蒼き月夜【KAC2021作品】

ふぃふてぃ

蒼き月夜

 これは、先月ほど前に、私が身を持って体験した。不思議な話です。



 私は都内某所の総合病院で、検査技師という職業についています。検査技師とは、血液や尿といった体の一部を採取し、そこから得る情報を、医師に提供し、診断の一助を担っています。


 私の勤め先は、総合病院ということもあり、内科、外科、泌尿器科から婦人科まで幅広くオーダーが入ります。その中には救急も入っていて、夜勤はもっぱら、この部署の依頼を捌いていきます。最近では、新型コロナの流行による検査も、私達、検査科が行っています。


 当病院では抗原検査を主体に、PCR検査は外部委託としていますが、抗原検査だけでも夜勤者一人では手が回らず、三ヶ月前より、夜勤者の二人体制が始まりました。先輩との夜勤は息が詰まりますが、後輩との夜勤は、休憩が適宜取れるので、個人的には気に入っています。


 今日は後輩との、少し気楽な夜勤の日でした。後輩はN95マスクに、使い捨ての防護エプロンを身につけ、現在、抗原検査の真っ最中。

 ピッチ(院内用の電話、PHS)に連絡が入ります。後輩は検査中なので私がでました。


「はい。検査科、秋本です」

 私はこちらに気づいた後輩に「気にするな、大丈夫だから」という意味を込めて、手で制し、話を続けます。


『外科の田辺です。術後の患者さんの採血なんですけど、シューターが壊れてるみたいで、取りに来てくれますか?』


 どうやら、緊急で手術があったみたいです。術中の出血が多い場合は、術前の血液データと比較し、術後感染症や輸血量の把握に努めます。要するに、それなりの大手術だったようです。


「秋本さん、今、抗原検査が一段落したので、私が行ってきますか」

「いいよ、いいよ。スピッツ取って来るだけだし、シューターもホントに壊れてないか確かめないと行けないから」


 シューターとは、血液などのサンプルを筒状のケースにしまい、検査科に送る、エレベーターみたいなものです。


 そう言って、私は後輩にピッチを預け、手術室に向かいます。検査科があるのは二階、手術室があるのは三階です。私は階段を上がり、IDカードを使って、手術室前日に入ります。


 前室には長椅子が入っていて、患者家族の待合室ともなっています。私は入って、右奥にある更衣室で手術着に着替え、シューズカバーやヘアハットを被り、長椅子の置かれた前室を通り過ぎます。


 カルテでは、患者は若い女性だったと記憶していましたが、前室には家族や身内が誰一人として見当たらず閑散としていました。また、先程までついてなかったテレビが、砂嵐の映像をしきりに流しているのに、多少の違和感を持ちましたが、私は立ち止まる事なく手術室に入りました。


 手術が行われていた三番の部屋は、もぬけの殻でした。看護師に話を聞いたら、退室して病棟に上がったとのことです。


「田辺先生から、シューターが壊れているから、スピッツ取りに来るよう、頼まれたのですが」

「あぁ、これね」


 看護師からスピッツを受け取る。ーー本当に、シューター壊れてんのかな?


 壊れてたら、修理申請を出さなければなりません。手術室の端にあるシューターを、試しに使ってみることにしました。行き先は検査科。筒の中にスピッツを詰めて、ボタンを押すとガチャコンと音がして動きました。ーー使えるじゃん。


 私が検査科に戻ると、気の利く後輩が解析を始めています。


「ありがとね」

「いえいえ。でも、オーダー内容だと、スピッツの本数が一本足らないんですよ」

「田辺のオーダー間違いじゃない。電話するよ。ピッチ貸して」


二回かけても繋がらず、どうやら電源を切っているようでした。


「うん、出ないね」

「とりあえず、あとは私がやっておくので、休憩分けませんか?良ければ、秋本さん、先にどうぞ」

「すまんネェ。まぁ、オーダー間違いだろうし、急がんでしょ。じゃあ、チョイと頼むよ」


 私は小腹が空いたので、一階にあるコンビニに向かいました。ガラス張りのエントランスには、青白い月明かりが差し込み、光の先には、水色の術前着に身を包んだ女性が、立っていました。


 彼女は月を見つめ佇む。その光景が異質でした。首を掻きむしる動作が、背筋の奥底を凍らせるような、気味の悪さを感じました。


 出来るだけ目を逸らし、病院に併設されているコンビニに入ります。コンビニでは、サラダチキンと豆乳オーレを買い、検査科に戻ろうエントランスを横切ります。


「私の血、返して……」


 振り返ると、月明かりに、青白い肌をしていた女性。髪はベッタリと背中まで伸びていました。


「あ、あの。入院中の方でしょうか?」

「はい。だから血、返して……」


 ピリリッ!


 ピッチの音に驚くと、彼女はトボトボとエレベーターのある方まで、歩き出していました。

 コンビニ併設は便利なのですが、変わった患者さんも寄り付てしまうのが難点です。


『秋本さん、すいません。田辺先生に連絡しても繋がらなくて、ちょっと来てもらっていいですか?』

「う、うん。わかった」



「これなんですけど……」

「白血球も、CRPも異常値だね。術後感染かな。やっぱり、もうワンセット、バイアル欲しいね。パニック値だし、早めに先生には見て欲しいんだけど。田辺は、まだ繋がらない?」


「さっきも、ピッチにかけたんですかけど、全然、繋がらなくて」

「分かった。じゃあ、私、チョイと病棟に言って来るよ。最悪、そこら辺の先生でも捕まえて、パニック値の報告しとくわ」


「すいません」


「いいって、いいって。本條さんはカルテに記載しといて。ちゃんと、担当医に連絡するも繋がらず的な文章いれといて、後で揉めるから」


 こうして、私は病棟に赴きました。ナースステーションには看護師が誰も居らず、ナースコールが鳴り響いています。ーーおっかしいなぁ。


 私は電子カルテで、患者さんの部屋番号を調べます。患者さんの部屋に、残りのスピッツがないか、探す事にしました。


 518号室。5階の大部屋です。夜更けだったので、入るのが憚れるところですが、容態も気になったので、ドアをノックしました。部屋の奥から、微かに「はい」と、か細い声がしたので、容態の確認だけでもと思い、入りました。


「血液、返して下さるの」


 青白い光が差し込む窓際、女性は振り向きざまに尋ねました。点滴棒を持つ左手には管が垂れ、蒼白の顔は、先程、エントランスで声をかけて来た女性でした。あまり関わると面倒そうなので早々に立ち去ろうと考えます。


「血液は、貴方の体の状態を把握する為に、使わせていただきました」

「あらそう。でも、私、血が足りないのよ」


 確かに血色が悪い。

「輸血が必要かは先生が判断しますので…」

「そうなの、貴方は医者じゃないのね」

「すいません、今、担当の医師に連絡しますので、失礼します」



「それにしても、今夜は月が綺麗ね」



 ピリリッとピッチが鳴りました。

「検査科、秋本です」

『秋本さん、田辺先生にやっと繋がりました。先程、その患者さん、お亡くなりになったみたいで……秋本さん、聞いてます。追加採血なし、もしもし、秋本さん………』


 もし、お亡くなりになったなら、目の前の女性は誰なのでしょう。


「月が綺麗ね」


 彼女は首を掻きむしりながら、私の方に振り向くと、ニヤッと笑いかけした。





※この話はフィクションです。

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