたどる。
「その声は……リサさん、ですか?」
「は、はい。もしかして、タケルさん……?」
女性――リサは俺の言葉に頷きつつ問い返してきた。間違いない。ほっと息を吐き、俺はリサに声をかける。
「よかった……無事だったんですね」
「はい、一応は。でも、もう三人も……」
俺の言葉に頷きながらも、リサの表情は浮かない。当然だ、こんな状況で安心など出来ない。もう参加者は半数近く減っているのだ。
と、イヤホンから声が飛び込んできた。コウジの声だ。
『そ、そっちも合流できたんですか!?』
『私達も合流しました!』
ハナコの声も聞こえてくる。どうやらお互いペアを作れたらしい。
「とりあえず二人組になって出口を探しましょう!」
『分かりました!』
一人で行動するよりは、誰かと一緒にいる方が安心感が強い。俺はコウジの返事に少し気が楽になるのを感じながら、リサの手を取った。
「……行きましょう」
「はい……」
リサも頷いて、素直に俺の手を取ってくる。こうして俺と彼女は再び迷宮の中を進み始めた。
道中、幸いに人狼と出くわすこともなく、歩き続けること数分。もうそろそろ迷宮を回り切るのではないか、と思った辺りで、コウジの声がイヤホンから聞こえた。
『あっ』
『コウジさん?』
彼を呼ぶハナコの声がした次の瞬間。何かを叩きつける鈍い音が耳元で炸裂した。同時にハナコの悲痛な声がする。
『いっ……イヤッ!? 嫌っ!!』
「ハナコさん!?」
あちらのペアに何かが起こったようだ。必死にハナコに呼びかけるが、返答は無い。うわ言のように聞こえる彼女の声がするだけだ。
『嘘……嘘よ、こんな、うっ』
「ハナコさん、どうしたんですか!?」
と、その声が唐突に途切れる。同時にぷつり、と皮膚を貫くような音。呼びかけても反応がない辺り、もしかして。リサが顔面蒼白になりながら、俺の顔を見てきた。
「まさか……人狼が?」
「そうかもしれません……くそっ」
俺は思わず悪態をついた。これでいよいよ、残るは俺達だけだ。
「……行きましょう。もしかしたらすぐ近くに出口があるかもしれません」
迷ってはいられない。俺はリサの手を引いて先を急いだ。もうすぐ出口があるはず、そう望みながら通路を進む。そして次に見えた扉を開けると。
「次は……」
「あっ……見てください」
リサが部屋の中に入るや右側を指した。今までの扉とはデザインが違う扉だ。重厚な造りをしている。
「あれ、出口じゃないですか?」
「本当だ……やった!」
俺達は跳び上がって喜んだ。ようやくこの地獄から抜け出せる。意気揚々とその扉に向かおうとした時、後方のリサが立ち止まった。
「あ……!」
「リサさん? どう……あっ!」
彼女が目を向ける方に視線を向ければ、そこには。
全身を血で濡らした、一匹の人狼がこちらを睨みつけていた。
「グルルル……!」
獣の唸り声を響かせ、俺と彼女を見つめる人狼。
とっさに俺はリサを背中にかばった。こうなったら彼女だけでも外に逃がしたい。
「くそっ、リサさん、俺が抑えるんで先に行ってください!」
「タケルさん!」
リサが声を張るが、後方を見ている余裕はなかった。人狼がこちらに近づいてくるのだ。
「ガァァァ……」
ぎり、と歯噛みする。俺の人生もここで終わりか、と思いながら俺は敵を睨んだ。
「くそっ、バケモノめ! 喰うなら俺を――」
啖呵を切って人狼に立ち向かう俺。だが。
唐突に首に、鋭い痛みが走った。
「え……?」
信じられなかった。人狼はまだ俺の前にいるのに、
つまり。
「ふふ、やっぱり美味しい」
「リ、リサ、さん……?」
リサだ。リサが俺に噛み付いたのだ。にやりと笑うその歯は人のものではない。狼のそれだ。
まさか、二体の人狼とは。俺の目の前で、リサがみるみる全身を毛皮で覆い、尻尾を生やしていく。
「お疲れさまでした、タケルさん。おかげで
「本当はハナコさんを喰らった時点で、勝敗はついていたんですけどね。迷宮を抜けるまでがゲームなので」
「その声……まさか……」
後方、俺に向かってこようとしていた人狼からコウジの声がした。
まさかハナコは、目の前で変身したコウジに襲われて死んだのか。人狼は最初から、俺達参加者の中にいて。
「誰も、
にっこり笑いながら、リサが俺の顔を舐めた。ぬたりとする。気持ち悪い。
そしてそのまま、彼女の口が俺の喉にかかって。
「そういうことです。それでは、おやすみなさい」
「あっ、が……」
ばきり、と俺の首が砕ける音がする。
薄れゆく意識の中で、イヤホンから声が聞こえた。
『人狼側の勝利です。皆さん、お疲れさまでした』
人狼迷宮 八百十三 @HarutoK
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