第2話 序章2

 目を覚ますと黒い世界にいた。

 今度は病室などではない。

 黒いからというだけではない。

 壁も天井もましてや足元に地面や床の感覚もない場所は病室などではありえないだろう。

 光が無いのかと思ったが、不思議と自分の体だけは視認できる。

 しかし自分の体以外は見えるものも音も暑さ寒さも匂いも空気の動きすらも何も感じない。

 ひたすら気味の悪い空間だ。

 間違いなくSANチェックが必要な状況だ。


 だが普通なら気味の悪さを感じるような状況だが、なぜか安らぎのようなものを感じている。

 いや感じさせられていると言った方が正解に近いだろうか。


「ここはどこなんだ?」

(状況からして自分の知っている場所ってことはないだろうが……)

 声に出して言ってみたがものの見事に声は反響もせずに空間に吸い込まれていった。

 かなり広い空間なのかも知れない。

 なんて冷静でいられたのもここまでだった。

 ちょっとの安らぎなど何もない変化のない空間にゴリゴリと削られていった。


「おーい誰かいないのか?」

 5分経ち10分が経っても何も起こらない。

「本当に誰もいないのかー?」

 自分の理解のできない空間でただ何も変化がない。

 それだけで人の精神は耐えられない。

 このままの状態がずっと続くのかも知れない、と思うとどんどん追い詰められていった。

 自己防衛だろうか、知らない間に足を抱えて座る格好になっていた。

 まるでこの空間との接点をなるべく小さくしようとするように。

 確かな物が自分の体だけだと言うように。


 そうしているとどうしてもあの時の事を、退院して高校に復帰した時の事を思い出してしまう。



 美樹は事故の前、父親と二人暮らしだった。

 美樹の母親が仕事の都合によって東京で単身赴任している為だった。

 半年の予定がもう一年半だよと美樹は会社か何かに憤慨していた。


 美樹は俺が入院してから一ヶ月位ほとんど登校できなかったらしい。

 友人達からはその間にも色々励ましや慰めの連絡を送っていたらしいが、俺に酷いことを、取り返しのつかない事をしてしまったと自分を責めるばかりで話にならなかったようだ。

 俺が入院して一月半程した時に美樹の転校の連絡があり、挨拶のために高校に来た時の姿は別人のように憔悴していたと言われた。


 美樹は母親の元に引っ越しして、向こうの高校に転校していた。

 美樹に連絡を取ろうにもこちらからの連絡は着信拒否、ブロックされていて、友人に取次を頼んでも美樹に断られているようだった。

 半年前まで俺と美樹をくっつけようと画策していた友人達も、俺の味方はしてくれず、

「もう美樹を許してあげて、そっとしてあげて」

 そう友人に言われて何となく悟った。

 美樹とは十数年の付き合いだった。

 美樹の心の中で俺は大きな部分を占めていたと思っていた。

 その俺の抜けた穴を埋めることはできなくても、穴に入り込んだ男がいるんだと。

 俺との平穏な子供の様な恋愛しかしてこなかった美樹は、様々な恋愛を繰り返し経験を積んだ男にとって簡単に入り込める、セキュリティの緩い存在だったのだろう。


 この半年の間に俺はそれまでの人生で築いた、ほとんど全てを失っていたことにこの時気付いた。

 高校の教室で泣いた。

 人目を憚らず号泣していた。


 この時から俺は生きる気力を失い、次の日からリハビリの通院以外ほとんど部屋に引きこもるようになっていた。


 黒い空間で小さくなりながら涙を止められなかった。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「サーナ、ここに居たの?」

 そう呼びかける声にサーナリアは振り返る。

 更衣室で着替えを終えた所に現れた同期のタレスティの声だ。

「ターレ?どうしたの?」

「どうしたのじゃないわよ。あなたに緊急の呼び出しが入っているわよ」

 言われて携帯端末を確認すると確かに緊急メッセージが入っている。

 どうやら送還儀式用制服(いわゆる女神様風衣装)に着替えるついでにシャワーを浴びるため、端末を外していたので気付かなかったようだ。

「もう彼、こっちに呼んじゃってるわよ」

 黒く細長いシート状の端末を手首に巻き付け、撫でるような仕草をすると肌と同化して見えなくなる。

「初めての担当なんでしょ。しっかり案内してあげなさい」

「解ってるわ。大丈夫よ」

 答えながら緊急メッセージを確認する。

『送還準備室に至急出頭せよ』という予想通りのメッセージだった。

「エリンからもメッセージが入っているわ」

 緊急メッセージの後に同期の召喚担当、エリンダルテからもメッセージが入っていた。

『バッチリのタイミングで召喚しておいたから、楽しんできてね』

 エリンからのメッセージと聞いて覗き込んでいたターレにも見えるように表示した後、ターレと顔を見合わせる。

 ターレは微妙な顔をしていた。

 たぶん自分も同じような顔をしているのだろう。

「悪い予感しかしないわ」

「同感」

 ターレもエリンについては私と同じ評価のようだ。

 エリンは性格も明るく社交性もある。

 だがエリンは困ったことに、いたずら好きなのだ。

 しかもたちの悪いことに仕事中でもプライベートでも関係ない。

 仕事として許される範囲のギリギリを通してくる、キラーパスの様ないたずらを。

「取り返しのつかない事態になる前に、対応しないと。私急ぐわ」

 更衣室を出てオフィスと言うよりは研究施設の様な通路を速足で送還準備室に向かう。

「気を付けなよ」

 ターレの言葉に振り返らず、軽く手を振って答えてその場を離れた。



(これかぁ)

 送還準備室から送還儀式室に入ってすぐに分かった。

 なんせそこには裸の男が丸くなっていたのだから。

「お待たせしました」

 私が声を掛けるとその男はビクンと体を震わせると、ゆっくりと顔を上げてこちらを見た。

(うわっ、きちゃない)

 男はSANチェックに失敗したのか顔はひどい有り様だった。

(涙はともかく、鼻水は無いわぁ)

 自分が待たせた結果とは言え、その結果にドン引きだった。

(陶芸家だったらこの作品を叩き割っているわね)

 何気にひどい評価だという自覚はある。


 男は私を見付けると目から涙を溢れさせながら這った体勢で手を伸ばしてくる。

「あぁぁうあぁぁう……」

 男はまともに話もできないようだ。

(這いよる混沌?)

 そんな事を考えていたからか近づく手に反応できず、薄物のスカートの裾を掴まれてしまう。

 あっという間に男の両手は私の体の後ろを通って腰のベルトに、足は座った状態で私の足を抱えるようになっていた。

 お男はわ私のこっこここっ股間に顔を……あああ足の甲に何てモノを載せてるのよ!!

 今度は身体が正常に反応した。

 悪即斬。

 サーチ&デストロイ。

 左手で男の髪の毛を引っ掴み、私の身体から引き離して男の顔を右手の平でフルスイング強打。

 左手にブチブチッと髪の毛が断末魔の悲鳴を上げたり、男が首を変な方向に捻じれさせて錐もみ回転してすっ飛んで行ったりしているが、パニックになっている今の私の頭には入ってこない。

「何するのよ、この変態!!」

 そう言ったのが限界だった。

 耐えきれなくなって駆け出した。


 きっとモニタリングしていてくれたのだろう。

 ターレが部屋に入って来たと同時に、周りは黒い空間ではなく無機質な白くモノが何も置いてない部屋に変わっていた。

 ターレにすれ違いざま声を掛けてその場を逃げ出した。

「ゴメン、もう一回シャワーを浴びてくる」

「ん」



 更衣室に続く廊下を小走りで駆け抜けながら、口元を押さえて泣き声が漏れるのだけは抑えた。

 涙は抑えることができなかった。

 すれ違う男性職員が驚いたような顔をしていたが、構っている余裕は心にも時間にも無かった。

 更衣室に駆け込んで儀式用制服を脱ぐ。

 汚れてしまった制服の代わりを準備して、脱いだ制服をクリーニングボックスに放り込む。

 制服はこれできれいになるけど気持ちはそうはいかない。

 シャワーボックスに入って温かい水滴を浴びる。

 涙が止まるまで決して少なくない時間が必要だった。



 天城 優樹、あの男の名だ。

 上司から最初の担当する勇者の資料を受け取った時、どんな人だろうかと興味を持った。

 父親と二人暮らし、他に同居する家族なし。

 eスポーツの選手志望だったこと。

 親しくしていた女性を助けるために怪我をして右手、右腕が不自由になったこと。

 目標を失って引き籠りになったこと。

 幼馴染を助けたことは評価できるけど、それ以外はごく普通の18歳の男の子でしかない。

 どうしてあの男が勇者として指名されたのか、召喚者の意図が理解できない。

 父親の情報の一部と母親の情報全てがシークレット扱いになっていて、私の権限では非表示になっていたけど関係があるのかしら?

 担当者の私にも明かせない情報ってなんなのかしら?


 それにしてもさっきのはなんなのよ!

 もうタイミングが悪いというかなんなのか。

 あ?もう……ふぅ。


 事実は時間では変わらないが、感情は時間によって変化する。

 考えてみれば全てあの男が悪いわけではない。


 裸だったのはエリンが悪いし、待たせたのは私が悪い。

 そして私に抱き着いたのはあの男が悪い。

 それなら解決の方法は一つしかない。


 シャワーボックスを出ると体を拭くのもそこそこに、携帯端末を取り出すとターレに連絡を入れる。

「エリンを確保して」

『わかったわ』

 さすがはターレ、それだけで分かってしまったらしい。

 新しい儀式制服を身に着けると送還儀式室に向かった。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


「どうやら気持ちが決まったらしい。一人連れて来なきゃいけないから出るけど、うまくやるんだよ」

 そう言ってタレスティと名乗った女性が出て行った。

「ふぅ」

 張りつめていた空気が少し緩む。

 先程までの事を思い返してみる。


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「さてこれをどうするかなっと」

 そんなかけ声と共に首がグキリと捻られて覚醒する。

 たぶんこれって言うのは俺の事なんだろうと理解する。

「っと、再起動したかな?」

「ここは?……まだここか」

 目に映ったのはあの黒い空間と左手を腰に当ててこちらを見下ろすように立った女性だった。

 青みがかった黒髪のショートカット、褐色の肌、少し吊り目がちのネコ科を思わせる目、形良く整った高い鼻、肉付きの良いプリッとした唇。

 全体的に主張の激しいボディ、青系統の色でまとめられた何らかの制服を押し上げるボリュームのある胸、引き締まった腹と腰、キュッと上を向いたたっぷりとしたお尻、タイトなスカートの下から覗く細い足首。

 美しい女性だった。

 それと同時に恐ろしい。

 この人は肉食獣だ、喰われると本能が警鐘を鳴らす。

 戦闘力が違う、違いすぎる。


「自分が何をしたか覚えているかい?」

 そう問われて思い出そうとする。

 黒い世界で放置されて……声が聞こえて……誰か人がいたような……

 そう告げるとどうやらそれだけでは不十分だったようだ。

 女性から自分が何をしてしまったのかを聞かされる。

 目の前の女性はタレスティ、去ってしまった女性はサーナリアと言うそうだ。

 二人は異世界派遣局の『公式ガイド』をしているとの事。

「サーナリアさんの下半身に抱き着いて股間に顔をうずめた?」

 ……そう言えば左腕に柔らかな感触があった気がする、……なんかいい薫りを嗅いだ気が……いやそれは気のせいだ。

 鼻水で酷い状態になっていたので薫りはしなかったはず。

 ふと右腕を見る。

 そこにはもう見慣れた傷跡があった。

 そう、柔らかな感触は左腕にしか無かった。

 右腕には無かった。

 間違いなく自分の右腕だ。

 全ての感覚が無くなって正気を保てなかった自分が、右腕の感覚が無いからこれが現実だと理解するとは……皮肉なものだ。

「自分が何をしでかしたか理解できたところで、少年に話がある」

 少年って言うのは……俺の事なんだろうな。

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