第5話
11月の夜8時半である。寒い。もういよいよ帰ろう。そう思い店に背を向けた時だった。
「あ、あの、すみません」
先程の男に声を掛けられた。
「は、はい?」
加代子は振り返り男を見た。
「あ、あ、すみません。間違ってたらご、ごめんなさい。えーっと、相川高校の卒業生の方でしょうか?」
加代子はこの質問を心のどこかで期待していた。
「あ、えーっと……」
加代子は思った。相川高校の卒業生と名乗って良いものか。この男の事は知らない。おそらく向こうもコチラの事は判っていないのであろう。もし彼が加代子と同じクラスメイトであるならば、この男にさえ忘れられている存在なのだ。
「あ、違いましたか……、すみません」
「いえ……」
「えーと、じ、実は今夜この店で同窓会が行われているのです。ほら、あそこにいるのが私のクラスメイト達です」
そう言いながら加代子のクラスメイト達を指さして言った。
「お、お恥ずかしながら、わ、私、影が薄うございまして、皆、私の事など覚えていないだろうと……。会場に参加するのを躊躇っておりまして、先程から私と同じ様な行動をしておられる、あなた様が気になりまして声をかけさせていただいた所存でありまして、すみません、はい、人違いのようでして、ごめんなさい」
いかにもコミュ障ぽい話し方で男が一気にまくし立てた。
え? この人もクラスメイト?
驚く加代子に、
「では、おやすみなさい、すいません……」
と声を掛け立ち去ろうとした。
「あ、あのー」
加代子は堪らず声を掛けた。
「は、はい?」
男が立ち止まる。
「じ、じ、実は……、えと、あの……」
「は、はい?」
「わ、私も相川高校です」
「あ、ああー、はは、そうなんですね。ええ、驚きました」
無茶苦茶な会話である。
「と、いう事は、えーっと、私も、と同じクラスだったですね?」
男が不自由な日本語で尋ねた。
「あ、はい、そうなんですよ。ははは」
加代子もテンパっている。
「度々、す、申し訳ございません。あなた様の事を覚えていなくて……」
「いえ、わ、私の方こそすみませんでございます。覚えていなくて。あ、私、渡辺です。渡辺加代子と申します」
「渡辺さんですね。ああ、そうですね。な、なんとなく覚えが……、ははは」
明らかに嘘である。
「あ、私、えーっと、吉川です。吉川遙と申します」
「ああ、吉川さんですね……、ええ、そうですね。ははは……、」
加代子も怪しい。
しかし、吉川という事は加代子のいくつか前列の席に座っていた筈だが、全く覚えがない。
加代子は思った。
本当にクラスメイトだろうか……。
吉川は思った。
本当にクラスメイトだろうか……。
「……」
「……」
「……」
「……」
「じゃ、えーっと、じゃ私帰ります」
加代子から沈黙を破った。
「あ、そうですね。さ、寒いですね」
返答としては変だが吉川では仕方ない。
「では、おおやすみなさい」
加代子が歩き出した時、
「あ、渡辺さん」
吉川が再び声を掛けた。
「あ、寒いですね」
「そうですね。寒いですね」
「あの、お、お腹減ってないですか?さ、寒いしですね、えと、も、も、もし良かったら、えと、食事でも、あ、二人だけで同窓会を……、どうでしょうか?」
これは食事に誘われている!加代子は人生初めての経験に胸を躍らせた。
「あ、あ、う、そうですね、はい……」
「お、オーケーですか? えーっと、イタリアン。あ、好きなものありますか?」
「あ、何でも好きです。あ、でも、大丈夫です。はい、イタリアン好きです」
実はホルモン等、肉の内蔵系は苦手であったがイタリアンという言葉を先に聞いていたのでそう答えてしまった。
「イ、イタリアン。店を実は知らなくてですね、すみません。すぐ検索します。ごめんなさい」
吉川は慌てながらスマホを取り出し検索し始めた。
加代子も外食など殆どしない。イタリアンなど知る由もなかった。
程なくして良い店を見つけたのか、
「ここ、なんて、どうでしょう?歩いて、えと、5分くらいです」
吉川がぎこちなく自分のスマホの画面を加代子に見せた。
「いいですね。そうしましょう」
加代子にはもうどんな店でも良かった。
とにかく寒く、お腹も減った。同窓会に参加出来なかった惨めな自分でも、今こうして男性に食事に誘われている。それだけで惨めさが多少なりとも緩和されていた。
「では参りましょう」
吉川も初めて女性と食事に行く。若干の不安はあったが、同窓会に参加出来なかった惨めな自分を加代子の存在が癒してくれるような気がした。
「で、では、参りましょうか」
「はい、お願います」
2人は並んで歩きだした。
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